設楽町郷土資料館
2002年8月15日
田口鉄道→豊橋鉄道田口線が姿を消して今年で50年が経過してしまい、当時活躍していたデキ53が放置ののち解体、モ36が1989年に田口線時代の装いに戻されたものの1991年頃には解体されてしまい、遺構は…と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
設楽町の郷土資料館にモハ10型モハ14が大変綺麗な状態で静態保存されています。
モハ10型は1926年に豊川鉄道に5輌、鳳来寺鉄道に1輌が日本車輌本店にて新製されました。当初はモハ1型と称していましたが1938年の改番でモハ10型に改番されて鳳来寺鉄道所属車はモハ10、豊川鉄道所属車はモハ11~15となりました。
戦中〜戦後に酷使されたのかモハ11・モハ12は部品が調達できず1949年に廃車され、残り4輌も1951年4月に廃車となりました。モハ14・モハ15は田口鉄道で再起して旧番号のまま引き続き田口鉄道線内で活躍を続けます。モハ10・モハ13は大井川鉄道に譲渡されモハ201・モハ202として再起しました。
豊橋鉄道田口線モ14
本長篠
前照灯は2灯化され、行先は『清崎』とあるので最晩年の田口線での写真と思われる。1964年7月に「モハ」→「モ」への改称は昭和39年7月に実施されている。
モハ10は全長15mの半鋼製電車で制御方式は直接制御、電動機はTDK-31 (52.2kW) 4個を装備、歯車比は17:67。大正末期〜昭和初期にかけての地方私鉄では普通の出力でしたが戦後では非力となり飯田線が大都市圏からの(旧型)国電が転入すると真っ先に廃車となりました。
1956年10月、田口鉄道は豊橋鉄道と合併し"豊橋鉄道田口線"となりました。1963年3月日に豊橋直通運転が廃止され、1964年12月には田口線のバス化計画が発表されました。
地元住民、製材業者を中心に廃止反対運動が展開されましたが客貨とも利用の減少に歯止めは掛かりません。もともと三河田口駅は設楽町中心部から遠く離れておりバスで連絡していた事もありモータリゼーションの進展は顕著に現れていました。
1965年9月、水害のため清崎~三河田口間が不通となりバス代行となり、1968年7月、遂に全線の運輸営業廃止が認可され同年8月一杯で全線廃止となった。
廃止直前の8月29日、台風10号の大雨による田峯~清崎間の路盤流失のため三河海老~清崎間が不通となり清崎駅にモ36が取り残されてしまいました。
画して1968年8月31日は本長篠~三河海老間で、モ15による「さよなら運転」が実施されました。
モ14は当初田峰駅跡に保存されていましたが、1978年に旧設楽町の郷土資料館に収蔵されました。当初は屋根も無く色褪せて、パンタグラフは伸び切った状態でしたが、屋根を設けられ、色褪せた車体はすっかり現役当時を彷彿とさせる艶やかな車体に塗り直されました。
いまでは田口線で使用されていた備品等共に大切に保存されています。
🔵不運だった駅舎保存🔵
旧三河海老駅舎❷
1990年8月18日






