拝啓 寒い日が続きますが、奴等は水槽の中で常春気分でいます。 | 所長日記・改

拝啓 寒い日が続きますが、奴等は水槽の中で常春気分でいます。

 年末の大掃除ではないのだが
 
   ※前にも書いたが日頃から中掃除主義の私は年末に大掃除などしない。
 
 書類の整理をしていると
 
 10年ほど前に描いた絵が出てきた。
 
 しかも、残しているつもりはなかったモノなので
 
 ちょっとびっくり。
 
 頼まれて描いたもので
 
 今では絶対に描けない。
 
 急いで(別にキトラ古墳じゃないので急ぐ必要は無いのだが)
 
 スキャナを引っ張り出して
 
 bmp化・・・したものの、
 
 誰にも見せるつもりは無い。
 
 あくまで自分のために保存しただけ。
 
 そのうち工事が完了するかもしれない工房にも載せる予定は無い。
 
 でも、懐かしいね。
 
 そういや、あの頃は“鉛筆”のの色が好きだったなあ・・・
 
 青鉛筆側だけ使って捨ててたっけ・・・
 
 アレで描くと
 
 “なんちゃって青の時代”になるんだよね。
 
 まあいいや。 
 
 
 
 
 またまた
 
 グッピーが稚魚を生んでいた。
 
 もう完全に数を把握できない。
 
 水面にびっしり稚魚がいる。
 
 まるで縁日の金魚すくいの水槽のように。
 
 こんなに増えたなら、
 
 世代、産魚日別に水槽を分けて、遺伝の研究でもするかな・・・
 
 ・・・
 
 ・・・
 
 ・・・・・・
 
 金がかかる。やめよう。
 
 
 
 
 そう言えば、
 
 「『メンデルの法則』について書く」
 
 と書いておきながら放っていた。
 
 では・・・
 
 グレゴール・ヨハン・メンデル
 
 彼の生い立ちとかは自分でWikipediaなどで調べて欲しい。
 
 まあ、簡単に述べておくと・・・
 
 1822年7月22日 オーストリアのブリューンの貧しい家庭で生まれる。
            家は貧しかったが、勉学に励む。
 1843年 聖アウグスチノ修道会に入る。
       配属された修道院にて科学を独学する。
 1847年 司祭位を与えられる。
 1851年 ウイーン大学に留学し、神学、数学、物理学などを学ぶ。
       その後修道院に戻り、
       庭でエンドウを栽培し、8年間にわたって交配実験を行う。
 1865年 エンドウの交配実験から得られた遺伝法則を学会にて発表。
       翌年、論文にまとめる。
       しかし、当時は誰からも相手にされなかった。
 1868年 修道院長に就任し、職務に忙しくなった為、遺伝研究から離れる。
 1884年1月6日 享年61歳。
 
 彼の肩書きは“生物学者”ではなく“司祭”
 
   まあ、僧侶だね。
   Wizardryでは僧侶とビショップは大違いなのだが、
   そんなことはどうでも良い。
 
 そりゃ前にも言ったように、
 
 科学者になるには資格その他は必要ない。
 
 必要なのは情熱
 
 さあ、みんなも今日から情熱を持って
 
 自分の興味のあることを科学しよう!!
 
 ・・・
 
 ・・・
 
 ・・・・・・脱線してしまった。
 
 さて、
 
 『メンデルの法則』というのは
 
 ①優性の法則:対立形質を持つ両親から生じるF1に優性形質だけが現れること。
 ②分離の法則:対を成す遺伝子が配偶子を作るときに各配偶子に1つずつ配分されること
 ③独立の法則:別染色体上に乗っている2組以上の対立した形質は独立に遺伝する
 
 の三法則のことである。
 
 勿論、現在では
 
 「全ての遺伝がこの3法則に則っているとは限らない」
 
 ということは周知の事実であるが・・・
 
 そんなことはどうでも良いのだ。
 
 彼の業績は
 
 『遺伝形質は遺伝子によって受け継がれる』
 
 という粒子遺伝論を提唱したことにある。
 
 誰にも研究が認められぬまま
 
 「やがて私の時代が来る」
 
 と言い残してメンデルはこの世を去ったのだが、
 
 1900年にド・フリースやチェルマクらにより再発見され、
 
 その研究成果は死後に認められ、
 
 遺伝の基本となるこの3つの法則は
 
 『メンデルの法則』と名づけられた。
 
 功績を称えられて作られた彼の像の後ろには
 
 勿論、生い茂るエンドウが彫られている。
 
 もし、興味を持ったなら

雑種植物の研究/岩槻 邦男
¥420
Amazon.co.jp

 でも読んでみて。
 
  
 
  
 
生きる上には運も必要と常々実感しているH.Cの『H.C研究所ホームページ』へ
ところで最近は6時でもまだまだ真っ暗だね。
 
 
 
 敬具