現在では富士宮駅から富士川駅蒲原病院を結ぶ系統を残すのみとなりましたが、かつての山梨交通静岡営業所(静岡県にあった)富士川町・蒲原町・芝川町富士宮市結ぶ路線網を持ち、国道52号線を結ぶ静岡甲府線(最盛期は静岡鉄道と共同運行、晩年は静岡鉄道の単独運行)国鉄身延線培養路線富士川沿いに伸びていました。

1981年6月現在の山梨交通静岡営業所路線図

1980年代はまだ鉄道・バスの交通網が機能を果たしており山梨交通の路線バスは国鉄身延線を起点に山懐の集落まで運行されていました。

元々、山梨交通静岡営業所1959年に貸切営業所として誕生した経緯もあり、富士宮市内の市内路線は既に富士急行が路線バスを運行していたため主に芝川発の路線が充実していました。

まもなく廃止の憂い目に遭う芝川ー精進川のほか、近年まで運行されていました芝川ー瀬戸島車庫は更に内房まで運行され、ここで静岡鉄道バスに接続して興津、清水へ乗り継ぐ事が出来ました。

1986年6月現在の山梨交通静岡営業所時刻表

今では富士宮駅富士川駅蒲原病院行き

平日12本休日6本運行しますが、かつてこの路線は朝の通勤時間は20分おき、日中1〜2時間の運行がありました。その他、芝川ー北松野ー富士川駅ー蒲原病院芝川ー北松野ー富士宮駅芝川ー上稲子芝川ー柚野支所富士宮駅ー香葉台ー古田ー芝川※で運行されていました。特に※印のバスは富士急行共同路線でもありました。現在では宮バス運行を引き継がれた路線もあります。


山梨交通C597

静岡22き1434

いすゞP-LV314K(1989年)

静岡営業所

1999年11月23日

自分が山梨交通静岡営業所のバスを撮影したのは1999年11月、富士急静岡バス岳南鉄道(当時)を撮影した時のこと。山梨交通については1996年に発行された雑誌"バスラマ"の特集しかありませんでしたが塩山と韮崎にいすゞBU04三方シート車が残っている情報があり韮崎にて撮影出来ました照れ

国際興業バスが1993年にいすゞBU04が引退すると山梨交通のいすゞBU04が注目を集めたが、SNSもない時代、行ってみなければ運用は勿論、現役かどうかも分かりませんでした。だから、激レア車輌が停まっていても人垣が出来るなーんてコトはバスに限ってみてはありませんでした。

(左)C590

静岡22き1309

いすゞP-LR312J(1989年)

(右)C560

静岡22き・937

いすゞP-LR312J(1989年)

静岡営業所

1999年11月23日

1983年時点で乗合10輌貸切17輌を擁し、1997年4月現在でも乗合9輌貸切18輌が活躍していたのでこの期間での営業所の規模は変わっていません。建物も変わりませんが、車輌が自社発注車から国際興業バス中古車に変わっています。

幕式方向幕スケルトン車体になってからは後面方向幕が大型化されています。