伊勢市に到着しました。
反対側からは名古屋に向かう”みえ8号”(2908D)を見送ります。



伊勢市駅に隣接して何輌かディーゼルカーが待機しています。ここは今年3月末を以って廃止される伊勢車両区です。





1889年11月に参宮線の前身にあたる参宮鉄道山田機関区として設立された由緒ある車両区で、1907年に国有化されて鉄道院参宮線となります。1917年1月には亀山検車所山田分所となり永らくその時代が続きます。
1959年2月に伊勢機関区が設立されますが当時は天王寺鉄道管理局管轄で略号は”天イセ”と称しました。その後は組織改正に伴い、伊勢管理所、伊勢運転区と名乗りますが国鉄分割民営化を控えた1987年3月、名古屋鉄道管理局伊勢運転所(略号は”名イセ”となる)となりました。
翌月1987年4月国鉄分割民営化に伴い、東海旅客鉄道(JR東海)東海鉄道事業本部の管轄となります(略号は”海イセ)”。



JR東海に移行後は旧伊勢運転所は伊勢運輸区伊勢派出所となり1993年1月には現在の検修庫が完成しました。



同年8月には快速みえで使用されるキハ75が新製配置されました(現在は名古屋車両区・美濃太田・高山に移動)。
1994年5月には新洗浄線及び汚物抜取り装置、1999年1月には仕業検査上屋が完成し検修設備の充実が図られました。
2001年4月には伊勢運輸区から乗務員部門を分離して伊勢車両区となりましたが2016年3月一杯で127年に渡る長い歴史が幕を閉じます。





⚫︎現在の伊勢市駅



⚫︎広い地上駅のホームが懐かしさが漂う伊勢市駅のホーム

🔵キハ25



●キハ25 M112編成

2013年に開催された伊勢神宮の式年遷宮に伴う輸送力増強用として、2010~2011年にかけて日本車輌で製造されたディーゼルカーで当時まだ非電化だった武豊線に5編成10輌が投入されました。初期に製造された10輌は座席は転換クロスシートで0.100番台はトイレ付、無の違いです。武豊線電化により美濃太田車両区へ移動して太多線・高山本線で活躍しています。




●キハ25 M111編成ほか4連
多気
2016年3月21日





●313系 B501編成
名古屋
2016年3月21日



外観をみると貫通扉上の前照灯がなく、キハ25は鹿除けバンパー取付けのためスカートの形状が異なるなど違いがあります。また、側面の扉間の窓は5枚から4枚に変更し側面腰板のビートも無くなり無地です。

2014年~増備されたキハ25は老朽化した在来型気動車(キハ40系やキハ11-0番台)の淘汰を目的として、一部仕様を変更した2次車が順次製造され、高山本線および太多線に導入されています。美濃太田・高山車両区に配属された増備車は寒冷地仕様となり1000・1100番代が付番されて先述の0・100番台も美濃太田転出の際には同様の仕様に改装されました。

2015年から今年にかけて紀勢本線・参宮線で導入されたものは1500・1600番台を名乗りますが1000・1100番台を暖地仕様に変更したものです。14編成28輌が投入されました。これをもって国鉄時代より使用される車輌は211系M51.M52編成を残すのみとなりました。


🔵キハ48



最後まで活躍した伊勢車両区キハ48の来歴です。1995~1999年にかけて機関の換装が行われ(C-DMF14HZB化)、0→5000番台、500→5500番台、1000→6000番台・1500→6500番台へ改番します。
更に1999~2003年にかけてはワンマン化が行われて元車番+300番に改番されています。併せて機関が、C-DMF14HZを搭載している車輌は3000番台を名乗るようになりました。




●キハ48-6812+キハ48-3812
伊勢車両区
2016年3月21日



キハ48-6812はもとの車番はキハ48-1529。1979年富士重工製て新製配置は美濃太田。

1996年8月、名古屋工場で機関を換装してキハ48-6512へ、更に1999年12月同所にてワンマン化が行われキハ48-6812へ改番しました。2011年に現在の復刻調ツートンカラーとなりました。2015年7月、美濃太田車両区での運用が終了して伊勢車両区へ転属、最後の活躍をしています。

一緒に編成を組むキハ48-3812はもとの車番はキハ48-529。6812と同じく1979年富士重工製て新製配置は美濃太田。
1991年3月、名古屋工場で機関を換装してキハ48-3529へ、更に1999年12月同所にてワンマン化が行われキハ48-3812へ改番しました。2011年に現在の復刻調ツートンカラーとなりました。2014年12月、美濃太田車両区での運用が終了して伊勢車両区へ転属、最後の活躍をしています。
なお、この編成は4日後の3月25日に運用を離脱して3月30日付で廃車となりました。

今後はミャンマーへ輸出し再稼働する予定です。





●キハ48-6804+キハ48-5802
伊勢車両区
2016年3月21日
伊 キハ48 6804(←6504←1518)

キハ48-6804はもとの車番はキハ48-1518。1979年富士重工製て新製配置は美濃太田。
1995年7月、名古屋工場で機関を換装してキハ48-6504へ、更に2000年2月同所にてワンマン化が行われキハ48-6804へ改番しました。2015年、美濃太田車両区での運用が終了して伊勢車両区へ転属、最後の活躍をしています。

一方、キハ48-5802はもとの車番はキハ48-510です。1979年7月富士重工製て新製配置は美濃太田。
1998年2月、名古屋工場で機関を換装してキハ48-5502へ、更に2000年8月同所にてワンマン化が行われキハ48-5802へ改番しました。2015年7月、美濃太田車両区での運用が終了して伊勢車両区へ転属、最後の活躍をしていましたが4日後の3月25日に運用を離脱して3月28日付で廃車となりました。

今後はミャンマーへ輸出し再稼働する予定です。







●キハ48-6810+キハ48-5807
伊勢車両区
2016年3月21日


キハ48-6810はもとの車番はキハ48-1527。1996年10月、名古屋工場で機関を換装してキハ48-6510へ、更に1999年12月同所にてワンマン化が行われキハ48-6810に改番しました。
6810号車は以前、高山本線長期運休の際に打保駅で残されていた車輌で名古屋工場に入ったあとに一時的に伊勢に来た事もありました。

2015年3月、美濃太田車両区での運用が終了してふたたび伊勢車両区で活躍を続けています。

一方、キハ48-5807は1979年12月富士重工製て元の車番はキハ48-524。
1997年2月、名古屋工場で機関を換装してキハ48-5507へ、更に2000年2月同所にてワンマン化が行われキハ48-5807へ改番しました。
2015年に美濃太田車両区での運用が終了して伊勢車両区へ転属、最後の活躍をしていましたが4日後の3月25日に運用を離脱して3月28日付で廃車となりました。
今後はミャンマーへ輸出し再稼働する予定です。