韓国の庭園に伝統様式など無い・・・韓国、“日本式”で論争中の池を韓国伝統様式に再整備

WoW!Korea 11月16日

韓国文化財庁の顕忠祠(ヒョンチュンサ※)管理所は、最近“日本様式”だと論争されている顕忠祠敷地内の池を韓国伝統様式に整備し直すことにしたと、15日明らかにした。

 文化財団委員会史跡分科は、12日の会議で顕忠祠の上・下の池を韓国伝統様式である方池型の天然石の石垣で整備する「顕忠祠境内 遺跡整備設計用役」案を審議・議決した。

 方池型の四角い池は、地が四角で天が丸いという“天円地方”という儒教的理念を反映した朝鮮時代の池の様式である。

 文化財委員会は池の外にも自然地形を毀損した藤の木のトンネル道の原型復旧など、境内の変形・毀損された施設と造形も韓国伝統様式に従って再整備する案をともに審議・議決した。これにより顕忠祠管理所は、来年から順次境内に整備する計画。

 顕忠祠境内の池は、最近のマスコミ報道や国会国政監査などを通じて、日本式だという指摘を受けていた。
こうなった背景は1970年代の造成当時、伝統造園に対する研究と理解が十分でなかった状況で造成されたためだと学界はみている。


※顕忠祠(ヒョンチュンサ)…1706年、朝鮮19代国王の肅宗によって現在の韓国・忠清南道牙山(アサン)市に建てられて名付けられた李舜臣の祠堂。李舜臣の掛け軸や生涯を描いた十鏡図などが保管されている。
http://urx.nu/ebrR







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日帝残滓は怪しからんニダ(笑)

そもそも「韓国式庭園」などと言う物が無いのに、どうやって伝統様式にする(笑)
宮廷には庭園はあったろうが伝統様式と云われるような特徴は無かったと言う。
民間の住宅には庭園を造成する習慣も無かったと言う。
だから後述のように韓国に残っていた庭園は1930年代に造成されたものばかりだ。


伝統様式と言うからには朝鮮庭園が全国津々浦々に残っており、それらに共通する様式が無ければならん。
日本庭園が数えきれないほど残っているのは説明するまでもない。
そして日本庭園には明確な特徴・・・伝統様式がある。
『日本庭園の特徴』


日帝の韓国併合までにどれほどの朝鮮時代の庭園が残っていた?
ソウルの景福宮庭園や昌徳宮庭園(後苑)くらいだろう?
2つや3つの庭園で「伝統様式」もないものだ(笑)

韓国の庭園様式など日帝の併合により、日本庭園の様式に韓国人が工夫を添えただけだろう。
アタシが言うんじゃない・・・韓国の庭園研究家が論文を出している。

『木浦 “李勳東庭園”の日本式 庭園の特徵に関する硏究・金真成・韓國伝統庭園學會誌』

木浦の李勳東庭園、群山の李永春家屋、そして寶城の住宅庭園では日本庭園の特徴である書院造り庭園や回遊式庭園、そして茶庭の痕跡を確認することができた。
特に木浦の“李勳東庭園”は建築物ではなく庭園、つまり日本庭園の特徴が認められ、文化財として指定された稀なものである。
この庭園は1930年代に造成された書院造り庭園を中心とした回遊式庭園・・・。


まあこの研究者も韓国様式を否定している訳じゃない。
しかし伝統様式とは言っていない。

そもそも庭園は貴族である両班しか創り得ない。
だから韓国の文化は両班の文化と言って差し支えない・・・NOT強姦・売春。
両班が家を建てる土地を選ぶ際は「風水」に拘る。
風水に拘る家に「自然庭園を取り込む」などと言う発想もないだろう。

両班 住居
朝鮮時代の両班の家の原型を完全に保存していて文化的価値を持った建物・・・と言うキャプチャーがついている。
どこに庭園らしきものがある?


韓国が観光地として保存している両班の住居だったと言われる『 南山谷韓屋村』 にも庭園らしきものは無い。
まあ木を植え「瓶」を置くのが韓国伝統様式だと言われれば否定はしないがね(笑)

しかし日帝の影響をもろに受け1930年代に造られた「李勳東庭園」を文化財に指定しておいて「顕忠祠敷地内の池」は罷りならんと云う(笑)
全く訳の分からん民族ですな?


韓国式伝統様式の庭園に・・・元々ない伝統様式には変えられないのですよ(笑)

まあ誰かが思い付きで日帝残滓だと言えば、みんなで騒ぎだすと言うのが韓国人の特徴ではあるが。
「李勳東庭園」はまだ誰も日帝残滓だと気が付かずに騒いでいないだけか(笑)
そのうち誰かが・・・「日帝残滓」を文化財に指定するのは親日行為ニダ!・・・そう言いだせば文化財の指定から外されるんだろうな。

なにしろ防風林まで日帝残滓だから切り倒せと喚く連中だ(笑)
大王岩松蔚山
蔚山の大王岩松・・・何でも日帝が朝鮮人の精気を抜くために植えられたそうだ。

そうして韓国の文化財は棄損されてゆく(笑)