蜂須賀茂韶 | アイドルは人数より歴史が大事だ!

蜂須賀茂韶



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蜂須賀茂韶【はちすかもちあき】(1846~1918)


14代徳島藩主。斉裕の嫡子として江戸に生まれる。長州征伐には兵備を整えるも、父斉裕が幕府とは距離を置いていた影響で出兵はしなかった。1868年(慶応4年)1月、父斉裕が急死して藩主となり淡路守を兼ねた。版籍奉還で徳島藩知事となり、廃藩置県後は東京に移る。

1872年(明治5年)、小室信夫らを従えイギリス留学。のち特命全権公使となりフランスに駐在。1886年(明治19年)帰国し、鉄道・海上保険・共同運輸事業の創設に尽力した。そして貴族院議員となり、第二次松方正義内閣では文部大臣を務めた。また、相撲や能楽を奨励するなど文化面にも理解があった。1918年(大正7年)2月10日死去。享年73歳。











元藩主の身ながら、政治家としても活動した茂韶さん。


面白い逸話として…


茂韶が宮中に参内して応接室で待たされた時、卓上にあった紙巻タバコを一本失敬したところ、やってこられた明治天皇がそれに気付き、「蜂須賀、先祖の血は争えんのう」と言ったそうです。先祖とは、蜂須賀小六のこと。「太閤記」の影響から、小六は盗賊だと見られていたためで、もちろん明治天皇も冗談で言ったのでしょう…


しかし茂韶は、これはイカンとばかりに、歴史学者の渡辺世祐に依頼して、蜂須賀小六が盗賊でないことを立証してもらった…なんて話があります(異説あり)



ただ、茂韶の父・蜂須賀斉裕は徳川家斉の子なので、小六とは直接血の繋がりはなかったりしますf(^^;