60歳になると一般的にシニア(中高年)の年齢になります。年末日本に帰国した際に紅白歌合戦を久々に見ましたが、68歳の郷ひろみがブレークダンスに挑戦するなどとてもシニアとは思えないような容姿の人も増えてきました。ただ確実にその体は60年以上存在してきたので、ある程度リスクがあります。10万マイルを超えた車のようにあちこちしっかり手入れをしておかないといつ止まるかわからない年齢になってきているのです。

 

60代は何かと健康意識が高くなるので、その点はわかりきっているので書きません。今回はむしろ、環境、そしてマインドの面を考えてみたいと思います。私が日本を去ったのは1993年ですが、必ず年に1~2回は日本に戻っています。なのでスポットで日本の変化を見てきているわけですが、そんな中気が付いた点として、意味もなく怒っている中高齢の特に「おじさん」をよく見るようになったということです。役所、スーパー、電車の中、色々なところで見かけますが、皆さんはどうでしょうか?ある一定数の精神障害の人などは常にいるので、これはただ単に中高齢の人口が増えたから目立つようになってきたということなのでしょうか?私はこの現象はアメリカで銃の乱射による無差別殺人が増えたことと共通するのではないかと考えています。銃の乱射の犯人を見るとその背後に家庭生活が崩壊しているということが言えます。コロンバインスクール事件のように犯人が一見まともな家族に見えてもそれは仮面家族であり、子供はアイソレートされ、家族という最も重要なCommunityとしての機能は果たしていなかったという事実があります。古代から人間はまずは家族というCommunityに属し、それから部族、国家という単位で組織の構成員となっていったのです。家族が子供を育て、共通の認識や付加価値を家庭内教育をもとに植え付け、そして社会に出ていき新たな家族を作るという流れです。ここで身に着ける協調性と、集団的倫理により人々の行動がコントロールされてきたのです。家族の名誉、家族の手前、社会では変なことはできないという構図があり、突発的な社会問題に対するある種の抑止効果もありました。近代になり、家族という構成要素が崩壊し、仮面家族が増え、より孤立する人が増えてきています。家族に属しているという意識も薄れ、孤立した寂しさから社会にぶつかるという問題が背後にあるような気がします。昔は経済的な結びつきが家族という単位であり、年寄りや子供は嫌でも家族に依存するしかありませんでした。社会保障が充実するにつれより孤立が増えるというやや皮肉な副作用だと思います。

 

離婚率が増え、更に死別もあるので、高齢の一人暮らしの割合は増えています。総務省のデータによると、65歳以上で一人暮らしは630万人、20%の高齢者、高齢者の5人に一人は一人という現実です。これが引きこもりなどと重なると益々孤独死が増え、臭いアパートが増えるリスクがあります。高齢者の多くは健康的にも不安定であり、常にだれかに見てもらう必要があります。地方自治体で孤立した年寄りをモニターするサービスをしているようですが、それにも限界があります。年寄りはどこかに属さなければならないのです。

 

古代から家族が崩壊してしまうことはよくありました。聖書の使徒行伝には初期の教会の姿が載っていますが、それは家族が崩壊して見放された未亡人や老人、みなしごなどを保護する共同のコミュニティーであり、「家族」だとしています。アメリカで教会に行くとBrother, Sisterなどと呼ばれるのにはその由来があります。高齢化社会ではこの「新たな家族」の存在が重要になると思います。なので、今後、特に日本ではこのような高齢者の共同体、あるいはシェアハウスのようなものが急激に増えると予想されます。なぜならそこには以下の圧倒的なメリットと高齢化社会に対する備えがあるからです。

1)経済的メリット:共同生活は各世帯の負担が軽減し、食事などもさらに共有することで家事の負担、食費も軽減できます。今後老人の貧困化が予想されるので、良い対策になります。

2)非常時の対応:共同生活をしているので、誰かに何かがあっても対応できます。留守をするにしても、病気の際にもバックアップ体制があります。孤独死のリスクがあり、老人にアパートを貸す率が減ると想定されるので良い対抗策になります。

3)犯罪の予防:オレオレ詐欺、詐欺商法など年寄りをターゲットにした悪徳商法は後を絶ちません。共同生活をしていればお互いのチェックができるし、危険な訪問販売を抑止することもできるので良い対応策になります。

4)話す相手の存在とボケ防止:人間関係が絶たれてしまうとボケが進むと言われています。「新しい家族」の存在は人生に新しい刺激と日々の会話を生み、人生に希望を与える「孤独」に対する対応策になります。

5)死に対する備え:高齢になると常に死と隣り合わせになります。ただ、現実的にその備えができてなく、孤独死や突然死で多くの問題を遺族に残すことがあります。入居に関して死や病気の際のプロセスを明確にすることにより、これらの問題に対する良い対応策になります。

 

これらは介護を意図した老人ホームに入る以前の60代~70代が適切であるかと思います。そして運営や斡旋はその後に引き取る老人ホームや、結婚相談所がすれば良いかと思います。特にまだ退職金などで余裕がある60代にトラストを作り、これらの施設が保護することで、死ぬまで経済的にやっていけるモデルを作ることができます。ただ、これは「新たな家族」になるので、「合う、合わない」といった個性の問題もあるので、メンバー選びが重要になります。そこで結婚相談所のプロセスがそこにはぴったり合うわけです。更にこれは結婚とは違い共同生活のパートナーなので、ある程度の相性は必要ですが、夫婦になるわけではないので、そこまで厳しい基準にする必要性もありません。そこで良い家族、コミュニティーに属して幸せな人生後期を迎えるのに必要になるのが60代における聞くスキルだと思います。

 

5.子曰、六十而耳順(60にして耳従う)

 

孔子ともある先生が人に話をするのではなく、人の話を聞く、と言い切っているのが興味深いのが60歳です。なぜあえてここで「人の話を聞く」と言っているのでしょうか?人によっては天の声を聞くと言っている人もいますが、天命を知った10年後で天の声を聞くというのも変なものです。なのでここでは「他の人の話に聞き順う」ということだと思います。「順う」は「従う」と違い、プロセス(順)にのっとるというものです。60歳で定年退職をするとただの人になり、中には昔の威厳を保ちたく、自慢話ばかりする人もいます。ただ、ここで認識しなければならないのは、銀座のクラブにしても、キャバクラにしても、自分の話を聞いてもらうのにお金を払わなければならないという現実です。年寄りの自慢話はみじめでしかありませんし、その先に新たな人間関係を築くのには障害になります。60で「ただのおじさん」になったら自らの力でまた人との接点を見出し、新たな人間関係を形成していかないと自分が属するコミュニティー或いは人間関係を構築することは困難なのです。

 

そこで人の話に耳を貸すということが重要になってきます。コンサルタント時代に私は時間に対するプレッシャーが高かったので、人の話を聞く以上に説得をすることに時間をかけていたような気がします。学生の指導をする際も牧師になる際にも話をすることが自らの役割と勘違いしていた部分がありました。どんなに良い話ができても、相手との人間関係が構築できなければ牧師としては失敗です。相手の立場になり、ゆっくりと時間をかけ相手の考えや状況を理解することで、徐々に人間関係を構築するといった地道な努力が牧師には不可欠なのです。そしてその信頼関係ができないと人々はなかなか自分の言うことに従わず、彼らのリーダーとなることはできないのです。コンサルとは違い、人生となると気持ちが重要になるのでロジック以上に思いやりが重要になり、親身に話を聞くということをしないと、特に年配の方との人間関係を構築するのは困難です。相手の話を聞き、理解するからこそ、長い人生経験からくる適切なアドバイスもできるし、何より話を聞くことで構築した人間関係があるからこそ相手の考え方に影響を与えることができるのです。

 

60でリタイヤしたら新たな人間関係を模索しなければなりません。結婚していても、ずっと家に居てゴロゴロしていたら邪魔にされ、高齢離婚の道まっしぐらになります。多くの人はまだ20年、30年と生きるのです。だからこそ新たな人間関係を模索しなければならないのです。私は個人的には高齢者のシェアハウスは面白いと思います。日本に帰ったら教会を通じてつくってみたいとも感じています。そしてその際には相手との相性が問われるので、「聞く力」「人間関係構築の力」が重要になるのです。孔子でさえ「耳順う」と言っているのです。さすが孔子ですね。60歳にして最も必要なスキルであると思います。

