続いては長野県:諏訪エリアのスキー場。エコーバレースキー場のチケット🎫が出てきました。

エコーバレースキー場1日リフト券


エコーバレースキー場長野県諏訪湖から大門街道(ビーナスライン)白樺湖方面へ。廃バス好きならよく知られている諏訪自動車三菱R370廃車があります。


この廃車体の先を右に曲がり“北山インターチェンジ"(俗称かもしれない)から白樺湖方面に向かいます。このルートもビーナスラインを構成する一部であり、白樺湖の脇を通り大門峠を越えた先を左折、別荘地を抜けたさきにエコーバレースキー場

があります。

エコーバレースキー場1日リフト券

エコーバレースキー場は1981年に旧長和町出資により第三セクター:国設エコーバレースキー場

として開業。名称の由来は“山彦谷"に造成された事に由来するそうです。当初はシングルリフト4基でしたが1984年にはシングルリフト6基、ペアリフト3基に増強されています。

自分達がよく行った2000年頃はまだまだスキー・スノボ愛好者が多く賑わっていました。

隣接する車山高原スキー場やプランシュたかやまスキーリゾートと比べて山の尾根に近いため傾斜は比較的なだらかで家族連れや恋人同士でゆっくり滑るようなゲレンデでした。


その後レジャー様式の変化に伴い利用者は減少が続き、2014年には経営者がスキー場・ホテル・ゴルフ場の運営を手がける株式会社マックアース売却します。この会社、マイヤ更に翌2014年には御嶽山噴火に見舞われます。幸いにも被害は無かったものの風評被害ツアーバスの規制強化に伴い年末年始の利用者は半減、通期でも6割に留まりました。

2017年シーズンは休止をアナウンスしたものの後に撤回し営業に漕ぎ着けました。但し2018年1月〜は週末のみ営業となり行き当たりばったりの営業からも末期はかなり混乱した事が伺えます。2020-2021年シーズンは営業休止、現在でも営業休止とないます。

エコーバレースキー場HPより


車山高原スキー場1日リフト


諏訪バス30111

松本22あ1539

三菱K-MP118M(1982年)

グランド前

1999年1月22日

アルピコカラーを纏う重厚なモノコック車体松本電鉄諏訪バスでは1990年代まで自社発注の非冷房旧型車が活躍しました。この頃は栂池スキー場には北村ボデーのいすゞBUが赤バスカラーが最期の活躍をしていた頃でした。

今では“年増の厚化粧"と呼ばれそうな三菱ブルアルピコカラーがこの頃の諏訪バスの主力でもと京阪バス。その後各地の冷房付スケールトンボデーの中古バスを大量投入し姿を消しました。




中日本観光自動車582

日野P-RU638A(1986年頃)

車山高原

1992年2月15日

愛知県名古屋市の観光専業のバス事業者旅行会社(中日本観光サービス)が母体であり旧甚目寺町にあった東海観光自動車を吸収合併して誕生しました。自社企画の“サンパックツアー"運行会社として1995年8月時点では95輌を保有していましたが2001年に事業停止しています。晩年は白い車体ローズピンクのNをあしらったラインが印象的な新塗装を採用していました。

遠州鉄道による修学旅行師団輸送

浜松22か2253:三菱U-MS726S(1991年)

浜松22か2104:三菱P-MS725S(1990年)

浜松22か2103:三菱P-MS725S(1990年)

浜松22か2073:三菱P-MS725S(1989年)

車山高原

1992年2月15日

車山高原スキー場はやまやの高校時代の修学旅行の目的地でした。当時は東海地方から師団輸送にて長野県方面へのスキー合宿が多かったです。僕の卒業した高校の修学旅行の行先も今では沖縄で隔世の感があります笑い泣きエエナァ

車番のデータについてはバスラマインターナショナルNo.49(1998年刊行)を参考にしました。2104号車の記載が無いのでこの車輌については推定です。