夏休みです。
街中に子供たちの姿が多い。
何処に行っても混んでる。なぜなら子供たちは横に並んで歩くから他の歩行者を妨げるし、列に並んでも広がるから余計に混んでるように見える。レジでのお会計も買い物慣れしていない十人の集団が一人一人並んで会計するから、混む。万引きもし放題。
未だに地面に座り込む若者がいるのが信じられない。その地面に着けた尻で、これからバスの座席に座るのかと思うとゾッとする。足元には煙草の吸殻。飲んでいるジュースの缶は、当然そこに置いていく。
歴史の授業なんかよりも、社会の仕組みとか、マナーとか、もっと学校で教えれば良いのに。と思います。
もちろん、全ての子供、学生たちがそうだとは申しません。

日本人はマナーが良いと言うけれど、私は少し違うと思う。
自分の意見をはっきり言うアメリカ人の方が自分をしっかり持っているし、自分を尊重してもらいたい代わりに他人も尊重する中国人の方が好感が持てる。彼らは決して人に恥をかかせたりしない。「だから俺のことも丁重におもてなししろ」という態度は、見方によっては横柄かもしれませんが。

まったく関係ない愚痴をたらたらと述べましたが、とにかく夏休みです。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、昔々、私が高校生の頃、夏休みの読書感想文の題材にした小説です。
当時、ジャッキー・チェンやブルース・リーのカンフー映画にハマっていた私は、あるときテレビのブルース・リー特集で「燃えよドラゴンというタイトルは、司馬遼太郎の燃えよ剣からヒントを得た」ということを知り、「どんな小説だろう」と思って図書館で手に取った本でした。
そして、ルパンの「燃えよ斬鉄剣」も、もろパクりのタイトルだなあ、と思ったものでした。


1835年。
武蔵国多摩郡(現在の東京都日野市)石田村の豪農の家に、10人兄弟の末っ子が誕生します。
たいへんな乱暴者で喧嘩がめっぽう強く、「バラガキ(触れば怪我をするいばらのような悪ガキの意)」とあだ名されたその少年が、後に「鬼の副長」と恐れられ京都の街を震撼させることになるのです。
少年の名は、土方歳三。

歳三と同じく多摩の農家の倅で一つ年上の宮川勝太が近藤家の養子になり、やがて試衛館という剣術道場の師範代として門弟たちに稽古をつけていた頃、歳三は関東の各地を歩き、薬売りをしていました。
この薬「石田散薬」というのがたいへん興味深く、「切り傷、打ち身、捻挫、筋肉痛、骨折に効く」という当時としては万能薬のような代物で、しかも「散薬」という名の通り、塗り薬でなく粉末の飲み薬というから面白い。
武士や剣術道場の門下生にはもってこいのこの薬は、関東に広く卸され、昭和の時代まで製造は続いたといいます。
日野市において現在でも年一で「石田散薬をつくってみよう」というイベントが開催されているとか。

ところで、この近藤家の試衛館という剣術道場は、流派を天然理心流といい、有名な千葉周作の北辰一刀流や上泉信綱の新陰流などと比べれば、当時まったくの無名で、田舎剣術でした。
試衛、という名前に関しても、壁に「試衛」という文字が掲げられていた、というだけのことであり、それが道場の名前なのかは定かではないと言います。史料に「試衛館」という名前の道場が出てきたこともないそうです。
現在では場所も名前も、実在の有無も定かではないこの試衛館ことを、京極夏彦の時代小説『ヒトごろし』では面白く取り上げています。
「試衛が何を意味するものかはわからない。
そもそも、試すを衛る、という言葉の意味自体、謎だ。達筆な文字で流れるように書かれているから本当に試と読むのかも判然としない。じいさんは誠と読むのかもしれないと言っていた。誠を衛る、なら意味が通る」
と。
たしかに、後の新撰組が「誠」の一文字を掲げて活動していたことを考えると、道場の名前は試衛館ではなく誠衛館だった、とするのが合理的な解釈に思えます。

