息子たちが小学校の高学年まで通った公文に

書道教室が存在するということを、全く知らなかった。

 

   今は、小学生の孫たちが国語だけは通っているが

   成果のほどは、甚だ疑問だ。

   個人の資質にも因るのだろうが・・・。

 

長男は、未就学の時期から小学校いっぱいまで

近くの書道教室に通っていた。(中耳炎に罹ったので、スミミングから書道に転向)

 

白〇書道会の那〇球○先生が、主宰される住宅街の教室だった。

この流派、今は仮名文字だけになったんじゃないかな?

こちらには、仮名文字の書に親しむ人が多い気がする。

 

中学校からは、ピアノ(5年生から始めたので遅かったが)だけにした。

新しいことの方が面白く感じたのだろう。

 

その彼が、公文の書道教室に通うつもりだと言っている。

まぁ、祖父譲りで書の筋は悪くはない(達筆では無い)と思っていたが

ただでさえ仕事が多忙な彼の飽く無き好奇心とやる気には呆れてしまう。

親としては、持病もあるし、少し、ゆっくりして貰いたい。

 

  時間だけは、たっぷりある次男の時間を分けてやりたい。

  この人は、20年間も頑張っていたのに鍵盤に触れもしない。

  良い音を出せていただけに残念でならない。

 

  週5の仕事が無理でも、ピアノだけでも弾いて欲しかったよぉ!

  大抵の曲は弾けていたじゃない?

  院まで行かせてやったじゃない?

  高校からのレッスン代もバカにならなかったんだよ。

 

  本当のところ、音楽が好きじゃ無かったのだろう。

  「こんなこと、しとうはなかった!」って言いそう・・・。

   (大河ドラマでの直江兼続の幼少時の台詞?)

 

  まぁ、本人に言わせれば

  「部活と思ってみて。甲子園球児が後々、野球してるわけじゃないよ」

  音楽大学卒でも金融関係の仕事をしたり、さまざまだものね。

  でも、楽しみ程度には演奏するでしょ。

 

  今、パートで働いている支援学校が遠過ぎるので

  3月からは、近くの支援学校にボランティアに行くと言う。

  無償であっても、生活のリズムのためにも仕事をするに越したこと無い。

  生活費は賄えるのだろうか?

 

 

  退職した後で、特別支援学校教諭の免許 を取得した。

  NHK学園の通信教育で単位を取って申請したようだ。

  在職中は、小学校教諭と音楽教諭の免許のみで支援学校一筋。

  人事って不思議だと思う。

  初任の3年間は、免許違いの特別支援校への辞令が出る。

  今は、そうでは無いらしいが彼の初任時代はそれが普通だった。