〇筋肉隆々の先輩アーチャーの思い出

6月8日のブログ記事で触れた、車椅子を使用する先輩アーチャーについて書いてみます。

2000年に全国身体障害者スポーツ大会(きらりんピック富山)が富山県で開催される前の数年間、各スポーツの選手育成・強化を図っていく中で、私(M生)もアーチェリーをやり始めました。その頃でも車椅子を使用している障害者は、以前からアーチェリーなどのスポーツに取り組んでいた魚津市のTさんと私しかいなかったように思います。

 

Tさんは以前は大工さんだったそうで、腕の筋肉が私なんかと比べ物にならないくらいたくましく、ワンボックス車の高い運転席に遥かに下の車椅子の座面から軽々と乗り移っていました。これはトレーニングを熱心にやっておられたことの賜物でした。路上を車椅子で走って体力強化も図っておられたと聞いたように思います。私も当時は片手で車椅子を持ち上げることができましたが、Tさんにはとても及びませんでした。

 

70mで練習しているときの矢取りも、芝生で整備されている会場でも自分で車椅子をこいで行っておられました。私はとても自力では行けなかったので、父親に矢を取ってきてもらっていました。

 

県内の障害者のアーチャー中では、Tさんの成績が常に1位で、私はなんとか追いつきたいものだと思っていました。

 

〇富山からオリンピックを目指す心意気

そんな中で、ある時、Tさんが「自分は2004年のアテネオリンピック出場を目指しているんだ。」という話をされました。パラリンピックのアーチェリーでも様々な障害のあるアーチャーが活躍しているのを見ますが、パラリンピアンではなくオリンピアンを目指すというのは結構ハードルが高いことだと思いました。

 

ただ、アーチェリーは障害者と健常者で基本的なルールに差はなく、一般の大会に障害者アーチャーが参加していることもあるようです。私もテレビで、車椅子を使用している女性アーチェリー選手がオリンピックの選手団の一人として健常者と共に競技場を行進しているのを見た記憶があります。その方とは別人かもしれませんが、ネットで調べてみるとネロリ・フェアホールというニュージーランドのアーチャーが1984年のロサンゼルスオリンピックに車椅子の選手としては初めてオリンピックに出場しているそうです。

私もTさんの熱心な取組みや競技成績を見ていたので、ぜひ頑張って富山県から車椅子を使用したアーチャーとしてオリンピアンになって欲しいと願っていました。

 

〇後日談

その後、私の仕事が忙しくなると予測されたこと、きらりんピック富山への出場がなくなったこともあり、私はアーチェリーから離れました。Tさんからは、一緒にアーチェリーを続けていこうと連絡をいただきましたが、それがTさんとの最後の会話になりました。

 

その後のTさんの活躍については全く存じ上げませんでした。数年前に私がアーチェリーを再開したことからTさんと再度アーチェリーを出来ることを楽しみにしていたのですが、昨年、間接的にTさんの消息をお聞きしました。数年前に病気が原因でアーチェリーをやめられ、その後お亡くなりになったとのことでした。車椅子を使用するアーチャーの先輩として色々教えていただくこと又一緒に競技ができることを楽しみにしていたのに誠に残念に思っております。遅ればせながら、ご冥福をお祈りします。