信仰と収穫 | 所長日記・改

信仰と収穫

おはよう同志諸君。


ここで断っておくが、

私はMINTIAが好きなわけではない。

主食でもない。

当然に、柿ピーも主食ではない。

たまたま同志諸君が見たときに、これらを食していることが多いというだけのこと。

間違えないように。



さて、本などを読む時間など無いのに、

借りてきた。

今回は
コーラン 上 岩波文庫 青 813-1
¥735
Amazon.co.jp
そして、当然に、買わないで借りてね。

で、まだ100ページほどしか読んでいないのだが

実に面白い。

旧約、新約などよりはるかに面白いし、読みやすい。

これもコーラン自体が比較的新しいものであるからか、

それとも訳者がすばらしいからか、

定かではない。

それにしても、元は同じであったはずなのに

何故ここまで分岐し、いがみ合うようになってしまったのだろう?

住まう土地の環境の違いか

それとも人そのものがなせるものか

人というのは実に面白い。

ちなみに、

信仰の無い我々日本人は、それだけで攻撃される対象のようであるが・・・




さて、蒔いた種から芽が出ているので、少しずつ収穫している今日この頃なのだが

ちょっと早めに収穫しすぎな気がする。

市場の不安感からか

明日、それどころか10分後大きくなっているという保証が無いという

不しん感が私の中にある。

   ※わざとひらがなです。

ま、カラスが食べるかもしれないしね。

たとえば、28日は4306と8699の発表だった。

4306は10370を11100で売ってしまったし、

8869は243を、買ったときには320を叩くと予想しておきながら

307で売ってしまった。

市場が不安定のときは、決めた自分のルールを守るか、

それとも直近で算出した価額を守るか、悩まれる。

ルールというのは臨機応変に変えていかなければならない。

しかし、変えなければならないといっても、ブレて良いというわけではない。

そのタイミングが実に難しい。



全てはタイミングである。

機会は誰にでもほぼ均等に、眼前に現れる。

それを認識し、つかむことができるか否かが、成否の分かれ目である。

・・・

・・・

・・・・・・と自分に日頃から言い聞かせて、アンテナ立てていないと、

“機会”は見えないようです。