和宮親子内親王
和宮親子内親王【かずのみやちかこないしんのう】
(1846~1877)
14代将軍徳川家茂の正室。法号は静寛院。仁孝天皇の第八皇女として生まれる。母は大納言・橋本実久の娘・経子(観行院)。
和宮の誕生時、父の仁孝天皇はすでに崩御しており、外祖父にあたる橋本実久の下で養育された。1851年(嘉永4年)7月、6歳で有栖川宮熾仁親王と婚約。1859年(安政6年)4月には輿入れの期日も決まったが、この頃、勅許を待たずに調印された日米修好通商条約で悪化した朝幕関係修復に、公武合体策として家茂に皇女降嫁の議が起こった。
1860年(万延元年)4月、正式に幕府より和宮降嫁のことが奏上され、初めは拒絶した異母兄の孝明天皇も再三の奏上、交渉に、やがて攘夷実行を条件に、同年10月、勅許。和宮もやむなく承諾、有栖川宮との婚約は解消された。
1861年(文久元年)4月、内親王宣下により、親子の名を賜り、同年10月、京都を発って中山道を江戸に下向。翌年2月11日、家茂との婚礼の儀となるが、2人は同年同月生まれで、この時17歳であった。
大奥での生活は御所風と武家風の違いや、12歳の年齢差の、家茂の養母で姑の天璋院との間で心労も絶えなかったが、和宮に愛情を示す同い年の夫・家茂の存在は心の支えとなり、天璋院との間も穏やかになったという。
ところが、1866年(慶応2年)7月20日、家茂が長州再征途上の大坂で、21歳の若さで急逝。上京する家茂に問われて答えた土産の西陣織は、亡骸とともに江戸に着き、「空蝉の 唐織衣何かせむ 綾も錦も君ありてこそ」と、その織物を棺に掛けて歌を詠んだ。薙髪して静寛院と改めたが、数日後の同年12月25日、孝明天皇も崩御した。
その後、戊辰戦争が勃発すると、徳川家の存続を第一に、徳川慶喜の助命と新政府軍の江戸進撃の中止を嘆願。朝廷に使者を送った。1869年(明治2年)から5年間を京都に帰住、再び東京に戻るが、1877年(明治10年)9月2日、療養先の箱根塔ノ沢で薨去。享年32歳。
幕末での歴史ネタで取り上げた、2人目の女性は皇女和宮です。
過去、和宮を演じたのは以下の方々…
では、これらを踏まえて考えたい…
もし和宮を演じたら、ハマりそうなハロメンは誰か!?
とりあえず現役ハロメンで考えてみました
(OG入れたら間違いなく真野ちゃんで結論付けちゃうからww)
イメージとしては華奢で色白であること…
現役ハロメン34人の中から1人は難しいので、 各グループから考えてみませう(・∀・)
(※あくまで個人的偏見)
[娘。]
一瞬パッとイメージしたのは、やはりさゆでした。けど、小柄な方がより良いとも思うので、あゆみんなんか案外良いかも
[ベリ]
色白でもガタイが良かったり、華奢でも色白でなかったりするメンバーがいるから難しい←
該当するのはキャプテンか…
嗣永プロか!?Σ( ̄□ ̄;)
それはそれで観てみたいな!
[℃]
舞美ちゃーん!ヘ( ゜∀゜*)ノ
…と言いたいところですが、色白でも舞美ちゃんは健康的で逞しい雰囲気だから、ちょっと違うかな(^o^;
なっきぃは色白でも華奢ではないし(セクシーですから)、ちさまいはそもそもイメージにそぐわない←
なので、愛理が良いと結論付けます(・∀・)ノ
[スマ]
上方のはんなりした雰囲気を元から持ってるかななんが最適と判断します
(全く迷わなかった)
[j=j]
みんな該当するから一番難しいな!(;゜0゜)
個人的にはかなともちゃん
しかし、スマ編と同様の理由で、あーりーも捨てがたい…
だがやはり、演技経験で言ってしまうと佳林ちゃんやねえ…
(リアルに考え過ぎwww)
以上、あくまで個人的な見解でありますが、皆様はどう思いますか?
(こういうの楽しいぜ!←)