田口鉄道で活躍した車輌は豊橋鉄道合併後も元の形式番号のままで運用され、同線廃止後は大半の車輌が渥美線へ転用されました。今回は田口鉄道モハ36→豊橋鉄道モ1711と旧田口鉄道遺構についてまとめました。
豊橋鉄道モハ1711
高師駅側線
1990年8月15日
豊橋鉄道渥美線で永らく活躍したモ1711が廃車となる際に田口鉄道時代の装いに改装され、当時の鉄道ファンを驚かせました。当時はここまで徹底した復元リバイバル運行される事は稀で、どうしても観に行きたくて自転車飛ばして片道40kmの豊橋まで観に行きました。
豊川鉄道モハ38→田口鉄道モハ38
鳳来寺
1962年11月23日
豊川鉄道・田口鉄道のモハ30型は1929年に増備された半鋼製電車で、製造は日本車輌製造が行なっています。これに違和感を覚える方はかなりの旧型電車好きですね。そう、車体形状は川崎造船所製電車とソックリなのです。
これは1927年に導入した川崎造船所製のモハ20とほぼ同形です。豊川鉄道に3輌(31 〜 33) 、田口鉄道に2輌(36・37) が製造されました。
田口鉄道の2輌は製造時は電3形(101・102)であったが、1938年1月に豊川鉄道所属車と同形式の通番とされ、モハ30(36・37) に改称されました。
社線時代は三信のデ300形とともに吉田(現在の豊橋)ー天竜峡間の直通列車に使用されて国有化後は豊川鉄道の3輌は鉄道省に編入されたが、田口鉄道の2輌は買収対象にならずそのまま使用されました。
豊橋鉄道モハ38の牽く混合列車
田峯付近
(設楽町郷土資料館展示パネルより)
1952年、田口鉄道と国鉄との運行業務委託終了と同時に36, 37は運行・管理とも田口鉄道となりましたが豊川鉄道から国鉄飯田線に籍を置いていたモハ31〜33は1952年2月に宇部電車区に転出しました※。この際、戦前から継続していた田口鉄道への直通運転は一時中断しましたが、国鉄標準型機器への交換を行なって再開されています。直通運転は田口鉄道が車両の検査業務を委託していた豊川分工場が廃止された1963年3月24日まで社形と国電の併結が見られた。そのため連結器は密着連結器を装備していました。
※モハ31〜33は1952年2月に宇部電車区に転出したのち1953年2月から3月にかけて府中町電車区に転属し福塩線用となる。同年6月に施行された車両形式称号規程改正によりモハ1610形 (1610〜1612) と改称された。1956年3月に3輌とも廃車され、田口鉄道、大井川鉄道、三岐鉄道に1両ずつ譲渡された。そのうちの1両1610は、田口鉄道に譲渡され、機器の国鉄標準型への変更や側窓のアルミサッシ化、客用扉の鋼板プレス製化などの車体更新を行なわれ、再び通い慣れた飯田線で僚車とともに再度豊橋乗り入れ用に使用されていた。同車の田口鉄道における車番はモハ38となる。
1988年11月23日
高師駅側線
田口鉄道の電車も電気機関車同様、豊川鉄道・鳳来寺鉄道と共通運行をしていた関係で、買収後もそのまま運行管理を国鉄に依託していました。
この結果、飯田線に転入してきた国鉄車と併結運用するために1952年に機器を国鉄型に変更しています。
1968年に田口線廃止に伴い渥美線に活躍の場を変えます。当時の渥美線は架線電圧が600Vで電動車とガソリンカー改造の制御車が固定編成を組んでいました。制御方式は直接制御のままで相互の連結はありませんでした。
その中で田口線から転属してきたこの3輌が契機となって旧型国電の機器を流用するケースが次第に増えていきます。雑多な車輌ながら混結できるようになったのは、このあたりが一つのきっかけだったと考えられます。
豊橋鉄道渥美線モ1711
1990年8月15日
高師
渥美線登場時には大型車の部類でしたが、名鉄(初代)3300系や3800系など大手私鉄中古車による体質改善により、1980年代には豊橋鉄道に於いては標準的性能を持ち合わせることとなり両運転台車のため増結車として幅広く活躍しました。
しかし老朽化が進行し、都度車輌の増減を考える運行から固定編成化した運用にかわり1988年に引退しました。さよなら運転に際し田口鉄道時代の焦茶色に塗り替え車体の番号表記も昔の36に変えて営業運転に就きました。
モ1710形1711~1713。
1929年日本車両製です。 うち、モ1711と1712は、製造時から田口鉄道籍のモハ101・102→モハ36・37→モ36・37です。
1713は豊川鉄道籍のモハ31→国鉄モハ1610を1956年に購入し、モハ38→モ38としたものとなります。