静岡県に流れた複数の信南交通の廃車体は、所在地や年代もバラバラなため関連性はありません。確かに"隣りのバス会社"かも知れませんが、南アルプスを挟んだ向こう側、天竜川沿いに道路は通じていますが大型バスは通れないケモノ道です。



信南交通(車番不詳)
日野RC320P(1970年)
磐田市匂坂
1994年3月10日

前ブログに掲載した金産コーチ製の貸切→高速路線車です。砂利会社の休憩室として使用されていました。まだ廃バス調査を始めて間も無い頃でしたのでデータ収集も乏しく、型式は推定です。
今なら銘板・車内名札差し・フレームの刻印の確認をして素性を明らかに出来るのですが、残念です。


信南交通(車番不詳)
三菱B805L(1972年)
浜松市根洗町
1992年3月3日

1975年に全通する中央自動車道を見据えて、低出力貸切車から、いよいよツーリングコーチと呼べる高速道路走行に耐え得る事ができる車輌か導入されていきます。
中央道高速バス運行開始に伴い信南交通でさ日産ディーゼル:RA50と日野RC320P、三菱B805Nを導入しました。
車体架装は呉羽自動車工業製で丸みを帯びた車体と天地方向に狭い側窓が特徴です。川重丸型(オバQ)とよく似た外観ですが、バスファンからは"タラコ"と呼ばれ親しまれていました。


1983年まで現役で活躍ののちに浜松市高丘町、自衛隊外周道路沿いの企業の倉庫兼休憩室として使われていました。その後外周道路が拡幅されたため根洗町に移動しました。高丘町に置かれていた場所は今では公園や住宅地が整備されて今やこのバスが居た場所の断定は困難になっています。

🔴三菱B805L※
寸法(長×幅×高)
10,760 × 2,490 × 3,075(㎜)
車輌重量 8,065㎏
車輌総重量 12,850㎏
定員 87名(座41+立44+乗2)
エンジン 6DC2
(200ps/2500rpm)
最高速度 110km/h
登坂能力 0.30 tan θ

※路線型自家用車での数値


先述の1976年式MS513N。同じ呉羽製ですが、こちらの方が1973年式より直線的かつ側窓が広く採られています。


撮影角度が違うので比較しにくいですが、後面はあまり変わり映えしないですね。


信南交通(車番不詳)
三菱B360(1977年頃)
浜北市寺島
1992年12月9日



長野県の最南端に位置する信南交通ではエリア末端には多くの狭隘路線を擁し、マイクロバスも活躍しました。写真の三菱B360のほかいすゞBY31や日野BM320、K-AM101、P-AC140などが活躍しました。この車輌も引退後は旧浜北市内の砂利会社の休憩室として使用されました、

方向幕は信南交通名物だった達筆なものではなく手書きで『和田』があったため和田営業所配属と思われます。



信南交通824
松本22あ・824
三菱K-MK116J(1982年)
平岡駅
1992年1月15日

スケルトンの三菱MKです。当時の信南交通自社発注車は前中扉から日野RJ導入を機に前後扉となりました。これまた日野RJ同様で非冷房車で導入されていました。
823824の2輌が在籍し1996年に廃車となりました。823は初代飯田市民バスましたが1999年まで活躍し、824は廃車後、山を越えて浜松市内の日本中央自動車学校の教習車(ナンバーを取得しない構内車)となりました。

日本中央自動車学校の教習車となった
信南交通824
2000年10月

因みに路上教習車はなんと日本楽器(現在のヤマハ)の従業員輸送用として1984年まで現役だった1973年式日野RD100でした。


日本楽器→日本中央自動車学校1065
浜松88さ1065
浜松市内
2000年10月



しかし、日本中央自動車学校も5年程度使用されたあと自動車学校南側に放置されてその後姿を消してしまいました。

バス登場した廃車バスバス

①④(再掲)信南交通
(車番不詳)
日野RC320P(1970年)
①⑤信南交通
(車番不詳)
三菱B805L(1972年)
①①(再掲)信南交通
松本22あ・513
三菱MS513N(1976年)
①⑥信南交通
(車番不詳)
三菱B360(1977年頃)
①⑦信南交通824
松本22あ・824
三菱K-MK116J(1982年)
①⑧日本中央自動車学校
浜松88さ1065
日野RD100(1973年)