話が逸れました。

さて、青年となった歳三。
相変わらず喧嘩は強かったですが、年齢を重ね、知恵と経験を積んだかつてのバラガキは、もはやただの乱暴者ではなく、軍略家と言ってもいいような喧嘩師へと成長していました。
集団と喧嘩をするときには、事前にその周辺の地図を描き、ここで待ち伏せて何人やって次にここまで走る、といった具合に作戦を立てるのです。
後に、京都守護職のもとで暗殺や捕縛といった任務を得意とした新撰組副長の片鱗が、この頃すでに顕れていたと言っていいでしょう。

家督を継いで近藤家の家長となり、勇、と名を改めた勝太と、少年時代にともに剣を学んだこともあるバラガキの歳三の人生が再び交わったのは、そんな折。
幕府が「浪士召し寄せ」のお触れを発した時でした。
将軍の上洛に際し、その護衛を広く募集する、というもの。
しかも、身分を問わず、とのことです。
こうして集まった、234名の浪士たちのなかに、近藤、土方、沖田、永倉らの姿もありました。
この時に結成されたゴロツキたちの集団、浪士組が、京都へ向かい、やがて分裂、後の新撰組へと発展していくわけです。


この作品は、新撰組副長の土方歳三を主人公とし、その生涯、多摩石田村での暮らしから函館五稜郭での最期までを描いたものになります。
本当に素晴らしい作品で見所もたっぷりですが、特筆すべきは、新撰組を題材にした小説としては珍しく、鬼の副長の恋愛が描かれているところでしょうか。
物語の冒頭から、「女をころしにゆく」というのです。
この、ころす、というのは殺すではなく、犯す、つまり女と性交しにゆく、という意味です。
若い歳三が初めて関係をもった女、そして次の女、また次の女というふうに、その情交が描かれます。
このあたり、先に触れた『ヒトごろし』では、冒頭で歳三がほんとうに女を殺そうとしていますから、なんとなく『燃えよ剣』に対するオマージュなのかな、とも感じます。
本作では、オリジナルキャラクターとしてお雪という女性が登場し、彼女との人生最後の恋には切なさと温かさをおぼえます。

もう一人のオリジナルキャラクター、歳三のライバルとして登場する七里研之介(しちり けんのすけ)。
たいへん強い剣客で、物語冒頭の石田村時代から、新撰組として活動する京都時代まで、幾度も歳三の前に立ちはだかります。


この作品を読んでわかることは、新撰組というのは、なにも特別な超人たちの集まりではなかったのだ、ということです。
もちろん、沖田、永倉、斎藤などに代表される隊の主要メンバーは、それぞれ一流の使い手だったに違いありません。
しかし、多いときには200人にまで膨れ上がった新撰組の隊士たちのほとんどが有象無象のいわばチンピラで、尊皇や攘夷、佐幕など特にこれといった志を持たない者も多く、まさに烏合の衆でした。
そんな烏合の衆を束ねていたのが、局中法度。新撰組のルールです。

脱走すれば切腹。
勝手に借金をすれば切腹。
個人的な争いをすれば切腹。
勝手に訴訟を起こせば切腹。

とにかく切腹です。
極め付きは、「士道不覚悟」。
すなわち、武士にあるまじき者は切腹、というもの。
ということはつまり、脱走だろうが借金だろうが個人的な争いだろうが、のべつまくなし「士道不覚悟」ということで切腹なのです。
新撰組は殺した敵の数よりも処刑した味方の数の方が多い、と言われる所以です。

そんな恐ろしい局中法度を作ったのが、鬼の副長・土方歳三です。
当時、彼が内外の人間からどれほど恐れられていたか、想像だにしません。
ですが、鬼とはいえ人間です。人並みに思考したり、迷ったり、恋をしたりもしたのです。
『燃えよ剣』では、そんな鬼の人間臭い一面が丁寧に描かれます。

全ての新撰組作品は、この作品を土台にして作られてきた、と言っても過言ではないかもしれません。
現代の人々がイメージする、新撰組という組織、その構成員たちの姿の、基盤を作った名作です。
世の若者たちは、これを読んで今すぐゴミの置き去りや無秩序な振る舞いをやめましょう。
士道不覚悟にあたります。