我思う、ゆえに我あり ~ HBB コンサルティング
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御久し振りの日記に身も蓋もないテーマを選んでしまいました。


ソブリンリスク・・・・

(国が発行する債券に関するリスク)


いえね、みなさん、良く、


「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」ってお聞きになりますよね?


薄暗い中、その正体を知らずに、必要以上に恐れる事、の例えです。

私はかつて仕事柄・・・というわけではないんですが、日本中のホテルのM&Aをしていて、本当に寝る間も無い位忙しい時、自分の担当のプロパティに行って、仕事をしていたら、何故か夜中・・・って事もあり、


何せ、仕事先がホテルなんで、夜中になっても泊るところはその場所なので、よくもまあこれだけ働いた!

って自分でも思うのですが、ホテルなんて、本当にいい例で、


夜中のホテルのOfficeで働きたい人なんて、あまりいないんじゃないでしょうか?

色々な想像してしまいますよね?


まあ、何か見えちゃったりする能力のない私は、慣れもあって、夜中だろうと何だろうと、ホテルの中をうろちょろするのは全く平気ですが(表じゃないのよ、バックの結構風情のある・・・特に築年数の行っているホテルとか中々いいかんじで。。。)


(だから、私は下手に視覚化なんて学びたくないんですよ、見たくないものを見てしまうかも・・・←分かる人にはわかるネタ)



話が脱線しましたが、何が言いたいかと言いますと、最近中々ヒートアップしているEU諸国のPIIGS問題。


んまあ、ギリシャの事なんてもしかしたら他人事、イタリアだってなんとなくニュースでは色々言っているけど、



まさか、日本に、っていうか、自分の生活には全く関係ない!

だって、アイスランドのときだって、別に大丈夫だったし~~~~~。



と、思われる方々も多いのではないかと推察します。


「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」(なんとかなる!)



ってのと、このソブリンリスクは少々、事情が違うようです。


幽霊の正体見たり、大魔王!



って感じに見えてなりません。




そもそも、何故に世界の国がこうも見事に、危機に直面しているのか、それはグローバル経済と言うものを理解する必要があります。


えっとね、グローバルな経済の仕組みを、人間はITや仕組みを通して、発展させてきました。


グローバル経済って、特定の国に限定はされないんですよ。

もたれあい、というか、共存の概念で運営されているんです。


共存ともたれあい・・・似ていて非なる概念ですね。



共存の概念だと、プラスがプラスの効果を呼ぶ相乗効果となりますが、もたれあいになると、もろ刃の剣となります。


何が言いたいかというと、このグリーバル化に対しての既存国家の対応力がどうももたれあいになっている。

この現状を引き起こしたそもそもが、国々が従来の論理で自国民の最大利益を追求しようとすると、その事がめぐりめぐって、自国民の最大利益を損なう事に繋がってしまう事になる。


そのからくりがどうも、国家レベルでの認識が薄く、まだまだ従来通りの手法を取り、国が借金を重ねて、無い袖まで振らされ続ける国も出て、結局みんなで、幽霊は、枯れ尾花だ!


と、必死に思考を、ポジティブに持って行っているように、


う~~~~ん、ポジティブと言うより、見たくないものを見ないように、しているように私には見えます。



これらの現状を一つずつ、綴って行こうと思っております。


これって、実は宇宙の循環の法則にも関わる事なんですよ。



そんなわけで、あまりに身も蓋も無いトピックですが、




現実を把握するという事はとても重要なので、数回にわたって、ソブリンショックについて書いてゆこうと思います。


http://www.hbbconsulting.com/
http://marilyn-laplace.jimdo.com/



何だかもう、1年以上ほったらかしにしておいて、今更なんですが。。。


いえ、先日、お仕事で御一緒させて頂いた方から、このほったらかしのブログを褒めて頂いて。。。

こんな古い記事を読んで頂けることもあるのだなあ。。。と、嬉しくなり。。。。


とりあえず、再開宣言します!


読んで下さいね~~~~!





ご機嫌いかがですか?