 

孔子が存在した紀元前500年ごろの平均寿命は30~40と言われてます。その時代に孔子が70過ぎまで生きたということは、現代で150まで生きるようなものです。逆に言えば、当時の人には、40にして、50にしてと言われてもそこまで生きないのでまったく意味がなかったことになります。つまり、この孔子の教えは、現代の方がむしろ適切にあてはまるものであり、人生80年以上と考えると意味を成します。

 

平均寿命は順調に伸びており、より多くの人が長生きしています。ただ、この長生きが計画を崩し、確定拠出型の年金制度を破壊することになりました。年を取れば病気も増え、医療機関に対する依存度も増してきます。年金、医療、そういった社会保障に依存しなければならないというのが「老いる」ことの現実だと言えます。ただ長く生きるということは社会にとって別にプラスになっているわけではないので、周りの負担に依存していると感じることは生きる上での希望にはなりません。そこで、多くの人は健康に、そして社会に何らかの貢献、そしてこの世に自分が存在したことによる何らかの価値を残していきたいと思うはずです。50までは自分の為、家族の為、そして将来の為に必死で働き、貯蓄をします。50にもなると、子供が自立し、住宅ローンの返済も終え、まさに人生のターニングポイントになります。人生100年と考えれば、セカンドハーフの人生の始まりになります。何を目標に後半の人生を生きていったら良いのでしょうか?

 

4.子曰、五十而知天命(50にして天命を知る)

 

この孔子の言葉から50は知名と言われるそうです。では何を知ることなのでしょうか?天命とは天から与えられた命令のことだそうです。50にもなると多くの人は、子育ても終え、お金儲けにはそれほど関心が失せていくようです。そして何らかのゴールを模索します。そのゴールを天から与えられるというのはありがたいものです。キリスト教ではCALLINGという言い方をしますが、自分が神から与えられたギフト(タレントや資金)を神が良しとする目的に対して投資をするという神から召される使命です。つまり、天命というのは自分がこの世に生まれてきた意義のようなものです。これが「ある」「ない」では生きる希望という視点が大きく変わります。50歳は人生の過渡期であり、日々の生活に新たな目標がないと、定年退職後の鬱や、熟年離婚などの問題を引き起こしかねません。自分の存在意義がなければ希望が見いだせず、パチンコ、酒、テレビなど無駄に時間を過ごし終わってしまいます。

 

その目標を考える際に意識しなければならないのが、「死」です。生きる目標とはその終わりを意識して初めて意味を成します。死ぬ歳に、「世に対する役割を果たすことができた」と満足して死ねるかということです。以前、宗教や神の概念がこの世に存在するのは「死」があるからだと大学の宗教学の教授が言っていました。確かに人類の歴史に宗教、「神」の存在は大きく影響し、哲学の世界でも「人間の存在」を神と関連付けて研究がされてきました。科学が進んだ現代で、この考えは時代遅れだという人もいます。ただ、世界の80億の人口の内、無宗教の人の割合は僅か12%であり(宗教辞典)、日本人のように無宗教が多い国であれ、「霊」や「見えない力」を信じる人は少なくありません。更に「死を意識した際」特に自分が避けることのできない死に直面した際に「神様助けて!」と神にすがるという行動は不自然ではありません。

 

孔子がここで「天命」といっているのは天、あるいは神のような絶対的な存在からくる命令ということなので、50を過ぎたらその天からの命令に耳をかしなさいというメッセージです。私は牧師になるために神学校に行きましたが、そこには50代の医師、弁護士、NASAのエンジニアなど、それなりに人生のキャリアで成功した人たちが多くいました。殆どの人がCALLINGがあったと言っていましたが、どちらかというと、それを模索していたという表現の方が良いかもしれません。つまり、それは自分が生きる意義とこの世に何を残すのか、ということです。それは自分が死ぬとき、そして自分が信じる神と直面した際に、命令を果たしたと報告できるかどうかです。死ねば、財産も、名誉や権力も天にもっていくことはできません。この世に残るレガシーも、要は残された社会に何を貢献したかということにつきるのです。

 

15にして志し、30にして独立し、40に自分が職能を極めたのであれば、50になればレガシーを残すため、死ぬときに後悔がないように天の声を聞き、それに従うということを考えなければならない。この50の天命を知るということが人生で最も難しく、重要なキャリアプランとなることでしょう。おじさんは人の邪魔をしたり、自慢話をしたりするような時間はなく、むしろこの新たな、重要な課題に日々忙しく過ごしていなければならないのです。社会のお荷物になるのではなく、社会への貢献に日々没頭するのが50代の生き方なのです。

 

42は厄年と言われ、昔から良くないことが起きる年齢だと言われています。実際、脳梗塞、心筋梗塞といった突然死は40代以降に急上昇します。実に死因の20%にもなるほどです。(日本循環器学会資料)過労死などもこの年齢で多いのですが、要は仕事のストレスに体がついていかなくなる年齢なのです。なので、40歳以降は人を使い、自分は後任の育成及び判断をする仕事をするべきです。30代の感覚で無理して働いている場合、過労死のリスクのみしかないので、生命保険に入るか、自分の仕事を見直す必要があります。私は43でコンサルティングの会社をリタイヤし、第二の人生を歩むことにしました。数年後、同僚のコンサルタントが出張中に心筋梗塞でなくなりました。まだ40代の元ラグビー選手で健康な人でした。コンサルティングは出張が多く、ストレスレベルが高い仕事ではありましたが、40代にもなるとだいぶ慣れてくるので、脳ではストレスとして捉えなくなります。但し、体はそうはいかないのです。

 

3.子曰、四十而不惑 (40にして惑わず)

「惑わず」とは的確な判断ができるということです。「若気の至り」という言葉がありますが、若いときは良い判断ができない、間違いを犯すという傾向があります。でもまだやり直すことができます。若さゆえにです。但し、人生の半分である40にもなってこういった間違いは命取りになります。40にもなったら、的確な判断ができるようになっていなければなりません。仕事は若い人に任せ、自分は指導と判断のみに徹するべきです。長時間労働や過度のストレスがある環境にいてはならないのです。

 

もし、15にして志し、30にして自立していれば、40までにそれなりの経験と実績があるはずです。それが故に、人に指導できることもあるはずです。従来、特に職人などの世界ではある程度この年功序列的な職業スキルのProgression Modelがありました。ところが近年のテクノロジーの変化がそれを一変させました。若い人の方がテクノロジーの活用が早く、世の中がテクノロジーによって変えられていく中、テクノロジーに対応できない「おじさん」は存在価値を見失い、社会的にも邪魔者扱いされるようになってきました。これは「おじさん」が現状にあまえ、テクノロジーに対する判断を誤ったということが言えます。但し、たとえテクノロジーを理解することができなかったにせよ、「人を育てる」というスーパーバイズする能力があればそれなりに存在価値はあり、邪魔者にはならなかったでしょう。温故知新とは同じ孔子の言葉だと言われています。「子曰く故きを温め新しきをしれば、もって師たるべし」つまり、昔から伝わる若者への指導能力と、新しいテクノロジーの意義をちゃんと理解していれば、先生として務まり、若者もついていくのです。日本に邪魔者おじさんが増えてしまった理由はテクノロジーの進化についていけなかっただけでなく、成熟して肥大化してしまった組織にいて、なかなか昇進の機会がなく、更には模範になるような上司のいない環境で、しっかりとした人材育成がされていなかったことにあります。それが最近のセクハラ、パワハラといった問題につながっているのだと思います。スポーツでも現役をリタイヤしたらコーチなど人材育成に徹します。社会人も同様で40を過ぎたら人材育成のスキルをしっかり身に着け、指導をする仕事に徹するべきです。

 

