1969年7月にデビューしたスズキキャリー(L40)です。
今でも日本の軽四輪自動車では広く知られているスズキキャリー。
1955年に軽自動車スズライトを完成させ発売、三輪自動車は生産しなかった同社は二輪車と四輪自動車生産に注力し、1961年10月に軽ボンネットトラック(初代)キャリー(FB)を発売しました。1965年5月には2代目キャリー(L20)を発売します。2代目からはボンネットトラックとキャブオーバートラックの併売となりました。
1966年2月にはワンボックスタイプの3代目キャリー(L30)がラインナップに加わりトラック型(L20)と併売となりました。
●スズキ キャリーバン (L40V型)●
車輌寸法
2,990 × 1,295 × 1,575(mm)
ホイルベース
1,745㎜
車重
595kg
積載量
乗車定員4名・最大積載量200kg(4人乗車時)
エンジン
空冷2気筒(2サイクル)
359cc
最高出力
25ps/6000rpm(1971年〜27ps/6000rpm)
変速機
前進4段/後退1段
販売価格37万6000円
そして、1969年7月には今回参加した4代目キャリー(L40)が登場します。
車体デザインは、当時革新的なカーデザインで世界の注目を集めていた鬼才:ジョルジェット・ジウジアーロによるものです。
カロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナーだったジウジアーロが独立して1968年に自らのデザイン会社:イタル・デザインを設立して初めて手掛けた量産車がこの4代目キャリーでした。
ジウジアーロがデザインしたバン型車輌で、前後対称にウインドが傾斜した車輌のデザインでオリジナルスケッチは"プルミーノ"(小さなバン)と呼称した作品で、前後ウインドが同じように傾斜したデザイン、3列シートとなっています。
スペースが小さい軽自動車でデザインを優先したためバンでは室内前席背後にスペアタイヤとウォッシャータンクを収納していました。
テールランプは従来、赤色のブレーキ・ウインカー兼用の一体式でしたが、バンはリアコンビネーション(赤黄灯火)式を初採用となりました(トラックは従来のまま)。
フィアット600(Multipla)とよく似た構造で、これは1960年代から世界中のクルマ造りに精通した彼だからこそ出来たのかもしれませんね。
当時のカーデザインはイタリア出身の若いデザイナーが世界を席巻しており、日野コンテッサをデザインしたミケロッティとともに数多くの名車を世に送り出しているのです。
●ミケロッティがデザインしたクルマについては過去ブログもご覧下さい(*´꒳`*)。
初めに市販されたのは、先にジウジアーロがデザインコンセプトを発表したキャリー・バン(L40V型)ではなく、トラック型のキャリー(L40型・三方開きL41型)を7月に、バン型は9月に発売を開始しました。
L40系キャリーは2サイクルエンジンを搭載していたためトルクがあり、足の速さを意味する"韋駄天キャリイ"のコピーで売られました。
1970年にマイナーチェンジがありフロント部分をブラック・アウトしたので今回参加していたキャリーは1970年〜1972年のモデルです。
バンでは1970年に開催した大阪万博の際に万博向けにL40キャリーをベースに電気自動車を湯浅電池(現:ジーエス・ユアサコーポレーション)と共同開発し会場内で活躍しました。
1971年4月、室内前席背後に配置されたスペアタイヤとウォッシャータンクの収納スペースを利用して設置された比較的広い室内固定式テーブルが大きな特徴で、これを利用したキャンピングカー仕様もバンの2万円高で販売されました。
1971年に当初の25psを27psにパワーアップしましたが、1972年5月には後継モデル:5代目キャリイ(L50型)にバトンを渡して3年弱で生産を終了しました。
短期で終了した理由としては、トラックはともかく、リアウインドの傾斜が強いバンでは同クラス他車に比べて収容能力・使い勝手が劣り、人を運ぶワゴン的な使用より商店等での荷物運搬のための実用に供される機会が多い日本の軽商用バンとしては失敗に終わりました。4代目キャリイの生産台数はトラック20万7000台余
に対してバン2万6000台余とバンはトラックの10分の1程度しか売れませんでした。
実はL40系キャリー。通勤の際によく観ているのです。
御屋敷の軒先を観ると…(公道から撮影)。
スズキ キャリー (L40型)
かなり朽ちていますが、各型ライトと前面が傾斜したスタイルから4代目キャリートラックと分かります。
カタチこそ残せど朽ち果てるのを待つこのトラックを観ると、未だに色艶失わないキャリーバンにオーナーさんの愛情と努力を一層感じてしまいます。