本当に毎日暑いですね。


今日は重い日記を書きます。

ただ、主文は丁度一か月前、Mixiの日記の方に書いたものです。

ひと月前、とても親しいお友達に会い、ある事をして、ふと真剣に死生観について書いたものです。

今読み返してみて、私の基本の考えは変わっていないのと、私の今の心の声と照らし合わせても変わらない軸があるので、そのままコピーをする事にしました。


今日、私は自分の無力さをつくづく感じました。

この想いは、以前私は同じ思いを2度した事があります。


中学の時、親友が白血病で亡くなった時。

8年前、とてもとても好きで、人生の師が亡くなった時。


そして今日、又・・・・・。


私が今後、医療再生のお手伝いをするにあたり、自分の基礎の想いを残す為に日記を残します。



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私にこれを語る資格が無い事を重々承知で書こうと思う。

私は自分が当事者でない事を、又無経験な事、直面をしていない事で、又想像することと、当事者になる事では全くレベルの違う事だと思うので資格がないと言っている。

つまり、私は、健康そのもので、個人としては“死”というものに直面はしていない。


又は、身近な身内の例で言っても、祖母や、親友の死を身近に経験はしているが、やはり近いというのが、自分の子供とか、両親ではないので、多分その資格が無いように感じる。

両親はもういつお迎えが来てもおかしくない年齢になったし、病気も無いわけではないが、歳の割には、という定義で行けば、十分健康であろう。

そして、私自身、数年前に自分の中の幻想を克服して以来、両親にはとても穏やかに接しられる。

怒りという感情から解き放たれて、彼らを理解をして以来、私は心穏やかであり、このような精神状態に彼らが生きている時になれたことを心から誇りに思うし、良かったと思う。

まあ、これは単なる自己満足のエゴではありますが、それでも何か見えない力に有難うという気持ちである。

今の状態になった私の元に、まだ両親が健在というのは本当に幸運だ。



私は、医療行為について、経営の観点から入って行った。

私は、ビジネスプランというのは、短期、中期、長期を同時に見ながら、“今”“何を”“するのが”最適か!という事を選んでゆく作業だと思っている。

私がいた、プライベートエクイティ投資の分野では、長期という概念が殆ど無い。

IRR重視であり、IRRとは私は、投資の回収期間を見るだけのツールであり、その後、ビジネスの全体像とは全く関係の無い指標だと思っている。


そんな私が短期のリターンのビジネスモデルに疑問を持ち、浜矩子先生等にその苦悩を吐露し、友人や兄達の影響で、医療分野の経営という所に興味を持った。

でも、末期治療という行為についてはとても疑問がある。

兄が、苦悩しながら、

“先生、出来るだけの事をして下さい。”と患者の家族に言われて、出来る事は、黄色いぶよぶよの猿状態に患者さんをすることが、彼の出来る事であり、それが事実だとして、兄はそれを説明するが、下手したら、訴えられかねない。

そして、延命治療は収入という点では、とても儲かるのだ。


そして、心情的な事をいうと、患者自身も、そして患者の家族が少しでも長くという感情を持って、それをとやかく他人が言えるだろうか。

私の母方の祖母は、私がスイスにいる時に亡くなった。
大往生という95歳まで生きた。

私がイギリスで大学生の時にマーケットで買った翡翠の安い指輪を

“これ、お守り!”と言ってプレゼントしたら、それを生涯つけてくれていた。

亡くなる一寸前に、祖母の指が一寸汚れて、母が指輪をはずして手を拭こうとしたら、朦朧とする意識の中で、その指輪をはずされるのを拒否したと聞いている。

そして、祖母は、その子供だましのような左手にしていた指輪を唯一の命綱のように、死ぬ前にずっと右手で左手の指輪を握りしめていたそうだ。
殆ど意識が無い状態で。。。


95歳、きっと十分という歳月を生きたであろう。
でも、祖母は死ぬのが怖かったのだ。

死ぬ頃、幼児化していた祖母は、最後まで呼び続けたのは祖母の母だった。

相思相愛の夫婦で、私が生まれる前に肝硬変で亡くなった祖父ではなかった。

警察官であった、曾祖父が台湾に赴任して、祖母は弟である大伯父と二人で親戚に預けられた。

そして、さみしかったととは聞いていたが、祖母は晩年、母の事を曾祖母と間違って、呼び続けた。
祖父の事はころっと忘れていたそうですが。。。


母である曾祖母を呼び、死が近づいてきた時、おもちゃのような指輪を必死で握りしめていた祖母。

そんな姿を見て、母が必死で祖母の延命を望んだ気持ちも私には否定できない。

その行為を、心情をエゴと片づけるのは簡単だ。
しかし、私にはそうは割り切れない気持ちになる。


そして、死んだ経験や死に真っ向から未だ直面していない私にはどうしても想像の世界になってしまう。


兄は、黄色いぶよぶよのお猿さんになる事実を、こう説明するらしい。

“僕が出来る最大の事は、これだけだと。。。そして、自分の親が同じ状態になった時、僕はそんな状態に自分の親をしたくないと思う、、、”