同時に40を過ぎたら健康管理を優先すべきです。過労死は自分だけでなく、家族、周りにも悲劇をもたらします。特に日々の運動と、食生活の見直しが必要です。私がコンサルタントの時はとにかく外食が多く、外食はカロリーが高くコレステロールが高くなりました。野菜を多くとり、適度な運動をすることを優先すべきです。そういった健康管理が日々のルーチンとしてスケジュールに入ってなければならないのです。同時にそういったルーチンのスケジュールを立てることができないような仕事はやめた方が良いでしょう。たとえ所得を犠牲にしたとしても健康を優先すべきです。

 

更に自分が生きる環境に関しても常にだれかに見てもらえるような職場、家庭環境が必要です。昔、偉人には付き人がいました。そして付き人がその人の安全や健康をチェックしてくれたのです。突然死の場合はすぐに発見されるかどうかが生死を分けます。特に月曜の朝に起きる可能性が高いらしいので家庭内でも誰かにみてもらう必要があります。最近は未婚で一人暮らしの40代が増えているようですが、昔からなぜ人は結婚をしていたのか、生きる上でなぜパートナーを必要とするのかを恋愛という枠を超えて考えてみる必要があります。なので、この年齢ではある程度の貯蓄が無ければそのような環境はできません。それ故、15にしてしっかり学業を志し、30に独立できる水準でしっかりと働いていた実績が意味を成します。そして40にもなれば人を指導し、使い、自分の仕事は第一線から身を引き、出張や労働時間も減らすようにしなければなりません。つまり、十分な金銭的な貯蓄と知識と経験の貯蓄がなければ恵まれた40代を迎えることはできません。更には必要以上の貯蓄は必要ないので、仕事をある程度人に譲るという節度と余裕も必要になります。

 

40歳になった人の殆どは、40になった、自分は中高年の域に入ったという自覚がありません。私も40の頃出張中に頭がくらくらしたので病院で精密検査を受けたことがあります。本人はまったく認識がないと思うので、40になる人がいたら、誕生日のプレゼントとしてこのメッセージをコピーしてあげるといいでしょう。

新年あけましておめでとうございます!2024年はどのような年になるでしょうか?

 

今回は家族で一緒に日本で新年を迎えています。私の娘はCOVIDの間に通った日本の中学の友達と久しぶりに会っています。そんな中で、娘が「不思議」と感じたことがあるそうです。それは皆それぞれの高校に進学していて、「偏差値が…」とランク付けしていることです。日本では自分が「何に属しているのか」がとても重要であり、その属する団体の格付けが重要になるのです。YOUTUBEで面白いと思ったチャンネルにWakatteTVというのがあり、そこでは「学歴マトリョーシカ」というゲームをやっています。街中で人々にインタビューをして、相手の学歴を当て、その出身校の偏差値を低い順に並べてマトリョーシカを完成させたら勝ちというゲームです。面白いのですが、偏差値で人をランク付けするコメントをしているので、日本では偏差値がそこまで重要なのか?と不思議に思います。そして、日本では自分がどこに属するのか、そしてその属する団体の偏差値自体が、その人の格付けになるのかというある理不尽かつ不自然な上下関係のようなものがあるのかと疑問に思います。

 

日本では国家公務員や大企業に就職することで将来は安定するといった神話があります。ただ歴史的にそこまで長く続いた企業はないし、公務員という仕事は、奉公のようなものであり、そこで身に着けたスキルは特殊なもので汎用できません。不沈と言われた戦艦ヤマトは空母による航空戦に対応できずあえなく沈みました。大企業はその大きさ故に沈むときに止めることができなくなります。資本主義の世界であれば、資本家(経営者)でなければその醍醐味を体験することはできません。鶏口牛後ではありませんが、日本人が牛後であることを良しとするのはどうかと思います。

 

2.子曰、吾三十而立 (30にして立つ)

自立をするということはどういうことでしょうか?もうすぐ成人の日が来ますが、二十歳になったら自立なのでしょうか?就職をしたら自立なのでしょうか?

 

職人の世界では、弟子入りをし、仕事を学んだら自立し自分の店を開きます。医学を志すと医学部を出て、インターンで経験を積み、その後初めて専門医か開業医などの道を進むようになります。弁護士や会計士も同様に資格試験を通り、現場の経験を積んで初めて自立をすることができます。その年齢として30というのは妥当な年齢です。自立をするということはプロとして自分の腕で仕事をして生活をするということです。

 

サラリーマンや公務員という仕事はまさに歯車の歯であり、使用人に過ぎません。そしてそういう過去からの伝統に取りつかれた企業では年功序列で少しずつ責任が増えていきますが、日々の仕事内容に関してはあまり頭を使わない作業的な仕事に携わることになります。日本の義務教育同様に全員同じ尺度で仕事を任され少しづつ仕事になじんでもらう流れになります。ただ、現実の社会、現実のビジネスの世界は動きが早く、競争も過酷です。大企業や公務員は大きな船に乗っているような錯覚に陥り、波の激しい現実の世界とは乖離してしまいます。巨大な豪華クルーズとは異なり、大企業や公務員の大型の船は順調むという約束はありません。船から落とされることもあれば、船がばらばらになってしまうこともあります。その際に激しい荒波の中、自分の力で生きていくことができるでしょうか?今の日本はまさに自分の船に自分の将来を任せることができない状態になっています。技術を身に着けて船から船を渡り歩くキャリアの人も少なくはありません。サラリーマンや公務員にとって「自立」とは何を意味するのでしょうか?

 

60までキャリアがあると想定すると、30はちょうどその半分になります。人生で何かを目標にしているのであれば、30にはその目標とするポイントに近づかなければなりません。プロのアスリートはよく肉体的なピークは30という人がいますが、ビジネスマンも30がそのピークであることは間違いありません。30までは転職も楽にできるかもしれませんが、30過ぎるとやや困難になっていきます。公務員はわかりませんが、大企業ではだいたい30になると、出世コースか、50で再雇用になる通常コースか分かれてきます。なので仮に大企業に魅力を感じていて継続的に頑張ろうという気力があるのであれば、ある程度のPositionまでの昇進がなければ、その会社を去った方がより飛躍したキャリアを歩める可能性があります。つまり、30までには自分がプロのビジネスマンとしての役職につくか、起業するなりしてプロとして自分でやっていくという状況にならなければなりません。つまり30までには自分でどのようにキャリアを歩むか決めてその方向に動くべきです。やはり孔子に学んで30には「立つ」=プロとして自立するということが必要です。

 

プロになるということは自分が社会に貢献できるスキルを持っているということです。偏差値、学歴、公務員、そういったことは世界では通用しません。将来的にそういった日本特有のものは徐々に意味がなくなっていくでしょう。自分がプロとしてどういう形で社会に、世界に、貢献していけるのか30歳になるまでにはそれらをしっかりと身に着けてもらいたいと思います。2024年を迎えるにあたり、それをNew Year’s Day Resolution(新年の抱負)として考えてみてください。

 

 

 

人生においてその年代年代においてやっておくべきことがあります。競争が厳しい将来においては特にそういった備えが重要になります。例えば10歳の子供を将来アメリカのトップクラスの大学に入れて海外で働かせたいという場合、重要になるのには勉強以上にスポーツか芸術(或いはその両方に力を入れさせます)。なぜかというと、アメリカのトップクラスの学校を狙う場合は勉強はまずはその一部に過ぎず、それ以外にスポーツ、芸術、リーダーシップなどのエリアでの成果が必要であり、人格が見られます。思春期の頃(11歳~15歳)は、それらの領域(運動神経、芸術神経)が最も伸びる年齢だから、その分野を伸ばしていく必要があります。本来であれば思春期は退屈な学校のクラスで無駄な時間を過ごすのではなく、自分を鍛える為に日々忙しくしていなければならないのです。

 

