今回のモンスターハンター豊橋コラボ“豊橋へ一狩り行こうぜ!"では豊橋鉄道も協賛、豊橋市電も1輌がとなり1990年代より数多くのが活躍する豊橋市内線ではダントツに目立つ外装となりました。

が増えたのは1990年代末、東京都内で広告規制が変わりが解禁された事や印刷技術が進展し描き込みからフィルム張りとなり同一品質にて短期間で施工出来るようになりました爆笑

NPO法人バス保存会
日野BH15(1964年)
長野バスまつり会場
2018年9月16日
773君撮影
2018年9月16日

岩手県南交通が新車導入、1976年に現役引退後に遠野営業所で保管。1982年、東北新幹線盛岡開業に伴う東北観光ブームに伴い一関駅前から平泉・中尊寺への定期観光バス起用、車体に沿線に因んだイラストを車体に配して話題となる。これは同社職員による手描きであり1999年の再起用の際にもこのイラストを手書き補修して運行された。手描きイラストの川中島自動車の恐竜バス濃飛バスのボンネットバスが有名だがなかなかの力作。

“I feel coke"の電照看板"を

取り付けたモ3102

駅前

1987年9月22日

豊橋鉄道豊橋市内線東田本線の距離が4.8km1982年に延伸された井原ー運動公園前まで0.6km、廃止された柳生橋支線0.9kmしかありません。そのため豊橋市内線では古くから徹底した合理化によって今日まで路線を維持してきました。

創業時以来の新車となった

豊橋鉄道T1000

駅前

2024年4月28日

先ずは中古車の導入。創業時に100型を導入した後は名古屋市電の単車から始まり名古屋市電桑名市電旭川市街鉄道三重交通神都線北陸鉄道金沢市内線名鉄岐阜市内線東京都電と各地の中古車輌を導入。2009年に導入されたT1000型は実に83年振りの自社発注車です。

ワンマン化も柳生橋支線を皮切りに早くから取り組み、更なる増収策として始まったのが“広告電車"でした。

“広告電車"と呼ばれていた頃の

豊橋鉄道モ3102

赤岩口車庫

1992年4月7日

昭和40年代より車体横に“手描き"の広告が掲示されていました。三重交通神都線から来た優雅な2扉車(モ3601)の車体側面には『豊橋信用金庫』の広告にデカデカて書かれ当時の路面電車ファンはがっかりしたと云う逸話もあるとか。

昭和末期、豊橋市内線は現在のレトロ電車(モ3203)と同じカラーリングで、1986年に前照灯下の[ワンマンカー]灯に[I Feel Coke]の広告を取り付けて、豊橋市内線の広告エリアが広がって行きます。

1991年頃より車体全体に広告を施す“広告電車"がほぼ全車に行われます。これに前後して冷房化、アルミサッシ化され運転席周りは原型に近づきました。

冷房化改造された

モ3103

東田坂上

1992年4月7日

3102号車は非冷房車のまま豊橋西武“広告電車"となりました。因みに先述の丸物百貨店は後に豊橋西武となり建物もそのままに豊橋の玄関口の百貨店として親しまれました。3103号車は"日通のペリカン便"“広告電車"日本通運宅配事業は業界の競業激化により撤退しています。

日通の“丸通マーク"直通列車のマークみたいで個人的には好きでした照れ

2024年、豊橋鉄道豊橋市内線に歴代で最も派手な“広告電車"…もといがやって来ました。

フィルム印刷とは云えどド派手な電車。コレを模型にした人がいたら凄い‼️

この2枚の写真の間にモ785号(愛知ダイハツ号)とすれ違いましたが、こちらも紅白の車体にアメコミ風のイラストを配しこちらもなかなか派手ですねニヤリイイジャンネー

もと都電荒川線のモ3502

駅前大通

2024年4月28日

本家:都電7000型が機器類を一新し都心部を闊歩していた時代を知るのが台枠だけとなった都電7700型都電全盛期を偲ぶ事が出来るのは豊橋鉄道モ3500型だけか(車体裾にチラリ見える住友D20台車は1956年製❗️)と思っていましたがこの車輌にも技術革新のメスがガーン



豊橋鉄道モ3503

赤岩口車庫(公道より撮影)

2024年4月28日

オデコまで伸びた一枚ガラス、四角いヘッドライトはLEDを放つようなキラキラお目目目

残念ながらこの日は赤岩口車庫で休んでいましたが果たして都電全盛期を知るD20台車と吊り掛けモーターは健在なのか気になるトコロです。

おまけ

3100型の忘れ形見の

ブリルE39E2台車(仮台車?)

赤岩口車庫

2024年4月28日