と。。。。


延命措置は、患者、そして多分に家族のエゴかもしれない。

しかし、人類は、死との恐怖と闘いながら、進化してきた。
そして、現代医学の発展は、その恐怖をどんどん打ち負かすように、発展している。

これがいいのか、悪いのか、健康で、死を自分の直面する問題では少なくとも現在無い私がとやかく言う事自体、傲慢だと正直思う。

そして、ゲノムの研究の第一人者である、中村先生等の研究に対する姿勢を見るにつけ、人類の肉体の研究を、やり過ぎだという事は私には出来ない。


私は中学の時に、白血病で親友を失った。
私は、彼女がもう少し、後で白血病になったなら、もしかしたら生き残れたのではないかと思う事もあるが、でも30代で同じ年齢の友人も白血病で亡くなったので、100%完治出来る病気でも未だないのだという事は知っている。


あの、やさしかった親友が、中学生という年齢で死ななければならなかった理由は私にはわからない。

理由なんてないのかもしれないが、理屈で話が出来れば苦労はしない内容である。

彼女が生きていたら、恋もしただろう。
人生を長く生きれば、苦悩はあっても、自分次第で生きていてよかったと感じる時も沢山あったであろう。

生きる事が=100%幸せとは思わない。

しかし、やはりこの議論は、私が、私自身が“死”というものに直面して、当事者としてどの様な精神状態になるかで私の考えがはっきりするだろう。

私は、私の出来る事は今、生きる時に、悔いのある人生は送るまいと思うし、そう生きるしかないと思っている。

自分の見栄を出来る限りそぎ落とし、自分に嘘のない、自分の価値観の中にあるプライド高き人生に近付ける努力以外、何も出来ないのである。
そうやって生きて、自分の寿命が来た時、まあ、事故等で、死に向き合わない最後かもしれないが、いつか自分の中に答えが出ると信じている。

その時に、我が人生は悔いなし、有難うと思えたら、その時、私は初めてあの世から、人類の進化論を唱える資格が出来ると思っている。


今、自分の中で、答えが無いものを扱うのだ。
もし、私が資本主義経済運動の中、病院というものの、経営に我が生涯を捧げるとしたら、

というより、病院の経営という媒体を通して、自分の生きる意味を見つけたいと思うなら、“死”という概念の答えが“自分の中”で確立できないのなら、どんなにみっともなく“生”にしがみつく、病人や、もしくは自分のエゴだけで、延命を願う家族に直面しても、それを受け入れ、その中でBetterな解決策を見い出す努力位は全力でしようと思う。


それが、死生観で、そして人生に苦しんでいる兄を少しでも愚妹ではあるが、追っかけている私の使命であり、自分の今の器では最大限の事だと感じている。



私は他人に対して何も出来ないが、でも自分の生き方だけは自分でコントロールが出来る。

それだけが、自分の出来る事であるという事を、骨の髄まで染みわたらせよう。


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こんな事を一か月前に友人限定の日記に書いていました。

私は今日のショックである事に直面して決意をしたのではなく、ずっとこう思っていたのだって自分で確認が出来て正直ほっとしました。


中学で白血病で亡くなった親友、38歳と言う若さで心臓で亡くなった私の師。

そして、私がどん底の時に、唯一手を差し伸べて下さった尊敬する大好きな人の生き方を決して忘れてはならないと心に誓おうと思いました。


そして、人を愛する事への覚悟、というか、自分のエゴではなく、心から大切な人に対して無力な自分のフラストレーションを、愛の押し売りとして、相手に与える事はすまいと、心から想った。

その人は私が人を愛することの意味を全く取り違えていた時、私に人を愛すると言う事、そして人を大切にするという真の意味を私に教えて下さった大恩のある方です。


私は、両親の御蔭で、本当に健康に恵まれた体を持っています。

両親に感謝し、又沢山の事を教えて与えて下さった偉大なる方を裏切らない人生を自分の為に生きようと、深く決心をした日でした。