最近よく思う。

「その気持ちよくわかるよ」

「それはひどいね、、、、、」とかあたかもわかっているかのようなセリフ

 

ほんとはわかっていない。

いや、本当にわかっている人は、そういうとき、あえて「わかる」という意思表示をしない。

なぜ意思表示をするのか。

それは、いわゆる「わかっていない」から「わかるよ」と相手を安心させるだけの行動だ。

 

僕が本当にわかると思ったら、まずは行動で示す。

それで言葉でその行動の意味を説明する。

これがいわゆる有言実行だろう。

 

 

病に苦しむ人にとって、特にその心の痛みを癒す力を持っているのは医者ではなく、

同じ病に苦しむ人だそうだ。

挫折も同じで、

挫折の底にある時に、人生、順風満帆なやつに励まされ、同情されても何もうれしくない。

むしろ惨めささえ感じる。

そういうときに、厳しい経験を持っている人が、親身になって支えてくれるたら、、多分話を聞くだろうと思う。

苦しみの底にあって人はその痛みをわかる人にしか、心を開けないし、勇気づけられないものであると思う。

 

現に僕も過去7年もの間、苦しい病気の中、結局完治したけど、会社の誰にも相談せず、黙った一人で乗り切ってやった。

そして今思うのは、病気になったころの自分と同じようなやつはいないか。

どこにも吐き出すことのできない苦しみを抱えていないか、、、、と監視している。

同じ病気になるのはごめんだし、他人がなったということを聞くのもごめんだ。

 

あんな苦しい病気は消えてしまえばいいとさえ思う。

 

挫折を経験した人は少なくとも、自分勝手に生きてきたやつや、相手を束縛ばかりする奴らに比べては強い人間になれると思う。

ぼくもたぶん、もう相当なことでなければうろたえないし、どうしようもない時の過ごし方もしっている。我慢のし過ぎもだめなのも知ってるし、我慢をしないといけないときもしっている。

 

挫折はその時はつらいが、数年後のことをみれば多分それは大きなチャンスかもしれない。

 

 

ぼくは物の見る目が変わった。

それは年を取ったからかもしれないけど、

そこらへんの公園に生えてる花とか、まったくきれいだとか感じなかった人間が、

今ではあまりにきれいで、それを見るだけで一日を費やす日もある。

普段仕事が忙しいせいもあって、休みの日はとにかくのんびり。

なるべくお金も使わない、自然は最高だ。

というように現実逃避さえできる。

 

今になって思う。

あの時の挫折は無駄ではなかった。

そう悟れるようになった自分は少しだおっさんになったに違いない( ;∀;)