センス
土曜日に書いたブログに間違いがあった。
下のほう。
×法務省→○総務省
間違える奴に、文句を言う資格は無い(※注:持論)。
・・・済みませんでした。
私達は
『○○のセンスがある(ない)』
という使い方をする。
私も職業柄、上司と
「残念ながら彼にはセンスが無いです」
という話をする。
しかし、私の中では、“センス”という言葉には2種類の定義がある。
日頃、他人に対しては便宜上or言葉のあやで使っているに過ぎない。
その2種類の定義とは
ⅰ)1→n(n≧1)とする能力
ⅱ)0→1とする能力
これだけで私が言わんとしている事が分かったら
あなたは私同様変わリ者のはず
話が合いそうなので、飲みにでも行きましょう・・・
(※注:「not未成年」∩「家が近い」ならば・・・)
簡単に説明すると、
ⅰ)は既存のものを使って、利用する能力
ⅱ)は今までに無かったものを創造する能力
となる。
例を挙げてみよう。
私は『○○の定理』や『××の法則』などを使って多少、モノを考えることはできる。
数学の“問題”を解いたり、化学の“問題”を解いたりするのがこれにあたる。
自分で言うのもなんだが、多少のセンス(ⅰ)はあると思う。
しかし、私は、新しい法則を導き出すことはできない。
真理に近づくことはできない。
センス(ⅱ)は無いのだ。
こんな感じ。
思うに、本当に“センスがある人”とは、
ⅱ)0→1とする能力がある人
である。
そんな人はそういない。
即ち、そんな言葉はそう使われることは無い。
だから、軽々しく使われるべきではない。
(↑↑※:持論;使用頻度と対象の存在頻度は一致していなければならない)
そもそも、センスがある(ない)という判断をしている方こそ、
センスが無いのかもしれないから・・・
H.C研究所ホームページへ