木造掛塚橋では流石に交通量増加に対応する事は難しく、1952年に現在の掛塚橋着工します。現在の掛塚橋は全長は876mのトラス橋で幅員は6mと、当時としては新潟県の泰平橋に次いで誕生した近代的な橋梁1955年8月開通しました。橋梁だけでなく、浜松市西町から磐田市白羽にかけて新道が整備されました。完成当時は財政不足もあり有料道路で供用が開始されました。

供用が開始された頃の掛塚バス停付近

掛塚

1955年

右隅に停まる遠鉄バス。バスの姿をよく見て欲しい。ここで真顔❓と思った人がいたらマニア確定🎯です。実は、このバス、右車線を反対方向に向けて停めています。

最後部の窓が外側に開いています。コレは旧型自動車の必需品三角窓です。前面から吹き込む風を効率良く取り込むために乗用車では運転席扉に、ボンネットバスでも帝国車体松本車体を除いてほぼ取り付けられていました。

キャブオーバー構造いすゞBX92Cと思われますが遠州鉄道では富士重工架装車が多く、ほとんどが『テレビ型』と呼ばれる富士重工業R7型車体を架装していました。


いすゞBX92(1954年頃)
遠州鉄道に富士重工製車体を永らく導入したのは、戦後混乱期に富士重工業から役員I氏を迎え車輌の復興整備に大きく寄与した事に依ると言われている。
混乱期、遠州鉄道にはGHQから供給は無かったが戦中戦後酷使された日産180型やトヨタKC型にキャブオーバー車体を再架装して伸びゆく時代を支えた。
この車輌は更新車ではなく新製車輌で、更新車に無かったスタンディングウィンドウ(バス窓)も付けられている。



富士重工R7型車体を架装した

遠州鉄道BX92(1954年頃)

バスのナンバーから1955年〜1958年頃に撮影されたものと推定。正面窓が凹んだデザインは終戦後に米国進駐軍が持ち込んだGMCイエローコーチを範としたものです。デザインだけでは無く、車体の大型化にも貢献しました。



袋井駅前の遠鉄バス

靜2-1677

いすゞBX92

1955年頃

余談ですが、この写真は1955年頃に撮影された袋井駅前の風景。この頃までは何処でも"駅前旅館"が駅前に構えており、ここでは"高砂旅館"が当時の袋井駅前の顔でした。一部3階建ての旅館1階に食堂・喫茶店遠鉄バス案内所がありました。路線図の傍には『浜松行30分毎』とあり旺盛なバス需要が伺えます。バンパーの円形のプレートには【快速】。1958年ダイヤ改正の遠鉄バス大増発・急行バス運行開始前には都市間バス路線には快速バスが設定されていました。

掛塚バス停に停車する浜松駅行き

浜松200か・884
いすゞQPG-KV234Q3(2015年)も
掛塚
2022年6月4日
1955年頃の写真と同じ位置で撮影カメラハッ






二枚の古写真の撮影から六十余年風景もバスも一変しました。掛塚からも急行バスが設定され、バス停北側に竜洋営業所を構えました。1990年代までは10分間隔の高頻度運行を維持しました暫時減便され、コロナ禍とつか・千手堂経由磐田駅行きが廃止(磐田市自主運行バスにより路線は維持)されて、今では『(掛塚から)浜松行30分毎』となっています(袋井駅からの浜松駅行きは既にありません)