村上龍のエッセイが好きで,もう連載は終了していると思うのだが,
「すべての男は消耗品である」
は,20年以上読み続けた.今でも本棚に収まっている.
たしかキューバ音楽に関する話題が集中していた頃に,
希望や理想を音に込めてはいるが,絶望がスタート地点に感じられる
というニュアンスの文面があったことを,覚えている.
昨年の梅雨頃からほぼ直近に至るまで,じたばた足掻く日々だったが,
少しだけ距離をとって眺める余裕がさっきできたので,これを書いている.
物事を観るにあたっては,100% の客観視はできない.
それができるのは人を超えたものだけだ.
だから,何かできるとすれば,人はそういう存在で,
どれだけフラットな心理を務めて求めても,
主観を排除することはできない.
昔からそういう考え方で,特に職場で一緒に仕事をすることになった
後輩や,何かの折に知己を得た年下の若いのにはよく話す言い回しだった.
ジツは,自分に言い聞かせるべきことだった.
そのことに気づいて,少し抜け出せそうだ.