ビジネス的な側面で言えば、日本の大企業の場合、50代、60代にならないと役員にもなれず、それなりに企業経営という資本主義の醍醐味の経験ができません。ただ、健康面で言うと、50代以上の癌になる可能性は25%、脳梗塞、心筋梗塞などの突然死のリスクも一気に上がります。子供も成長し、そこまで大きなキャッシュフローも必要ない中、高い役員報酬をもらう必要性もありません。更に、ビジネスの見直し、組織再編成や売却などといった思い切った改革は、その組織に何十年もいる人間が企画実行するには限界があります。なので熟年者は仕事をバリバリするより、自分自身の健康管理に努めるべきです、組織での役割においても、人材育成や、判断をするような仕事に徹し、プライベートでは、より人生を豊かにするようなことに時間を投資すべきです。

 

こういった年齢と時間の過ごし方の不一致が人生の無駄を生むことになるので、今から2500年前の儒教の生みの親、孔子の教えに沿って考えていきたいと思います。まずは若年期です。

 

1.         子曰、吾十有五而志于学 (15にして学を志す)

15歳までは前述の通り、スポーツや芸術に力を入れることが理想的です。子供を塾に通わせ、試験のテクニックを学ぶというのは無駄なことです。というのも、そのようにテクニックで学べることは学問ではなく、科挙制に始まる一斉試験による人材の振るい分けは効果的に人間としての優秀さを測る物差しとしては時代遅れなのです。グローバル化の中、世界中の優秀な人材が国を超えて世界でトップクラスの学校を受験しようという流れがあります。日本でもトップクラスの高校生は日本だけでなく、海外の大学を視野に入れています。将来的に、グローバル化の延長で人材をグローバルに採用することが広がる中、世界のトップクラスの教育を受けない限り人生の成功の可能性も減ります。そして、トップクラスの大学、例えば、ハーバード大学を目指す場合は、15歳ぐらいである程度合格を意識した自分のバイオを築いていく必要があります。まずは自分が将来どのような人生を歩みたいのかVISIONを持ち、大学での専攻科目を決め、トップクラスの大学に合格するためのレジュメに載せる実績づくりをしないと合格はありません。ハーバードクラスの大学に合格するには、15歳、高校1年であれば、クラスではAPと言われる大学レベルのクラスを2~3取り、良い成績を残す(APテストで5)必要があります。更に、数学のコンテストでの優勝、スポーツで全米トップ200、芸術で何らかの賞をもらうということを実現する必要があります。逆に人生を変えるような大きな体験をするというのも必要です。

 

高校2年、高校3年の16歳、17歳では、理数系であればAP Calculous AB BC, AP Stat, AP Biology, AP Chemistryといった教科、文系であればAP English, AP外国語、 AP World History, AP Human Geography といった教科でAを取り、APの全国試験で4か5を取っておく必要があります。ここで日本から受験する学生には大きなハンディキャップが生まれます。というのも日米の教育方針の大きな違いにより、日本は大きく出遅れることになるのです。日本は万人教育に力をいれており、一定の水準の教養を全員に与えようとします。だから全員同じ教科を同じペースで学び、高校で履修する範囲のことも固定化されており、上級のクラス(大学レベル)を提供する学校は僅かであるからです。アメリカの場合は、小学校からできる子どもを分類し、特別な教育を提供します。私の子供は公立校に行きましたが、そこでは特別なプログラムがあり、中学校にしてAP Calculous AB BCを終えていました。なのでトップクラスの大学を目指すには、そのようなプログラムに入っていて大学受験の年まで多くのAP科目を終わらせておかねばならないのです。ただ、ハーバードの場合は学校の成績だけでなく、スポーツの実績、芸術などの実績、リーダーシップ、コミュニティーへの貢献、起業といった実績があればアカデミックの補填ができます。例えば、アスリートとして全国トップクラスの成績、芸術での何らかの受賞、起業やNPO活動において何らかの実績を上げるといった体験が必要になります。アスリートの場合は、アメリカでは大学がスポーツに力を入れているので、全国の高校アスリートのランキングがあり、星がついています。通常その星が3以上あると大学のアスリートとして迎え入れるだけの実力が評価されることになります。更に大学や研究機関でのリサーチなどをすると合格率は上がります。だから、そういった特殊なインターンは人気があり、合格するのは困難です。最後にPSATという全国模試を受け上位に入りNational Merit Scholarに選ばれると合格の確立が上がります。

 

18歳(高校4年)日本は試験だけで終わりですが、アメリカの大学受験は一年かけた非常に長いプロセスで、SATやACTといった一斉試験、エッセイ、面接といったかなり面倒なプロセスがあります。更には授業料が非常に高いので奨学金を獲得するために様々な面接を受ける必要があります。高校4年で成績が落ちると合格がなくなったりする問題もあります。なので、最後の最後までのんびりできないのがアメリカ大学受験であり、それらを考えると日本の大学受験は楽だと思います。但し、逆にアメリカ大学受験は面倒なだけコミットメントのレベルが上がります。

 

ということで吾、15にして学を志すということは、15にして以下の項目をクリアすることです。

1)将来のキャリアパス、選考を決め、それに備える。

2)合格できるための教養を得る(APクラス、成績、SAT)

3)スポーツやアートで全国トップクラスの成果を出す(だから15まではスポーツ、アートに力を入れる)

4)クラブ活動、地域団体などに属するか起業をし、将来的にリーダーになる下準備をする。

5)何らかのチャレンジに直面する(これは客観的に見て大変なチャレンジ)

こうしてみると上記の項目は成長の過程で必要とされる人格育成の基礎になります。なので、アメリカの大学を受験しなくても15歳ぐらいで上記の項目をクリアすることに意義があります。

 

子育てをすることは親の仕事であり、学校や塾などにアウトソーシングしている人がいるかもしれませんが、その場合には、その学校が適切な育成をしているかチェックする必要があります。2024年を迎える際にそれについて考えてみてはどうでしょうか?

 

CVSでの大学留学サポートプログラムは終わりましたが、今後はアメリカの大学に合格するだめの支援を提供していこうかと考えています。具体的にコーチングが必要な人はコンタクトしてください。私は定期的に日本に来て浅草北部教会にてメッセージをしますので、そこで会うのがベストでしょう。明日は10時20分から日曜礼拝のメッセージを担当しています。良かったら来てください。

学生時代に当時、リクルートコスモス事件で揉めていた安倍晋太郎代議士(安倍晋三元首相の父親)が会長を務める自民党の団体で秘書のアルバイトをしたことがあります。私が留学するジョージタウン大学の客員教授が発起人で、元国連大使やジョージタウンの著名な教授陣も来日し、明治記念館でかなり大きなPARTYを開いたのを覚えています。当時の名刺やリストが出てきたので見ていたら、安倍晋三元首相が安倍晋太郎氏の秘書と書いてあるので、どうやら私も会っていたようです。当時は華やかな政治の世界、派手なPARTY、そして鳩山由紀夫、邦夫代議士や中川昭一代議士など身近で見ることができ、そのような体験ができたことでかなり興奮していました。ただ、その団体も含め、政治の裏の世界を見てしまった部分もあり、ジョージタウン留学後は、国家公務員や政治の世界に入る意思は消え、むしろメディアに行きたいとNHKワシントン支局でインターンなどをしました。あれから30数年、今回の政治資金の問題でようやく安倍派の先行きもあやしくなってきました。

 

前回、アハズ王の話をしましたが、聖書には悪いリーダーにより国家が退廃していく歴史が書かれています。企業経営もそうですが、良いリーダーがいれば企業は成功します。国家も良いリーダーが建てば繁栄をもたらすことができるはずです。ただ、日本の場合は、環境や伝統・風習といったものが大きく、なかなか変革をもたらす良いリーダーを生むのは困難だと思います。日本の大企業もそれと似ていて、私が経営コンサルティングをしていて、日本の親会社、取締役といったレベルになると、その体制の変革をするのは著しく難しいと感じました。それが、もっと大きな日本という国家、政治となるとほとんど不可能ではないかと感じてしまいます。だから、CVSの卒業生には大企業に就職するのではなく、コンサルや起業することを勧めたのですが、その道に進んだ人は活躍が見えますが、大企業や公務員になった人は消えて見えなくなってしまいました。

 

