こちらでも記事にしたことがあるのだけれど、
若は小2のときに本人告知を受け、中3でも追加的な本人告知を受けている。
だから、若は自分自身が自閉症であることを知っている。
自閉症という言葉から「発達障害」の知識も持っている。
高校生の今は、手帳は「本人管理」にしている。
そんな中で、「発達障害を治療する」というネットニュースを目にすることも多い。
先月、こんな質問を投げてみた。
「こんな風に、発達障害を治療する、できるというニュースがたくさんあるけれど、治療できるのなら治療してみたいと思う?」
正直、酷な質問だったと思う。
がッ!
若の答えはとても意外なものだった。
「『自閉症ではない俺』は、俺ではないような気がするので、俺は自閉症のままでいい」
要約するとこんな感じなのだが、実際は
「俺は『多数派の生活に便利だから』ってことで、俺の脳みそに何かすることは、俺が俺でなくなるような気がするから、俺は『自閉症の脳タイプ』のままでいい。俺はずっと『自閉症』として生きてきたし、確かに少数派として不便はあるけど、だからといって『自閉症じゃない俺』は、俺としては、なんかイヤやな…脳に直接働きかけることができるような、そういう技術(治療)ができたとしても、俺は使わないと思う。」
ということを言っている。
若は、若なりに
「自閉症の俺」
というアイデンティティを実にポジティブに構築しつつあるらしい。
私は、若がこんな風に「自閉症の俺」をポジティブに受け止めていることについては、周囲の環境に、ものすごくものすごく感謝したいと思っている。
発達障がい者支援センターの療育(1歳10か月~就学まで)、
若が年少からお世話になった保育園(若は今も『こころのふるさと』と呼んでいる)
小学校の特別支援学級(途中シンドイことも多くありましたが)
中学校の特別支援学級(あの思春期をよく支えてくださった)
高校(在学中)のナイス支援
療育~現在まで支え続けていただいている発達障がい者支援センター
&号泣ヘタレの私を支えてくれた先輩ママさんズ
…実に実に周囲に恵まれたなあと。
若がこんな風に思えるのは、
「(本人が無意識のうちにでも)支援を受けて、うまく行った経験」
を小さいこと、細かいこと、たくさん、たくさん、積み上げてきたから。
その証拠に、私が高校生活を心配していると、若はニヤリと笑って
「あのな、『やりよう』はあるねんで」
………この「やりよう」というのは、若がこれまで受けてきた支援のこと。
「親離れ」が始まった高校生からは、自分の特性を自覚した上で工夫したり、周囲に相談したり、色々なことであるらしい。
「やりようがある」で、若は今、高校生活を満喫している。
今、こんな風に若が「自分のこと」をポジティブに受け止めている、ということは
その根っこの部分、土台の部分に、自己肯定感の強みがあるということだと思う(たぶん、きっと)。
もちろん、これからコケることは、それなりに必ずあるとは思うのだけれど、いや、必ずあるハズだろうけど、
この「強み」がある以上、コケても立ち上がることができるんじゃないだろうか、と思う。