高師駅構内の引込線は元々は日本石油のタンク貨車が出入りしていました。
この引込線はユニチカ発着貨車の操車のほかに石油扱いもあり、隣接する石油タンクへ供給もされていました。厳密に云えば専用線ではなく高師駅構内側線扱いだったようです。


豊橋鉄道高師駅側線に面した
日本石油施設の
ガソリン計量器

貨物扱い廃止後も留置線として永らく残り、時に暫しの骨休みに使用され、これから改造されるべく取り込まれたり、或る車輌は終の住処にこのレールは使用されました。




豊橋鉄道デキ451
高師駅側線
1989年11月23日

豊橋鉄道田口線の前身:田口鉄道が自社線開業に際して新造した電気機関車で1929年、鳳来寺口(後の本長篠)三河海老間11.6kmを開業するに当たり貨物輸送用電気機関車が新造されることとなり系列会社である豊川鉄道や鳳来寺鉄道が保有していた車輌と同規模の最新鋭40㌧級国産電気機関車が用意されました。それが田口鉄道デキ53、後の豊橋鉄道デキ451です。型式は豊川鉄道・鳳来寺鉄道所有機ともにデキ50でした。




近江鉄道ED281
八日市
1956年:高橋弘氏撮影
やまや所蔵
1925年English Electric製。鳳来寺鉄道:電機51を付番された後100に改番されるも1930年9月:デキ100、1938年11月:デキ50に改番。1943年8月に国有化されデキ50のまま引き続き鉄道省飯田線で活躍を続け1952年4月ED281に改番された。
1956年2月廃車となり1956年2月近江鉄道ED281となる。1963年10月山形交通高畠線ED2として1974年11月路線廃止により廃車された。その後上山市の遊園地"リナワールド"で静態保存されていましたが老朽化のため解体されている。


近江鉄道ED282
西ヶ崎
2015年2月17日

遠州鉄道の貴重な機関車とディーゼルカー | yamaya-1210さんのブログ


岳南鉄道ED291
岳南富士岡
2009年1月16日

1926年12月日本車輌豊川工場で製造。電気機器は東洋電機に拠るもの。豊川鉄道デキ52として活躍を開始し1943年8月国有化され引き続きデキ52のまま飯田線で活躍(配属は豊橋)。1952年4月、ED291に改番されて1956年7月に中部天竜支区に移動されて1959年3月廃車。1959年に岳南鉄道ED291として


開業当時の田口鉄道沿線には海老・田口といった旧伊那街道沿の街は存在しましたが鉄道から外れて衰退の一途をたどる中で、何故立派な最新鋭電気機関車が用意出来たのでしょうか?
それは、この地域が沿線の段戸御料林をはじめ豊富な森林資源に恵まれ、"宮内庁の出資を仰ぐことができた"という特別な事情もありました。田口鉄道は当時宮内省を筆頭株主に擁しており、開業当時は1,067㎜軌間ながら森林鉄道としての性格の強い珍しい要素を持ち合わせていました。


豊川鉄道と鳳来寺鉄道は1944年に鉄道省飯田線として買収されましたが、盲腸線であった田口鉄道はそのまま私鉄として残りました。デキ53は田口鉄道籍のまま国鉄に供出され、田口鉄道からそのまま飯田線に乗り入れ運用されました。1952年からは田口鉄道に復帰し引き続き木材などの貨物輸送を行っていました。



田口線内で活躍するデキ53
(設楽郷土資料館展示品より)

1956年10月、田口鉄道豊橋鉄道に合併されて豊橋鉄道田口線となりました。デキ53は豊橋鉄道籍に編入されて引き続き田口線で活躍を続けましたが木材需要の減少に伴い、1965年に渥美線に転籍する。この際架線電圧600Vへの降圧工事を実施しました。

1968年の豊橋鉄道の一斉改番にてデキ450形:デキ451に改番されました。

引き続き本線貨物列車牽引用として活躍しましたが末期は余剰休車となり、1984年2月の貨物営業廃止に伴い廃車となりました。最晩年には高師駅側線の奥に押し込まれて荒廃していました。