日本社会にはその根底に良くしていこう、改善していこうというエンジンはあります。ただ、それらは唯一政治的な利害が一致した際に実施にむかっていきます。今回も何らかの政治的な意図と結びつき、政治献金の疑惑も内部から何らかの手が入り動いたものと想像できます。一見、襟を正すような浄化に見えますが、抜本的に伝統や慣習を改めるようなことにはならないでしょう。結局は何らかの政治的勢力争いであり、過去起きてきた政治的摘発の一つでしかなく、国民にとっても「またか」というワンパターンのハリウッド映画を見ている気分にしかならなず、古代イスラエル同様に退廃の道を突き進んでいってしまうのです。

 

安倍元首相が暗殺され、統一教会問題がようやく動き始めたことなどはかなり大きな方向転換ではあります。ただ、統一教会の問題はもう30年間も取りざたされていたことであり、ジャニーズの問題を含め人が死なない限り変革を起こすことができないのでしょうか?ここまで時間がかかってしまう「変革の遅さ」は徐々に日本を弱体化させていくのではないかと心配しています。歴史的に日本人は自然災害、戦争、外国からの侵入などの危機的な状況にはしっかり対応できていますが、内部の浄化、改善、改革といったものはなかなかうまくすすんでいません。なので、日本崩壊のシナリオとして成り立つのは、大きな自然災害や、戦争ではなく、がん細胞が体を蝕むように、内部から徐々に弱体化し、最終的に分裂崩壊していくというものです。特に人口が減り、将来的に高齢者が増える中、現在抱える水準の財政赤字をどのように処理していくのか?前途多難の日本将来を変革するようなリーダーが現れるのでしょうか?

 

これらの「遅さ」にある根本の問題は、「空気を読む」といった日本の文化の中にある、人々が作り上げる雰囲気や反応にリーダーが気を取られすぎているという問題があります。政治は日本国民の国民性の表れであり、最終的に苦しむの国民であるが故、それを変革できないのはむしろ国民の意思なのかもしれません。

 

キリストを十字架につけさせたイスラエルの国民は、ユダヤ戦争を引き起こし、国は崩壊し、DIASPORAというイスラエル民族が離散してしまうという悲劇を生みます。『歴史的に預言者「変革者」に耳を貸さなかった祖先達』とステパノは言っていますが(使徒行伝7章)、人々が予言者、そしてキリストまで十字架につけ予言を聞こうとはしません。そのユダヤ人は結果的に国を追われ、離散し、行った先々で差別を受け、つい100年前にはホロコーストという悲劇まで体験します。70年から1945年までの実に1800年以上も離散していくのです。衰退する大企業同様に現状維持を好むそのカルチャーが故に、崩壊が待っているのです。日ユ同祖論の中には、日本人もユダヤ人の一部が入っているという考えがあります。そのユダヤ人が歴史的に背負ってきた苦労を日本人も引きずってしまうのでしょうか?私は日本人であり、日本が好きです。何とか、今後とも日本が豊かな国であってほしいという願いがあります。ただ、趣味で書いているSF小説では日本の半分は中国になっています。日本の政治が良くなり、経済、産業で世界をリードできるような良い国になるためには、変革を受け入れる「空気」を人々が作り出す必要があります。今日も変わらない空気の中、年末の一日を迎えようとしています。

 

明後日(12月31日)、浅草北部教会での礼拝にてイザヤの予言が意味することについてメッセージをしますので、来れる人はきてください。礼拝は10時15分に始まります。お土産をもっていきます。会うのを楽しみにしています。

アメリカはクリスマスの雰囲気一色で、ここハワイでもどこにいってもクリスマスのイルミネーション一色です。LAにいるときに思ったのですが、南国なのに雪だるまのオブジェがあったりしてもう少し気の利いたオリジナリティーのあるクリスマスデコレーションをしてくれないものかと感じます。

 

さて、クリスマスには幾つかJargon(用語)があります。NOEL(ノエル)、ADVENT(アドベント)、MAGI(マジャイ)など、皆さんは意味をご存じですか?そしてクリスマスにとても重要な用語はイマヌエルです。NOEALなどはラテン語ですが、イマヌエルはヘブル語です。これはイム(עם)~と共に、ヌ(נו)~我々と、エル(אל)神という意味です。エルはアラビア語ではアラーなので同じセム語を語源にしているので想像しやすいかと思います。「我々と共にいる神」という意味です。これは新約聖書のマタイ伝の中の重要な言葉であり、そこに訳も書いてあります。(1章23節)。マタイ伝はキリストの家系図で始まるのでユダヤの予言に基づくキリストの誕生ということが中心になっているのでユダヤ人を対象に書かれたようにも見えますが、ここで訳がでているので原語はギリシア語だと考えられます。重要なのはマタイ伝の最後にある復活のキリストが昇天する際に「あなた方とともにいる」(28章20節)とキリストがいうことです。マタイ伝の中で神はどこにいるかというと、「神は我々と共にいる」というのが大きなメッセージであり、それが意味することがどういうことかというのは12月31日に浅草北部教会にてメッセージをしますので、その際に話します。

 

このイマニュエルは旧約聖書のイザヤにより予言されたのですが、そのイザヤが予言をする場面がなんとも不思議な状態にあります。それはアッシリア文明による脅威の中、南イスラエル国家(ユダ王国)存亡をかけたアハズ王にイザヤが予言をするものであり、そこには人間対神の面白い対比が書かれています。ヨシュアが占領を成功させ、ダビデが大きな国家にしたイスラエルも最終的にはキリストを十字架にかけ、キリストの弟であるヤコブが処刑されエルサレム教会がなくなった後におきたユダヤ戦争で完全に破壊されます。(古代メソポタミア文明からユダヤ人の歴史が始まりますが、よそ者であるユダヤ人が、今のイスラエルであるカナンの地にこだわるのは聖書の歴史の中でも非常に面白い部分です。そしてこの地は古代から色々な部族が住んでいて、奪い合いの歴史の中にあります)。

現在のイスラエルはシオニズム運動で戦後建てられた国家であり、周辺のイスラム国家はその占領行為自体を認めないという考えがあります。ただ、その考え自体は今から3000年以前から存在しており、当時の地図には現在のガザ地区にはすでにパレスタインが書かれています。まだ少年であったダビデが戦った相手、ゴリアテはペリシテ人であったと書かれていますが、まさにそのペリシテというのがパレスタインであります。そしてパレスチナ人がどのように来たのかというストーリーも不思議で、「紀元前1200年の大惨事」と言われる世界史で学習する青銅器文明が次々と破綻していった謎の出来事に出てくる「海の民」であったともいわれています。この地における占領と戦いは昔から今まで続いています。

 

こう考えると、イスラエル、そしてパレスチナ問題というのはそのルーツに長い歴史が関わっているので、簡単な問題ではないと言えます。ただ、今回の紛争は、神に選ばれた民と信じるユダヤの民が、神の目から見て妥当なことをしているのかというとそれは疑問であります。そしてその陰にアメリカがあることも非常に大きな意味があります。イスラエルのネタにエフ首相がアメリカがパールハーバーや9・11にやったことと今回のイスラエルの徹底的なガザの破壊を重ねていることは非常に面白い対比であります。パールハーバーはアメリカは知っているのにわざとやらせたという陰謀説、9-11はアメリカの情報局の油断であったという説。これらはそれぞれ信憑性のある説であり、結果として、第二次大戦には日本、そしてアフガニスタンやイラク、これらは徹底的にアメリカ軍により破壊されます。今回も明らかにイスラエルの油断と、安全管理の問題によりハマスの攻撃を許してしまいました。アメリカはイスラエルの攻撃に批判もしますが、止めようとはしません。そしてその矛盾がウクライナ戦争のロシア批判に影を落としています。

 

2024年はどのような年になるかわかりませんが、人類の歴史は常に戦いの歴史であり、神の意に反する行動の連続です。そして聖書はそれがいつまでも続くかのような予言もあり、将来は必ずしも良い方向に行くとは限らないというような気もします。日本は特にそうです。そのような中でどのような希望をもって生きていけるのかというのは重要な課題です。

 

