(5月5日付前回ブログでモ1731+ク2731の記述で間違いが数ヶ所ありましたので写真追加とともに書き直ししました😅。謹んでお詫び・訂正致します)


豊橋鉄道モハ1601
高師駅側線

静岡鉄道が1931年日本車輌で2輌製造した半鋼製電車で121形120121として竣工しました。
小型電車が多かった当時の静岡鉄道(静岡清水線)では大型車過ぎて1938年4月には早くも渥美線の前身:渥美電気鉄道に転出しデホハ120となりました。
その後名鉄との合併により(名古屋鉄道)モ1201となり豊橋鉄道分離後も引き続きモ1201となりました。集電装置はYゲル(静岡鉄道秋葉線で見られたポールの先端が集電シューに変えたもの)からZパンダとなり、1964年2月には室内蛍光灯化と貫通路を設置しています。

あっさり渥美線に入線した120号車とは対照的だったのが121号車。
1943年に静岡鉄道を離れ、(旧)西武鉄道に譲渡されて(旧)西武鉄道でもモハ120型121を名乗りますが入線間も無くして電装解除されクハ1120形1121となります。(1948年)クハ1151形クハ1159→(1952年)クハ1231形1238→(1954年)クハ1231形1231と短期間で3回も改番します。

1956年再度電装されモハ151形161(2代目)となり小平支線で活躍しましたが1959年豊橋鉄道に譲渡され、モ1200型1202となりました。この時ク1505(もと(旧)西武鉄道多摩川線キハ20→西武鉄道クハ1122。後にク2301に改番)と編成を組み2輌編成で転入しそのまま渥美線で営業運転に就いています。

こうして編成は組まないものの静岡鉄道を離れてから実に約30年ぶりに再会を果たしました。

1968年の大改番で1201モ1600形1601に、1202モ1600形モ1602となりました。

1972年、モ1602は方向変換と機器配置変更を行いモ1650形1651となりました。こうして16011651は50年振りにMM編成を組んで運用につきました。1601は一時期、幅広の両開き中扉となっていましたが晩年は戻されました。客用扉もモ1601は木製扉、モ1651はHゴム支持でパーツも長年の遍歴を物語っています。


豊橋鉄道モハ1601
高師駅側線
1988年11月28日

お別れ運転時には写真のようにグリーン1色となり引退しました。1988年にさよなら運転をしましたが。廃車は1993年3月でした。



豊橋鉄道ク2701
高師
1990年10月10日

どちらも前身は、1944年に梅鉢鉄工で製作された(旧)西武鉄道モハ200型で車番はモハ207・モハ202でした。1948年にモハ251型モハ257へ改番ののち片運転台化改造を受け1954年にモハ221型(2代目)モハ227へと再度改番されました。

更に、モハ222型(元・モハ202)の方は1958年に制御車化されてクハ1221型(2代目)クハ1222となり、モハ227+クハ1222の編成で活躍ののち1963年5月、豊橋鉄道へ譲渡されました。(旧)西武鉄道最後の自社発注車であった同系列は地方私鉄でも手頃な性能・大きさで一畑電気鉄道(デハ60)、山形交通三山線(モハ110、クハ160)にも譲渡され活躍しました。


豊橋鉄道ク2701
新豊橋
1988年2月11日

入線当初は1701+1751を名乗り塗色は腰回り緑+窓回りクリームでした。その後黄色に赤帯塗色に変更され1968年の大改番の際に1701+2701に改番されました。


豊橋鉄道モ1701
高師
1990年10月2日

600V時代には使いやすく手頃な大きさであったため主力として活躍しましたがもと名鉄5200系改造の1900型が出揃った1990年頃から休車となり1997年(1500V昇圧時)に廃車となりました。




豊橋鉄道ク2731
高師駅側線
1992年5月7日


ク2731元小田急デハ1366です。1930年川崎車輌製で戦時統制令に伴い東急電鉄と合併、即ち大東急の発足を受けて戦時中にもと帝都電鉄、現在の京王電鉄井の頭線に転出しました。
1945年5月25日〜26にかけての空襲により永福町車庫が被災、22輌が被害を受けます。
幸いにもデハ1366は比較的被害が少なかったためデハ1401、クハ1553・1554は車番もそのままに1947年11月に東横線へ転出しました。


その後も小田急時代の車番、スタイルもそのままに東急東横線で活躍をつづけます。


東急電鉄らしい車体を架装した
デワ3043(もとデハ3498)


1964年に東横車輌工業で更新修繕を受けて車体形状は後のデハ3600形全金属車体車などと同様のノーシル・ノーヘッダー構造の車体に交換され東急らしい車体となりました。この更新後は小田急在籍当時の部品は全く残っておらず車番もデハ3550型3554となりました。
東急東横線では1975年まで活躍を続けました。
廃車後は豊橋鉄道に譲渡され、方向転換と電装解除の上ク2730形ク2731となり、モ1731と一緒に編成を組みます。



豊橋鉄道モ1731
柳生橋ー小池
1991年5月6日

相方となるモ1731もと帝都電鉄(現在の京王電鉄井の頭線)デハ1401で1933年川崎車輌製です。1945年5月25日〜26にかけての空襲により永福町車庫が被災します。
幸いにもデハ1366は比較的被害が少なかったためデハ1401、クハ1553・1554は車番もそのままに1947年11月に東横線へ転出しました。

あれ?空襲に被災した件
どこかで聞いたような…

実はモ1731とコンビを組むク2731は空襲で被災してからの因縁。デハ1366同様、帝都電鉄時代の小田急時代の車番、スタイルもそのままに東急東横線で活躍をつづけます。


デハ1401は1959年に東横車輌工業で更新修繕を受けて車体形状は後のデハ3600形全金属車体を架装、デハ3550形3553となりました。

デハ3553・3554はとも台車は川崎K-3という一体鋳造台車を履き、主電動機も東芝SE-139Bという、旧帝都電鉄に由来する東急では唯一のものを使用していました。
車体は比較的新しかったものの保守部品入手に難があり、異端者的存在だったこの2輌は早々に営業運転から外され1975年に廃車、豊橋鉄道譲渡されました。



豊橋鉄道ク2731
柳生橋ー小池
1991年5月6日

豊橋鉄道では17〜18mクラスの釣り掛け電車に国鉄仕様の電気機器を搭載した車輌が多く、前掲の西武鉄道系の転入車とともに活躍しました。
もと名鉄5200系改造の1900型が出揃った1990年頃から休車となり1997年(1500V昇圧時)に廃車となりました。

30年ぶりに再会し50年ぶりに手を繋いだ1600型西武鉄道時代から手を繋いで生涯を終えた1700型空襲の惨禍からともに逃げてソックリな車体となり豊橋に来た1730型。1500V昇圧という障害はともに乗り越える事は残念ながら出来なかったのでした。