見知らぬ女 | きつねの部屋ブログ版

見知らぬ女

 「見知らぬ女」は1883年にロシアで発表された絵画で、あまり日本人に知られていないロシアの絵の中でも一番知られている、あるいは見たことのある印象的なものだろう。

 

 作者はイワン・クライムスコイ、19世紀の画家で文豪トルストイの友人ともいわれている人。

 

 昨夜あらためてこの絵の解説を聞いたのが『ぶらぶら美術・博物館』の中でのこと。山田五郎、おぎやはぎ、高橋マリ子が案内役を務める番組だ。

 

 とにかく博覧強記でありながら、山田五郎のぶっちゃけ言葉での解説がおもしろく、小木のボケ、矢作の素直な感想、そして日本人離れをした美女でおっとりしながら、けっこうピントがずれたアグレッシブな発言もするどこか宇宙人ぽい高橋マリ子の4人が今話題の展覧会を開いている美術館や博物館を探訪する番組だ。

 

 そんな4人が昨夜の放送で訪れたのが開催中のロシア絵画展。ロシアは19世紀の後半になってようやくヨーロッパ絵画の波に乗り、それ以前はそうした絵画文化はなくイコン(宗教画)を描く宗教関係者以外に画家という職業もなかった時代が長かった。

 

 すでにパリでは後に抽象的な画風となっていく印象派を迎えた時代に、ようやく写実的な風景画を描き、これを広い国々の各地へ巡回展示をするといったロシアならではの絵画文化を展開していた。

 

 そんなロシアの絵画界に現れたのがクラムスコイ。風景画もだが人物画を得意とし、友人であるトルストイの絵も残している。そのクラムスコイが19世紀の終わりに発表したのが「見知らぬ女」である。

 

 

 

 この絵がそれ。おそらくどこかで見たような記憶がある絵だろう。文豪トルストイの長編小説(だいたいロシアの文学は長編が多いが)「アンナ・カレーニナ」の装丁に使われることがあるので「ああ、見たことがある」と思われている人が多いのではないか。

 

 が、どうやらクラムスコイはアンナ・カレーニナをイメージしたわけではないのではないか説や、アンナは貴族の娘だがこの絵の女性は服装、乗っている天蓋(屋根)がついていない馬車など当時の貴族の娘もしくは夫人のものとは見えず高級娼婦である、といった説などが発表時に飛び交ったいわくつきの絵だ。

 

 まず馬車の上からこちらを視降ろしているのが傲慢に見える。真っ黒な服装というのも気に入らない。帽子の羽根飾りもチャチなど彼女を下品な女と見る向きの意見だ。

 

 番組ではこの女性の目のアップをカメラが捉える。すると、彼女の黒い瞳が潤んでいること、涙がいまにも落ちそうになっていることにわたしたちは気づく。

 

 すると何かに耐え、でも毅然として今別れを告げなければならないといった状況が浮かび上がる。

 

 それは自分の人生を歩めず、逃れられない仕来たりに順応せざるをえないものを感じて…、と考えると自分の意思とは関係の無い定められた人生の哀しみを負った女性に見えてきて、あながちアンナではないともいいきれない。

 

 だから「アンナ・カレーニナ」の表紙に使われるのだろう。

 

 作者のクラムスコイはこの女性のモデルはいない、と公にはいっている。なので「見知らぬ女」というタイトルがつけられた。

 

 もうこの絵、6回目くらいの来日らしい。最初日本に来たときには「見知らぬ女」ではあまりにも素っ気なく無機質なタイトルだ、ということで意訳し「忘れえぬ女(ひと)」と題を変えたという。

 

 この邦題、この絵にふさわしいではないか。この絵のこちら側にいる人物は多分最愛の男(ひと)なんだろう。でも別れなくてはならない、そんな状況をあらわしているタイトルだ。

 

 彼女、傲慢に見えるようだが、それは気高く品位ある女性だからこそ。運命に抗いたくでも気高さゆえにそれができず、愛しい人と別れるシーン、それがこの絵だとするとかなりロマンチックではないか。

 

 とまぁ一枚の絵からこんなにまでも人生や運命を感じさせる絵はめったにない。