12月31日には浅草北部教会にて10時15分より礼拝があり、私がメッセージをさせて頂きます。そこには希望があるかと思います。是非とも皆さんお気軽に聞きに来てください。ハワイかLAからお土産も持っていきます。できたら礼拝の後にお茶でも飲みながら意見交換などもさせて頂きたいと思います。

皆さんお久しぶりです。今年2月からハワイに来てます。Olivet Baptist Church というワイキキからそんな遠くない教会でBusiness Administrator として働いています。UCLAのビジネススクールに留学で来たアメリカ、知らない間に30年もたち、日本に帰ろうと思っていたのですが、ハワイで止まってしまいました。

 

私が初めて来たアメリカはハワイでした。姉がハワイ大学にいたので、その姉を大学1年の時に訪問して一か月滞在しました。その時はハワイがとても大きな場所に思えました。今回LAからくると、ハワイは遠い地方であり、実に狭い小さな島であるという感じがします。アメリカ西海岸から飛行機で5時間、4000キロ以上も離れています。ニューヨークからだと8000KMも離れています。東京から8000KMというとアラブ首長国連邦のアブダビまでの距離です。いくらなんでも離れすぎではないかと思います。時差も東海岸から5~6時間もあり、大統領選挙の際には投票に行っているのにもう結果がでていることがあるとのことです。さらにホノルルがあるオアフ島は小さな島で車で数時間で一周できます。空港までも15分ぐらいで行けて、便利ではあるのですが実に小さな島に「島流し」にあってしまったと感じることも少なくありません。80年代にジョージタウン大学に留学をしていた際にダニエル・井上というハワイの空港に名前がついている上院議員に会ったことがあります。442日系人部隊にいたこともあり、家族の知人に442部隊の関係の人が多かったので、身近に感じたのですが、今改めてよくもこんなに離れた島の意向をアメリカ政治の中に浸透させたと感心しています。

 

アメリカはハワイを獲得することで太平洋を制するのに重要な領土を得たことになります。なのでハワイはかなりの恩恵をアメリカに与えているので、軍事を含め色々な支援を得る権利があると思いますし、実際、かなりの予算を得ています。特に第二次世界大戦の日本軍によるパールハーバー攻撃はアメリカ軍の歴史的重要性を永久的なものにしました。最近では中国の軍事増強もあるので、軍事拠点としての重要性は今後とも続きそうです。グアムもそうです。但し、ハワイの人の多くは自分のIDENTITYをアメリカ人というよりはハワイ人、あるいは日系人などと思っていて、本土に比べアメリカ人としてのIDENTITYは低いような気がします。更にその歴史的な背景から白人をハオリHAOLE(よそ者)と呼び、歴史的にアジア人の移民も多いことから、アジア人でも安心して住める雰囲気があります。なので、こんな島を日本人が気に入る一番の理由は気候だけでなく、この独特の文化からくる「居心地の良さ」があるのではないでしょうか?そして経済を軍と観光に依存しているこの島にとって、観光産業で貢献してくれる日本人の存在は非常に貴重なものでした。

 

但し、そんなハワイはアメリカの中で特に物価が高く、最近の円安ドル高は日本人観光を呼ぶには逆風です。更に日本の経済の停滞は構造的な問題なので、金利を上げることが難しい日本にとって、今後ハワイは遠い島になっていくでしょう。「昔よくハワイに言った」という日本人が増え、ハワイ観光は金持ちの道楽になっていくでしょう。

 

ハワイは教育面では問題があり、私の家族はLAに残ることにしました。ワイキキにコンドを買ったのですが、月の3分の1は使ってないので、CVSの卒業生とか使いたい信頼できる人がいたら貸してあげますよ!車、自転車もあるし、サーフボードも買う予定なので、使っていいです。イリカイホテルの反対あたりにあります。海も花火も見えます。月末に日本に帰るので興味がある人は会いに来てください。円安で日本人にとって遠くなってしまったハワイをまた簡単に行ける支援をしようかと考えています。

情報がグローバル化した現代、ロシアのウクライナ侵攻は、世界中の人々の前でプーチン、そしてロシア軍隊の非人道さを露呈させ、あっという間に世界中の人々の批判が過熱しています。プーチンは、時代遅れのリーダーだと言われていますが、第二次世界大戦の際のヒットラーのように、西側諸国の動きが遅いことを見越して、軍事力を前面に出した古典的な領土拡大型の侵略をしています。この戦争はプーチンの戦争であり、ロシアの人々にとっても災難しか生まない戦争であることは明らかです。1989年にベルリンの壁が崩壊した際に、私はジョージタウン大学で学んだ冷戦体制があまりにも大きく変化しているのに驚き、ベルリンに行き、壁を崩すのに参加しました。その際、プーチンも東ドイツにのドレスデンにKGB Agentとして駐在して東側の共産体制、ワルシャワ条約体制が崩れるのに驚き、その後のソビエトの分裂と民主化の波には大きな失望を感じたそうです。孫氏の兵法に「戦わずして勝つ」ことが最高の勝利だとありますが、冷戦は一見それが実現したような形で終わったかのように思われました。ただ、共産中国の台頭、プーチンの独裁化はまだまだ東西の対立が終わっていないことを感じさせます。そんな中、西側のリーダー、世界最大の力を持つアメリカは何を考えているのでしょうか?トランプ前大統領のコメントだけをみているとアメリカは、思慮が低くロシアの脅威を見過ごしていたように見えてしまいますが、今回のようなロシアの暴挙はある程度想定されていたのではないかと思います。ジョージタウン大学で、外交関連のシンクタンクなどで働く優秀な人をみてきましたが、アメリカの政策にはそういった専門組織の注意深い分析が背後にあるので、ウクライナ問題に関する想定できるアメリカの考えをNo Fly Zoneを焦点に見ていきたいと思います。

 

ウクライナの元お笑い役者であったゼレンスキー大統領は多くのアメリカ人にとって、民主主義のシンボル、ヒーロー的な存在になってきています。彼は効果的なコミュニケーターであり、イギリスに対してはチャーチルやシェイクスピアを引用したりして、人々の心を動かしています。アメリカのテレビのインタビューなどにも登場し、独裁者のプーチンと対極的なヒーロー的な存在になっています。特に今回の紛争はアメリカの歴史と重ねる部分があり、アメリカ人が自由を求め当時の大国のイギリスと戦った姿を感じさせます。独立当時アメリカをサポートしたフランスが、今のウクライナに対するアメリカの立場と重ねることができます。当時のフランスはアメリカに対して、物資的なサポートをしました。ただ最終的にフランスの存在意義を大きくしたのがフランス海軍によるイギリス軍を海で撃退したヨークタウンの戦いです。なので、無差別爆撃から人々を守り、No Fly ZoneをNATOを通じてアメリカが支援することはアメリカ人にとっても心から欲する部分ではあります。そしてゼレンスキー大統領はそこをうまくついた適切なコミュニケーションをしてきます。圧倒的な世論のバックアップがある中で、アメリカを中心とした西側諸国が、No Fly Zoneを公に否定しているのには、メディアでは、「エスカレートさせないため」と言っています。ただ、その裏にはこの紛争に関するアメリカの読みがあり、何らかの戦略的な「読み」が背後にあると思います。そのアメリカ側の「読み」について考えてみたいと思います。

 

1) ロシアのウクライナ侵攻はアメリカの関与なく失敗するという読み:ロシアの侵略が始まる前からバイデン大統領が侵略があると言っていたのは、ウクライナ人に対する警告であり、アメリカは当時の軍事体制や、過去のウクライナ国内における政治的な分裂から、あっという間にロシア軍が制圧すると想定していたのは事実だと思います。ただ、2014年の民主化革命にあったように、ウクライナ人の独立、反ロシアの思想の強さから、混乱の中で傀儡政権を建て、維持するのは困難であると想定していたと思います。なので、ゼレンスキー大統領を避難させるように促していたし、軍隊の配備もやや遅れていました。それは、ロシアを刺激せずにロシアを自ら失敗させるというシナリオです。でも、実際にはウクライナ軍、そして人々が立ち上がり、勇敢にも武力で戦うという道を選びました。現段階では、恐らくロシアは傀儡政権を早急にたて、何らかの合意でロシアの一部としてウクライナを早急に吸収することを考えているのが、プーチンの宣言から見て取れます。でも、ロシアの侵略にはいまだに成功のシナリオがありません。2200万のウクライナの人々はロシアの残虐な侵攻の被害者で彼らが、プーチンの支配下にはいることはまずないと言えます。つまり、最終的に失敗するロシアとわざわざ直接戦う必要はないということです。

