吉田城跡にある鉄櫓(くろがねやぐら)

現在、吉田城跡には石垣や土塁など多くの遺構が残っており、特に写真の鉄櫓(くろがねやぐら)は最初尋ねた時には『ちっちゃな天守閣だなえーと思っていましたがこれは吉田城を護る“櫓(やぐら)"のひとつ、幕藩制度が整った江戸時代に於いて、吉田城は東海道の主要な防衛拠点として全国屈指の規模を誇り、歴代城主には3万石〜8万石の譜代大名が赴任し、その後も幕府の要職を務めるものが多くいたことから"出世城"とも呼ばれています。


鉄櫓(くろがねやぐら)1954年に模擬復興されたもので吉田城の象徴としてかつての威容を誇っています。実際のところは鉄筋コンクリート造りの吉田城資料館であり、同じく徳川家康の“出世城"として知られる現在の浜松城天守閣も1958年に模擬復興されておりこちらも"鉄筋コンクリート造りの浜松城資料館"であり石垣の上に誇らしげにそびえる天守閣。しかしその中に入るとコンクリート造りで鉄の手摺り古い公民館のようで掛川城松本城のような木造天守閣以外の模擬復興された天守閣は、石垣の上に凛と立つ姿を愛でるのが良いかもしれませんね。但し館内の展示品城址の石垣貴重な往年の遺品であり豊川河畔からの眺望も美しく、一見の価値があります。なお豊橋城址は2021年には豊橋市指定史跡となっています。

歩兵第十八聯隊之址石碑

江戸時代は吉田城、明治から昭和前期は歩兵第十八聯隊之址として永らく軍事の要所として務めたこの地は太平洋戦争終結ののち、市民公園として80年に渡る平和を象徴するかのように静かな森に囲まれています。

歩兵第十八聯隊東門のある場所にはお濠があり、鬱蒼と茂る緑のなかに往時を偲ばせるお濠の跡があります。撮影は4月、今頃では夏草が生い茂り、まさに"夏草や 兵どもが 夢のあと"であります。

豊橋市美術博物館

1977年6月着工、1979年2月竣工の鉄筋コンクリート(一部鉄骨造り)2階建て。この時期各地の公共施設に見られた“重厚かつ洗練された"レンガ造り風の外観内装はスッキリした空間を作り出しています。2022年10月より改修工事のため全館休館となっていましたが今年3月にリニューアルオープンし、現在は一階に美術館、二階に歴史博物館となっています。

美術館と云えば"静かに""堅苦しい""よくわからない"と二の足を踏んでしまいますが、豊橋市美術博物館は昨今のSNS時代に相応して写真撮影も大丈夫です。この日は自分が好きな奈良美智さんの昨日もありました照れ

豊橋市美術博物館を見学して、豊橋公園前電停を目指して歩くと…🐾🐾


豊橋公園南側入口には電話ボックスほどの大きさのコンクリート製の建物が。警備する兵士が駐在する“歩哨舎"なる建物がそのまま残っていました。つまり門番がここに詰めていたんですね。

ここに兵隊さんが詰めなくなって3/4世紀、あと25年で100年平和が続いた事になります。物言わず、緑深い公園にただづむ“歩哨舎"。物騒な出来事が増えて決して今のまま25年時が流れるのか、それとも地震や動乱によって姿を消すのかは分かりませんが、今日も豊橋公園の入口を平和を見守り続けているようです。




豊橋公園の“歩哨舎"を後に、豊橋公園電停に向けて歩くと…🐾

そこには地方都市ながら、大都市にも負けず劣らずの威容を誇る豊橋市公会堂があります。建築物に興味がある方ならこの一角だけでも楽しめそうですね。因みに豊橋市公会堂(1931年竣工)鉄櫓(1954年模擬復興)豊橋市美術博物館(1979年竣工)と全て昭和時代の建造物であるのには驚きです。


『豊橋市公会堂の中は…?』