松田直秀(まつだなおひで)
概要
後北条氏の家臣。
?年ー1614?年
別名 秀治 直憲 左馬助
主君 北条氏政→氏直→豊臣秀次→前田利家→利長
氏族 松田氏
父母 松田憲秀
兄妹 笠原政晴
妻 不明
子 不明
生涯
後北条氏家臣の家臣松田憲秀の次男として生まれ諱の直秀の「直」は北条氏直から偏諱。兄の政晴は笠原康勝の跡を継いだため、1589年に直秀が松田氏を継いだ。直秀は北条氏直に寵愛され重用された。1590年の小田原征伐では小田原城に籠城し、父と兄が堀秀政に内応しようとしたことを氏直に告発した。そのため兄は殺害され、父は開城時に豊臣秀吉の命で切腹した。開城後直秀は氏直と高野山に入り、氏直死後に憲定に改名し豊臣秀次に仕えた。秀次事件により秀次が切腹した後は、加賀の前田利家、利長親子に仕え4000石を領した。その後1614年に死去したといわれている。
関連
参考資料
松田直秀
松田憲秀
北条氏直
最終更新 2025/06/05