 

2) NO FLY ZONEは戦略的に効果的ではないという考え:私がジョージタウン大学で取ったクラスで感動したのは、過去の戦争や戦いがどのように起こり、どのような戦術が有効であったのかということを分析するクラスでした。アメリカは、過去の実践をしっかり学び、専門家が分析しています。今回もNo Fly Zoneは必ずしも効果的な防御ではないという可能性があります。それはロシア軍の地上からのミサイルによる攻撃がこれからは中心になっていき、地上に対する空からの攻撃はNo Fly Zoneではすることができません。更に、DRONEなどを使った攻撃が効果的だと言われていますが、それをすることはNO FLY ZONEに反することにもなりかねません。恐らく別な手段でロシアの攻勢を防ぐ方法をアメリカが背後で支援する準備があり、表向きは「関与していない」と言わければ戦略として意味がなくなります。

 

3) プーチンが西側との直接対決を望んでいる可能性:アメリカでは拳銃の所持が認められていて、ほとんどに人は自衛のためだと言っています。でも中には「本当に拳銃を使てみたい」と感じている人もいます。プーチン大統領は核兵器を使ってみてもいいと感じているリーダーの一人であり、追い詰められた熊のように何をするかわからない危険な状態にあります。ロシアでは若者を中心に反プーチンの思想が広がっており、汚職も次々と明らかにっされています。プーチンも愛人の女性が2019年に消えて殺された可能性もあると言われており、何らかの恐怖心から今回のような無謀な軍事侵攻をしたという考えもあります。CNNでCIAの専門家が、独裁者が一番恐れるのは「権力を失うこと」だと言っていました。ロシアが戦時下になれば第二次大戦中のスターリンのようにプーチンも戦時下のリーダーとしてその権力を維持できるわけです。人権を重視する西側が簡単に核兵器を使うことができないことを知っているが故、喧嘩を売っている追い詰められたヤクザのようにプーチンがなっているわけです。ロシアが民間人を殺したり、無差別爆撃という惨い戦略をとっているのは、プーチンの意図的な挑発である可能性もあります。No Fly Zoneはプーチンに何らかの口実を与えることであり得策ではないのです。

 

4) Air Supportのタイミング、或いは規模の限定:前述した通り、アメリカにとってウクライナを支援することは避けて通れないものがあります。更にはMediaを通して伝えられるロシアの残虐な民間人攻撃はこれ以上許せないという世論をかきたてています。今後、状況によっては、NATOを通じて限定的に空からのサポート、更には民間人の救出を目的とした軍事活動がある可能性があります。ただし、戦争というのは全て手の内を相手に見せることは効果的ではないので、明確に「No Fly Zone」はないと言っておく方が、追い詰められたプーチンをエスカレートさせる抑止になります。同時に、ウクライナ民衆に対しても、ないといってから途中で実際にサポートをする方が、その逆よりは遥かに効果的です。アメリカ独立戦争の際になかなかフランスからの支援が届かずにラファイエットが批判されたということがありました。今のウクライナはその時のアメリカのようなのかもしれません。

 

5) ウクライナが独自の力でロシアを撃退し、プーチンが失脚する可能性:プーチンは予定通りにウクライナ侵攻はうまくいっているといっていますが、それが間違っているのは明らかです。ロシア国内で情報規制をしていることからも、プーチンにとってウクライナ軍、そして人々の抵抗は想定を超えるものであったと言えます。西側デモクラシーのリーダーとしてアメリカは見られていますが、アメリカ自体は世界に対する何らかの野望があるわけではなく、むしろ「アメリカ第1主義」にあるようにアメリカ国内により大きな問題があり、過去のモンロー主義にあるように海外での問題に関与することは消極的です。更に、過去のベトナム、そして最近のアフガニスタンでの失敗にあるように民主主義は独自の力で進めていかないとうまくいかないことをアメリカの専門家は知っています。表向きであれ、アメリカが独立した時のようにウクライナ人が独自の力でロシアとの戦いに勝つことが最もあるべき最終形なのです。復旧に関しては西側は圧倒的な支援をするだろうし、プーチンがロシアで失脚すれば、ロシアとの国交も回復し、更には中国の習近平に対する牽制にもなるので、それが起きることがアメリカにとっては望ましいシナリオなのです。

 

今回の紛争にはグローバル化、情報化の進んだ今世紀に、強大な軍事力を背景に覇権を握ろうとする前世紀型の紛争がどうなるのかという姿が見えます。世界からボランティアでウクライ軍に志願する人が数万人もいると言われます。ウクライナ側でロシアの軍人がどうなったのかという情報共有をネットでしたり、SNSなどで難民の支援や、民間のウクライナ支援の様々な動きがあります。更には、グローバル経済の中で、大規模な経済制裁、そしてロシアを孤立させることに何らかの抑止力があるのか、経済の影響はどの程度なのかを測ることもできます。この紛争は今後の時代を変える大きな要素があります。その一方、追い詰められたプーチンは引っ込みがつかない状況なので、世界最大規模の軍事力を更に投入し、紛争を拡大させ、より残酷な方向に向かっていくと考えられています。西側諸国が望まなくても、第三次世界大戦に発展するリスクは消えないのです。核兵器のような恐ろしい手段もちらつかせている上に、原子力発電所を攻撃するという手段を択ばない攻撃をしています。今後エスカレートし、無防備のウクライナの人々が殺される姿を見ることには耐え難いものがあり、早くこの紛争で終わり、更にはウクライナが自国を独自の力で守り、ウクライナ人が願う結果になることを切望してやみません。

先週、WallStreetを沸かせた出来事がGameStop(GME)の株の高騰です。数年前に3ドル台で取引されていたGameStopの株が急に高騰し市場を混乱させました。週の始めに30ドル程度だった株が水曜には300ドル、木曜には480ドル、そして急にRobin hoodなどのオンラインの証券会社などが株を買うことを規制し、一時期$100ドル台になるも金曜にはまた300ドル台に戻るという乱高下を繰り返しました。短期間に100培(最安最高で143倍)というのは明らかに異常事態です。

 

問題点は何か?

株の乱高下は市場では珍しいことではありません。ただ、今回の事象の問題は2点あります。まずは、今回の問題はGamestopの株はこれといって上がる理由のない斜陽の会社の株です。市場のファンダメンタルズからいうと、300ドルという価値はありえない水準です。それは、Redditというオンラインの株式チャットで人々と影響させ、一般人がこぞって株を購入させ高騰させたということです。これは株式市場に関する信用にも関わるので問題です。もう一つの問題は、木曜日にAMERITRADEやRobinhoodなどの小口の個人投資家が使用する口座でGamestopの株を売れても買えないようにしたことです。その結果株は一時的に下がり、Hedge Fundなどの大口投資家は、Short(先売り)による債務を返済できたのではないかという市場操作の疑いです。今回の問題がどのような意義があるのか、そして将来はどうなるのかといった点に関して解説したいと思います。

 

Hedge Fund とShort Seller(空売り)

