1974年2月の渋川線時刻表
当時の渋川線は『渋川を起点とする路線』という意義があったようで(浜松ー追分ー根洗ー金指ー井伊谷ー伊平ー黒田ー渋川)本線扱い支線として川合渕経由気賀ー金指ー井伊谷ー伊平ー川名ー久留女木橋(川名農協発着あり)川合渕経由金指付近も新道・旧道経由に分かれたりとまだまだ複雑です。
上記時刻表を拡大すると井伊谷・伊平気賀方面金指・浜松方面行きバスに接続して利便性を維持しています。山間部とはいえ渋川行きが1時間に1本程度を維持しており、この程度なら『生活の足』と名乗っても恥ずかしくは違和感はありません。
また、渋川へは1953年1月に国鉄バス遠江横山-大地野口-静愛橋-浦川-佐久間、静愛橋-東栄間が開業(遠三線)。1955年12月に国鉄バス浜松ー有玉ー遠江内野ー宮口ー熊ー遠江渋川が開業(西天竜線)します。上記は1964年7月の遠鉄バス時刻表で遠鉄では"西北遠線"と名乗っていました。線名は別ですが使用するバス停は共通のため遠鉄バスながら"遠江〜"と名乗っていました。
最初に掲載した107号車の方向幕は"遠江渋川"となっていますが西北遠線は1971年に久留女木橋ー大平間廃止となっており、あとは国鉄バスの単独路線として残りましたが1983年7月に西天竜線(熊ー遠江渋川)、1987年3月に遠三線(宮口ー遠江渋川ー三河大野)が廃止されて渋川の街から国鉄バスが姿を消しました。
細江営業所に並ぶ三菱MAR470(1968年)
細江営業所、1973年
IF氏撮影

1987年3月現在の
奥山・引佐・渋川線時刻表(平日)
1980年代遠鉄バスはピークは過ぎていましたが系統数や運行本数が充実しており、この頃の遠鉄バスは『待たずに乗れる遠鉄バス』と名実ともに鍛冶町通りでは次々とバスがやって来ました。
渋川からの1時間おきの運行は維持していました。
1987年3月改正
渋川線(東久留女木新田行き)・
鳳来寺線時刻表
渋川線・引佐線の支線となる久留女木・鳳来寺線はこの頃は平日土日祝日でも毎日運行されていますが、ともに学童輸送を配慮したダイヤが組まれています。
伊平バス停の行き先
2007年撮影
Qちゃん提供
2003年に気賀駅ー神宮寺ー伊平ー川名ー東久留女木新田引佐町自主運行バスとして遠鉄バスが委託運行することとなり、自社中型車を使用することとなりました。
遠鉄2138
浜松22か2138
三菱P-MK117J(1991年)
井伊谷
Qちゃん提供
東久留女木新田を目指して井伊谷を走る2138。遠州鉄道では僅か5輌しか投入されなかったエアロミディMK路線車の最後の花道はこの路線でした。
遠鉄2148
浜松22か2148
三菱P-RJ172C(1991年)
井伊谷
Qちゃん提供
東久留女木新田付近を走る2148号車。もとは低い位置に久留女木の集落があったが1972年着工、14年の歳月を経て1986年に完成した都田川ダムに沈んでいます。以下写真は2014年に東久留女木ー伊平間で最後の活躍を様子を捉えています(Qちゃん撮影)