【大場政夫】 | おじさんの依存症日記。

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 40年くらい昔のお話だ。 まだ役者をしていた頃で、NHKの仕事も多かった。 仕事が終わり、渋谷のNHKから、23時過ぎたらタクシー券をもらった。 タクシーに乗って、当時住んでいた江東区の大島まで帰るのだが、早く帰って寝たいので、運転手さんには、首都高速を走ってもらっていた。

 首都高速5号線の下り車線、大曲 (飯田橋出入口-早稲田出入口間) のカーブに来ると必ず思い出すことがあった。 当時は5年前、今から数えれば45年前になる。 そこで悲劇的な事故があった。 もう覚えている方も少ないと思う。

 昭和48年、(1973) 年、1月25日の昼前、白いシボレー・コルベットクーペが、風を切るように疾駆していた。 運転していたのは、プロボクシング世界フライ級チャンピオン、大場政夫だった。 その車がカーブを曲がり切れず、中央分離帯を乗り越え、反対車線を走っていた大型トラックと激突した。 純白の車体は大破し、運転席もぺちゃんこ。 大場は全身を強く打って、ほぼ即死状態だった。

 大場は、その3週間ほど前の1月2日に5度目のタイトル防衛戦を果たしたばかりだった。 パンチの切れ味と負けん気の強さは超一流で、前半ダウンを喫しながらも後半はどつきまくる。 怯む様子は微塵もなかった。 見事な逆転KO勝ちを演じる壮絶なファイト。 ボクシングファンの熱狂を呼んだ。 おじさんの中で、最も記憶に残るボクサーだ。

 愛車コルベットが大破するという凄惨な激突事故に遭いIながらも、大場の甘いマスクはハンドルの間に挟まるようにして、少しも傷ついていなかったという。 まさか、相手のパンチを瞬時にかわす反射神経が事故の瞬間に働いたとは思えないが、相手の繰り出すパンチを自分の額を滑らすようにギリギリにかわす 「ヘッドスリップ」 というテクニックがあることを、当時わたしが通っていた中目黒の 「バトルホーク風間ジム」 の会長から聞いた。 それを死の直前、咄嗟に思い出したのだろうか。

 東京都墨田区生まれ。 一個の生卵を兄弟5人で食べるような貧困生活の中、中学卒業後、アメ横の菓子問屋に住み込みで働き、帝拳ジムに入門。 昭和45年、(1970) 10月、世界フライ級王座に就いたが、減量にはいつも苦しんだ。 リンゴもコーラも口の中でもごもごやるだけで、呑み込まずに吐き出す。 試合前の食事は、ステーキの肉汁だけという過酷さだった。

 ファイティング原田が引退した10か月後、沼田義明、小林弘、西城正三ら、3名の世界王者がいる中、彗星のごとく現れ、スリリングなファイトを展開、 ファンを熱狂させて、瞬く間に去っていった天才ボクサー。 その天性の資質と禁欲的な練習、過酷な減量にも耐え、勝ち取ったチャンピオンベルト。 そして、白いシボレー・コルベット。 栄光の象徴ともいえる愛車とともに、現役チャンピオンのまま、この世を去った。 享年23.。

 人は言う、「永遠のチャンプ」 と。


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                    参考資料    矢島裕紀彦 「あの人はどこで死んだか」