私がビジネススクールで投資のクラスを取った時にクラスの一番最初で教授が言ったことは衝撃的でした。「投資の世界ではSmart Money(賢い金)がNaïve Money(何も知らない金)を食べて大きくなる。そして大きな金は影響力が大きいので、ますます大きくなっていく。」いかにもWall Streetの投資銀行出身の教授が言いそうなことですが、要は投資の世界では金持ちがより金持ちになること、知らない人は損をするという原則があるといったやや高慢な発言です。結局、私のような投資を何も知らない人間は損をして終わりか…コンチクショー…と感じましたが、それがきっかけで私は株の投資を始めたので、今は感謝しています。Hedge FundはまさにそのSmart Money集団でその手段の一つとしてShort Selling(空売り)があります。特にこれは市場の先行きが不透明な状態で効果的で、今年あたりはShort Sellingを活用してHedge Fundが相場以上のリターンを上げる手段として効果的に用いるのに良いタイミングです。下がりそうな会社の株を見つけ大量に空売りすると、株は下がり、さらにそれに焦った市場で売る人が増えるので、その株を返済する際には安くなるので、短期間でかなり利益をあげれる計算です。今回大損をしたHedge FundのMelvin、Point72 、D1などは12月ごろから空売りを始めていて、恐らくは10ドルぐぐらいだったので、それを売って短期的に昨年前半の水準であった$5ぐらいには下がると踏んでいたのでしょう。それがShort Squeeze(返済する株の価格を吊り上げ、空売りをした人が逆に損をするという状況)にあい、190億ドルもの莫大な損をさせるという状況を作りました。Short Squeezeを起こしたのはRedditというチャットで集まった小口投資家達で彼らからすれば確実に買わなければならない客がいる株(空売りは借りた株を売るのでそれを買って返済しなければならない)なので確実に上がるので買おうという動きでした。その動きに火がつき、想定できないほどの高騰が起きたのです。

 

フランス革命とその被害

TESLAやSpaceXの創業者Elon Maskはこの状況をTwitterでGamestonk! (Game Stopを俗語の株の俗語Stonkと兼ねている)とtweetしましたが、Stonkには「集中攻撃する」という意味もあるので、この現象を面白おかしく表現していました。彼は以前からShort Sellerが嫌いで、Tweetしていました。特にTeslaの株がShortSellerにより下げられていた際に、株を元にファイナンスしていたMaskにとって、Short Sellerは将来の発展を妨害する者でしかなかったからです。私も投資した株がニューズの前触れもなく、一気に落ちることがあり、後でShort SellerがそれをしていたとわかるのでそういったHedge Fundは嫌いでした。それを一般の投資家が集まり、株を高騰させ彼ら金持ちの連中に大損をさせたわけです。そしてその活動には金持ちがますます金持ちになるというWall Streetの原則に挑戦する戦いの意義があり、民衆の金持ちに対する怒りを示す意義あるものだったと思います。ある意味、嬉しい気持ちです。でもこれにはフランス革命と似た恐ろしいエスカレーションがあります。フランス革命は民衆が蜂起して王政を覆しましたが、そのあとも、貴族のみならず革命家たちをも次々とギロチンにかけフランスは混乱に陥りました。もうHedge FundはShort Position をカバーした(損をして返済をした)と言っているので、今後損をするのは、株価が自然暴落する際に高値で購入した人になります。革命家のロベスピエールが自らギロチンにかかったように、結局はこの動きに乗っかった民衆が最終的に損をすることになるでしょう。

 

Game Stop

Game Stopはゲーム機器、ゲームソフトの新品や中古を売買する店で、アメリカ全土にあります。90年代以降のゲームブームで急成長した公開会社でした。ただ、今はゲームはダウンロードが主体、モバイルに移行しているのでゲームソフト時代の販売は先行き真っ暗だと言われています。携帯事業もしましたが、それも売却し、数年前に経営陣が戦略的に身売りをする動きをしましたが、それも失敗しました。要は行き所を失った見捨てられた会社です。ただ、そのブランドやバランスシートでのキャッシュなどを見ると悪くないので、実は私も数年前に買い増しをしました。2000年前半頃に最初は投資したのですが、以前紹介した私の投資方式だと倍になったら半分売り、その後また半分売りという流れなので、一度投資すると必ず残りが出ます。数年前にその残りをどうしようかとリサーチをした際にキャッシュのPositionが悪くなかったので、Yahooのように会社をつぶして資金分配する可能性もあるかと思い、少しだけ買い足しました。残念ながら倍になったらまた半分売ってしまったので、今回の恩恵はそこまで受けませんでしたが、この状況は想定外でした。

 

学べる事と将来への影響

1)                   一般投資家の増加と金余り:今回は機関投資家達の想像を超える投資額で株価が高騰しました。ちょうど暴徒の数に警察が圧倒されるかのようです。Robinhoodなどアメリカのオンラインの証券会社はどこも手数料無料。携帯のアプリで、いくらからでも簡単に株の売買ができます。今回の高騰に面白半分で参加した人もおり、「ファンダメンタルズに基づく利益追求」という投資ではなく、面白半分で株式市場を吊り上げるのに参加しているとも見えます。特に数百ドルが1日で数千ドルになるような状況であればギャンブル的に楽しんでいる人もいるのかもしれません。外食やエンターテイメントが減少し、金利が低い中、更に政府がお金をばらまいていて一般市民はCOVID自粛で貧困化する人がいる反面、逆に手持ちのお金が増えている人もいます。Naïve Moneyの量が増えると、Smart Moneyを圧倒し、市場原理が異常化するという状況が起きます。空売りは大手投資家にとって有利になっていましたが、今後今回のようなリスクを想定する必要もでてきました。今回投資した人の中にはゲーマーで昔よくGamestopでゲームを買ったので、記念に応援したいと言って購入した人もいるので、今までの空売りのロジックが必ずしも成り立たなくなり新たなリスクファクターができました。結果として空売りが減る可能性もあります。同時に一般投資家が増える分、公開会社にとって消費者受けする「ブランド」がますます重要になってきます。

 

2)                   人々の影響力と活動の変化:アメリカの政治の世界もそうですが、専門家やプロの意見より、現代社会はネットでの個人の影響力が強くなってきています。今回も複数の人のRedditでの書き込みから始まった動きであり、これが投資の専門家であるアナリストやテレビでバブルだと言っている専門家の意見を上回って人を動かしました。明らかに人々への影響力の媒体に変化が見られます。Robinhoodのように「全ての人が投資に参加できプラットフォーム」を提供することで、市場価格に対する影響力の主体が専門家からネットでのInfluencer (日本では何と言いますか?)に移ってきていると言えます。

 

3)                   金持ちによる市場への影響力:今回最も問題になっているのがRobinhoodなどの証券会社が一時的に株式購入をできなくしたということです。CEOのインタビューを聞きましたが、要は「急速な株式取引のボリュームとそれに基づくコンプライアンスを懸念して一時期買う行為をできなくした」と言ってましたが、それにより株価は下がりHedge Fundなどを助けたことは否めません。一部の株だけ買えない、そして売ることはできるというのは、その説明とは合致しません。そして大手投資家達は継続的に投資ができました。これは明らかに平等ではなく、結果的に市場介入と操作になっており、このような動きに対して、何らかの圧力があった可能性は否めません。特にRobinhood社自ら上場を控えているので、大手投資家に気を使っている可能性はあります。なので今回の高騰は最終的には大手投資家の勝利で終わると思います。但し、大手投資家は今後は一般投資家の動向を把握する必要が出てきました。

 

4)                   景気後退のサイン:限定はされてはいますが、今回の投資は明らかにバブルです。実際の価値以上に大きな値段がつくのがバブルです。2000年のTechバブル崩壊、2008年サブプライムローンの際(リーマンショック)もそのようなバブルがありました。そしてドットコムやリーマンのように一部の株の暴落が引き金となり景気後退が表に出ます。現在コロナ禍の中で経済活動に問題があるにもかかわらず株価が高騰しているのはバブルの可能性があります。更には、ワクチンができても、ウイルスは存在し続ける可能性があるので、全てがもとに戻るという保証はありません。なので景気後退のサインとして今回の高騰が起きた可能性はあります。

 

さて、RedditではGamestopを更に上げようといった記述があるようです。上がり続ければ確かに損をする人はいないので、以前紹介したPonzi Scheme (ねずみ講式投資)のように増え続けるシナリオを想定する人もいるかもしれません(それは経済的にはまずありえないのですが…)さて、今週はどうなるでしょうか?私は今週中には暴落が始まるのではないかと考えています。適正な株価は10~50ドル前後ではないでしょうか?皆さんはこの動きはいつまで続くと思いますか?