便座戦争。 | おじさんの依存症日記。

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 使用した後、トイレの便座を下ろしておくか、上げておくか。 
 
 戦後、西洋便器が日本に普及したのち、永遠の課題ではある。 これは、それぞれの家庭史の問題であるのか、ひとつの文明の問題であるのか、はたまた、個人的な嗜好の問題であるのか。 こだわり続ければ、何処までもこだわれる問題であろう。
 しかし、これにそれほどこだわる必要があるのか?。 これに対して、日本の便器メーカーが明確な結論を述べた例を知らない。 便器メーカーは、きっとこの問題を無視しているのだろう。 勝手にしやがれ、という立場。
 
 おじさんは、便座は上げておく派だった。 男性は立ちションベン。 便座を濡らしてはならない。 だから上げる。 マナーであると思っていた。 しかし、女性はそうは取らない。 女性のために便座は下ろすべし、と。 男女同居の家庭の中の、コップの中の嵐であろう。 どこの家庭にしろ、その結論には紳士協定が結ばれていると思う。 上げようが下げようが、たかが便座、されど便座か。 アホらしい話だが、便座問題で離婚した夫婦を知っている。
 
 困ったものだ。
 
 おじさんは便座は下ろしておく。 老人施設に勤務していたとき一度、便座を上げたままにしていた後、次に使ったバアサンが、便器に尻が嵌って往生して始末書を書かされた。  以後、便座は下ろす。 ところが、今の家、おじさんの自宅では、15回忌を迎えた父の薫陶宜しきを得た母トミエ88歳は、家父長制度のあった時代の長男の家の長男、わが一族の族長たる父の魂が宿ったか、常に便座を上げる。 おじさんは使うたびに便座を下ろす。 上げたり、下ろしたり。 忙しいったりゃ、ありゃしない。  これはもう、便座戦争。
 
 どちらが勝とうが負けようが、世界の政治戦略には関係もない他愛もない戦争だ。 世界で一番の富裕国は、かつて砂漠の砂でケツを拭いた。 今は、オイルマネーのドル紙幣でケツを拭いている。 まあ、いいや。 何で拭こうと拭きさえすれば。 かつて、寄る辺ない老人たちのお尻を、「おしりふき」 で、毎日垂れ流しのウンコの後、拭いてあげているおじさんに比べれば。。。
 
 便座は下ろすべきか上げるべきか。  <産湯を捨てる一番いい方法は、赤子ごと棄てること>  という言葉がある。 孟子だったかな…。 あやふや、いい加減。 ま、孔子はこんこんなことは言っていないと思う。 古典はともかく、 問題解決には、現実感覚としては、ジェイソンみたいにチェーンソーで、西洋便座をガリガリ・メシメシと、切り取ってやるしかない。 
 
 踏ん張り文化のニッポン。 和式便所の伝統。 原点に帰ろうぞ、厠。 川に流れゆくウンコ。 はかなし。 ジェイソン+鴨長明。 応仁の乱の時代、京に溢れた死体は腐りゆくまま。 やがてまとめて火葬された。 近くの河川に、水葬された遺体も多かったろう。 土葬された死体は少なかったという。 大抵が、飢えた犬に食われて、かけらのような肉体、その 「部分」 しか残っていなかったから。
 
 あはは、無常で、ホラーな世界。 世の中にウェスタン・スタイル便器が存在しない世界。 うぅむ、これこそ、便座問題の解決した平和な 『13日の金曜日』 。 股割り、踏ん張り出来なきゃウンコできないぞ、欧米人。 覚悟して来日せよ。
 
 って、かな…。