夏の甲子園が終わってだいぶ経ちましたが、本日は高校野球について書いていきます。具体的には、頑張っている選手に対する、理解できない批判について。
・今年も出た妙な批判
この夏の甲子園も素晴らしい試合が目白押しであった。その一方で外野から妙な批判の声が出た。スローボールはなめているだとか、大量リードからの盗塁はマナー違反だとかである。ルールの範囲内で工夫をし、全力で勝ちに行く球児に対し、自分の勝手な価値観を押し付ける大人がいるのだ。嘆かわしい事に。
・「なめている」のはどちらなのか?
前者のスローボールについては個人的に、批判をする人こそ「なめている」と感じた。いかにストレートが速くても、大きく曲がる変化球があったとしても、常に打者を抑えられるとは限らない。また誰もがそういった武器を持っているわけではない。そこでコントロールや配球などの工夫が出てくる。件のスローボールもその中の一つで、タイミングをずらしたり平凡なストレートを速く感じさせたりする事ができる。いわば緩急であり、勝利を狙う手段の一つなのだ。
そもそも球児は甲子園での勝利を目指し、大変な量の練習をしてきているのだ。真剣に勝つための手段を模索した結果に対し、ぱっと見の印象でなめているとはこれいかに?甲子園に出場するなんて、強豪校にいても容易ではない。その舞台で遊んでいられるかどうかは、まともな大人なら想像がつくだろう。真剣に勝利を目指す球児を馬鹿にするような批判をしている大人こそ、「なめた大人」になってしまっているように思う。
・プロと高校野球は別物
後者の大量リードからの盗塁については、プロ野球では自粛されている。しかしそれは明文化されたルールではない。ただテレビ放送や観客の都合として、逆転の可能性が消えたところからの追い打ちは、時間が長引くだけで意味が無い。テレビの放映権やチケットの売上が球団の収入であり、そのお金が選手の年俸として回ってくる。そう考えれば、お金を出している人々に配慮した自粛も理解できる。
しかし高校野球はさにあらず。球児はその試合によって報酬を得ていない。プロ野球と違い、9回の裏に大量得点で逆転というケースもあり得る。そのような条件の違いも考えず、プロと同じように自粛を要求するのはいかがなものか?甲子園はご存知の通りトーナメント戦で、1度負ければ全てが終わり。勝利の瞬間まで全力を尽くして何が悪いのか?機動力が持ち味のチームならどんどん走るべきだし、打撃が売りのチームならバットを振ればいい。何の見返りも無い中でルールにも無い理由で制限をかけられ、一発勝負で逆転のリスクを負わされる。そんな不条理が許されてはならない。
・そんな事より
いつもの事ではあるが、甲子園では一人の投手に大きな負担がかかりがちである。短期間に多くの球数を投げる事になり、大きな怪我のリスクを負わされている。場合によっては一生の障害となるのだが、この点はなかなか改善されない。個人的には大会に日程をもっと長く取れないかと思う。球児としてはかげがえの無い舞台であり、無理をしてでも試合に出たいと思うだろう。また学校の思惑などから、指導者が選手に無理を強いてしまう可能性もある。
この夏に1日の休養日が設けられたのは大きな一歩であるが、悪天候による順延の連続で、危うく休養日が潰されるところだった。ソロバンとしてはプラスにならない話ではあるが、日程の余裕を増やしてほしいと思う。
球児がそれぞれに全力を尽くすのが批判されるくらいなら、球児に過剰な負担がかかる状況はもっと批判されるべきだと思う。なめているとかマナーとか、そんな事よりこっちを批判しろと思うのは、自分だけなのだろうか?
では、また機会があれば。