ラウ畑のじゃがいもはなんとかなりそうだ。
数年かけて土を作ってきた。
私はおおらかな理屈つまり拙い科学で、お母さんは感覚で、特にお母さんのたゆまぬ貪欲さが手加減なしに土を目覚めさせる。

木や草は声を聞いている、とお母さんは言う。
実を成らさないなら切るぞ、と本気で言いつけると、ちゃんと実を着けはじめるんだと。
声を聞いている、と言うから、優しく話しかけたりしていると思ったらそれよ。
脅したりイビったりしている。
結果的には、実をつけて子孫を残すべき草木の本能に働きかけ、草木のためになっている。
すげえ。
足音を聞かせる
音楽を聞かせる
とか生やさしいもんじゃなかった。
感心した。
本当の優しさは、わかりやすい優しさではなく、わかりにくくても本人のためになることを突き付け命じることなのかも知れない。
灰をまく。
焚き火台の灰は捨てないで、畑にまく。
花咲かじいさんとか、灰が再生の象徴である話はしたが、まさにそれだな。

花咲までは良いが、じいさんではない俺。
野菜を成らせましょうっつって、そうやってつつましく、このおにいさんが土を作るわけだ。
花咲かじいさんではないが、湯沸かしおにいさんではある私。
ガスを使わないで暮らそうとしているが、パンを焼くときはガスを使ってしまう。
ガスを節約するのに、パンをやめることもせず、わずかな罪悪感を自分にしまっておくと、人を責めることもせずに済む。

薪は大量に確保できる。
キャンプ場始まった頃よりずっと、集材力やチェーンソー技術や搬出力が上がっている。
今しか知らない人々にはわからなくて良いけど、私には今が最高に満たされていると思える。
地道って年月かけてゆるぎなさになるようだ。
だから、地道に、ズボンを洗う。

雨を案じて日陰に干したらなかなか乾かない。
私の服は、シゴト服は特に、ボロくても清潔です。汚れていても汚くない。
屁理屈に聞こえるかも知れないけど、ほんとうにそうだから、ほかに言いようもない。
汚れとケガレと不潔は違うものなのに、同じに見えている人も多かろうし、見た目は汚れも不潔もわからないだろうな。
そうねえ
きれいに見える雪は口にしてはならないくらい汚れにまみれているけれど、汚く見える炭や灰は食べられるくらいとても清潔なもの。
ってことを引き合いに出すとわかるか。な。
私はとても清潔好きだから、コロナで三密避けるの習慣はすでに実行していたから、全然に困らなかったのさ。
たとえば、家のシンクの排水口やトラップを、私は素手で洗い擦り、汚れを落とすのだが、多くの人はスポンジタワシその他で擦り、そのスポンジタワシをまた洗剤で洗ったりしている。
さて、どちらが手っ取り早く余計な薬剤を垂れ流すことなく成果を出しているか、答えは明らかだもんね。
たとえば、環境がどうのと意識高い感じの人でも、その多くは毎日のように風呂やシャワーを浴びている。そんなに不潔なのか?。
私は清潔だけど意識高いわけではなく、でも風呂シャワーはごく少ない回数しかつかわない。
どちらが環境どうのにローインパクトか、まったく明らかです。手をよく洗えば済むことは素手でやります。
なお、環境を考えていなくもないけど、それが第一ではなくて、便利で楽で成果を出せるから手を使うだけです。
手は洗うの簡単だし、手もきれいになるし。