高橋マリ子 | きつねの部屋ブログ版

高橋マリ子

ウィキペディアより

3年前になる、BS日テレの美術巡り番組「ぶらぶら美術・博物館」ではじめて高橋マリ子という女性を知った。ものすごい美人である。この番組、博識家である山田五郎が仕切り、漫才コンビおぎ・やはぎが山田の解説をうけながら日本各地にある美術館や博物館に展示された芸術作品や屋外にある建築物、庭園などをみるという教養バラエティ番組。

 

その男三人の中に紅一点として番組当初はファッションモデルの相沢紗世が入り、この3人に山田と展覧会の主催側からキューレター(学芸員)や寺なら僧侶、時に展覧会を招聘した美術学を専攻する大学教授などがそれぞれをの作品を説明、古今の名作を鑑賞するというながれになっている。

 

展示物の主催者側にいる解説者たちはむしろ博学の山田五郎の知識を補完する存在で山田が番組をリードする。更におぎ・やはぎは美術素人として山田と主催者側の解説者の話を芸人として面白おかしく受ける、という形をとる。とはいえ、芸術鑑賞番組である以上一定の品位は保ちながらではあるが。

 

さて、相沢紗世が番組を降板し、3年前からその後任になったのが同じくファッションモデルの高橋マリ子である。彼女たちの役割は女性目線での作品群の感想をいう、ということでの起用だ。といっても前任者の相沢紗世も、現在の高橋マリ子もおぎ・やはぎのような勘のいいリアクションやコメントは積極的にはしないし、求められてもいない。ただそこにいるだけで画(え)になるからということだけで、それ以上は期待されていないようにみえる。

 

しかし番組内で彼女たちがいるのといないのとでは扱う芸術作品が放つオーラーが違ってみえる。男目線の作品の感想に加え、女性として同じ芸術作品をどう感じるかで作品が立体的に視聴者にはイメージできるし番組自体が華やぐ。また時折ではあるが山田からコメントを求められたときなどの一言が貴重、おぎ・やはぎに女性一人を加えたのはそういったことを狙ってのことだろう。

 

この高橋マリ子さん、いったように大変な美人さん、クールビューティといっていい。彫の深い顔立ち、調べてみたらアメリカ人が父親で母が日本人のハーフなんだそうだ。といっても日本人としてもそれほど違和感のない風情をもった人だ。着物も似合いそう、実際昨夜のNHKプレミアムでわたしのご贔屓番組である不定期放送の「シリーズ深読み読書会」で夏目漱石の『三四郎』を取り上げたのだが、そのときヒロイン里見美禰子のイメージを演じていた。明治の世に対する反抗的な、それでいて世に従わざるを得ない葛藤をその内面にもつ進んだ女性である都会育ちのもの静かな美禰子、動きのまったくないスチール写真ながら小説に描かれた美禰子はこういう人だったのかとおもわせるようなものだった。

 

この小説の美禰子のモデルは当時の思想家、日本での女性解放運動の祖である平塚雷鳥といわれていて、残っている雷鳥のポートレートは日本人離れしたバタ臭い美人、どことなく高橋マリ子嬢に似ている。ただ雷鳥は積極的に世に自らの意見を問うた人だが、高橋マリ子嬢はむしろ大きな声で発言する人のようには見えない。

 

そう高橋マリ子に似ている人といえば、往年の映画スター原節子である。日独合作映画1937年昭和12年『新しき土』の時の原の容貌にそっくりだ。原節子は純粋な日本人で、しかしどこか西洋人をおもわせる顔立ち、当時の日本女性にはあまりいないタイプだった。いまの時代、ハーフの女優、タレント、モデルは珍しくもないが、当時は西洋にあこがれをもつ人も多く、日本人ではあるが西洋的な顔立ちをもつ原節子は観客の目を引いた。

 

高橋マリ子嬢、主たる職業はファッションモデルで、テレビドラマや映画ではあまりお目にかかることはない。この場合ファッションが主でモデルはファッションの引き立て役として従になるものでありそれはやむおえない。しかし黙りじっとしているだけで何者かを物語るモデルさんはいるもので、彼女がその典型だろう。佇まいだけで教養が感じられる人は珍しくそれで充分、特に動きは必要ない、でもずっと観察していたい人である。