お母さん、いっしょにいてくれてありがとう。 
お母さんと出会ったのは、同じ2月の寒い日だったね。 
そこから出会う前の27年間よりも長い28年間、いっしょにいたね。 
わたしにとっては、いちばんの理解者で、いちばんの応援者だったよ。 
空気のような存在のお母さんがいなくなって、今はとても辛いよ。 

お母さんは、「病気になってごめんなさい」、っていつも言っていたね。 
わたしが悲しい顔をするから、それがつらかったんだよね。 
病気のことを勉強していろいろ試してきたけれど、お父さん、助けられなくてごめんね。 

たくさん家族旅行をしたね。 
夏に行った日光、冬に行った大洗、いつも同じところに行っていたけど、子供たちの成長とともに楽しみ方、過ごし方も変わってきたね。 
2人だったころは、月に一度は温泉旅行に行っていたよね。 
子供たちが大きくなってリタイアしたらまたいっしょにたくさん出かけようねって言っていたのに、行けなくて悲しいよ。 

最期が近づいたころは意識が朦朧として、小学校で担任をしていたころのことを独り言のように話していたけど、わたしが答えるとちゃんとわかってくれていたね。 
おそらく作文かなにかをしているところだったんだと思うけど、「最後はどう書くの?」ってお母さんが聞くから、「お母さんとずっといっしょにいるね」って答えたら、「二重丸じゃないね」って言って、そのあと「百丸だね」って。 
お母さん、これかもいっしょにいるよ。だからいっしょにいてね。 

いちばん最後の言葉、「あ」から始まる5文字・・・ 
そのときは「ありがとう?」って聞くと微妙な表情だった。 
今考えるとほかの5文字が浮かぶよ。 
もしそうだとしたらそのときに気づかなかったことはいちばん最後の後悔だよ。 
二人ともそんな言葉、普段、使わないからね。 

お父さんは、お母さんと出会えてずっと幸せだよ。