今日はがんでもサーフィンでもない話題。

 

5週間の里帰りを終えて、昨日息子と息子の連れてきたガールフレンドが日本に帰って行った。

2020年秋。コロナが始まって数ヶ月後、まだ入国制限も厳しかった頃に、息子はアメリカから日本の大学に逆留学した。今年の夏に卒業して東京で就職する。ひらがなすら書けなかったガリガリの高校生が、今では漢字も敬語も使いこなす。努力したんだろうということは見ていなくても伝わってくる。

 

次に会う時は社会人。だからこんなに長く一緒に過ごせるのも最後だろうと思って、家族全員全力で悔いなく遊びつくした😆お財布すっからかんで体クッタクタだけど、楽しかった〜〜爆  笑

 

久しぶりに会った息子は母親の私が言うのもなんだけれど、私よりずっと優しくて人を思いやる懐の深さがあって、この3年で別人のように大人になっていた。

 

30時間の難産で生まれてきた息子は、疲れ果てていたせいか母乳がうまく飲めず、人生最初の2日間であっという間に脱水と感染症を起こして入院する羽目になった。血管が細すぎて点滴が刺せず、頭の血管に針を刺された新生児の息子の隣にベッドを置いてもらって、おっぱいは飲ませられないけれど1日に何度も抱っこをしながら5日間一緒に入院した。華氏の温度に慣れていない私は、息子が高熱を出していることに気付くのが少し遅れてしまい、あとちょっと遅かったら命に関わったと言われて、子供を育てていく自信が全くなくなった。

 

2歳半まで1語も言葉が出なかった。小児科医はスピーチセラピーに連れて行けとうるさかったが、私が日本語、周りの環境は英語、週に3回私が大学に通う間預けているベビーシッターはアラブ語だからインプットが多すぎるだけ。絶対に喋れる!と信じて待った。

 

言葉が出ないからとにかくよく癇癪を起こした。3歳児の脳の発達を外に伝えられないフラストレーションで、起きている時間の9割くらいは泣いていたという記憶しかない。

 

2人目の娘が生まれた時、育児ってこんなに楽なんだと愕然としてしまったほど、とにかく息子の育児は大変だった。

 

息子と過ごしたこの5週間で、育児中の辛かったことや、申し訳なかった至らない新米ママの失敗とか、罪悪感とか、そういうのが全て霧になって空中に消えていった。私の1人目の子育てが終わった。

 

立派な青年を一人、社会に送り出すことができた私を、今日は素直に褒めることにする。朝から何をしてもボーーーッとして失敗ばかりしてるけど、こういう言葉にならないぽっかりと空いた穴のような感覚も、母親ならではの貴重な体験だ。

 

子供を産んで、育てて、本当に良かった。夫と私たちを支えてくれた周りの人たちに感謝します。