①リズムの重心

「バックビート」

そのキーワードになっている「重心」。

 

 

これは位置を表す言葉で、姿(物~図面)の存在には絶対的に含まれているものだが、〝リズム〟という形無きところにこれを登場させたのが、まさに革新的というか、ピンとくるものがあり、不可解もある。

 

〝リズムの重心〟とは、モノの例えの比喩なのか。

 

 

皆が追求してやまない〝リズム〟とは、パルスの事ではない。

『電車がトンネルを出た後も、メトロノームのリズムと自分のリズムは同じだったよ』みたいな外人ドラマーのコメントを、むかし雑誌で読んだ事があるが、そのリズム感ではない。

パルスの無機質な間隔に加えられる魔法の方。有機的な、動物的な、感覚的なウネりの方である。

 

 

その正体が、一体何なのかと言えばそれはもう〝動作の再現〟でしかない。

どんな動作なのか。〝移動する行為〟である。

 

 

リズムは〝時間の経過〟である。

そこに同調する手段として、我々の頭の中には〝重心移動の連続するもの〟が再現されているはずである。

多くの人にとってはそれは歩く事だし、あるいは舟を漕ぐとか人によってあるかも知れない。(ハートビートという言葉があるが、心拍とリズムやグルーヴは関連は無いと思う)

 

 

もしも、この〝移動する行為の再現〟〝日常での単調な重心移動の連続の再現〟にグルーヴの本性があるとするならば、〝どんな歩き方をしているか〟とか〝動作の支え方、すなわち重心への対応をどうしているか〟などを知る事で、自分や他人のグルーヴを研究できるし、そもそも「リズムの重心」という概念が成立する。

 

 

練習によって自分と音楽がシンクロしてきてリズムに乗り込める感覚になり、あるいはアンサンブルの一体感が出てきたと感じる事があるだろう。しかし、その人やその集団の潜在的な重心移動が、演出したい目指すリズムのそれと違った場合、残念ながらそのいい感じになったグルーヴ感は、『でもなんかやっぱ違う』という結果になる。

 

 

 

②「乗リ込み」と「押し込み」

映像で、アマチュアの日本人ドラマーがパワフルにドラムを叩いていた。

 

なかなか上手に見えるし、とても気持ち良さそうにバンドを楽しんでいた訳で口を挟む筋合いは何処にも無いんだが、重心移動はこの様になっていた。

 

 

『小手先じゃなくスティックに体重を乗せて、スネアに、2・4に落とす』のような意識はあるのだと思う。

結果として、打つたびに彼の体は打点と、あるいは床と逆の方向に浮き上がっていた。ぱっと見、躍動感は半端ない。

 

これはどういう事か。

 

 

「乗る」という動作と「押す」という動作がある。

例えばスクワットをして『前荷重で』というアドバイスを受けた時、『前荷重だからつま先荷重』という事で、つま先で床を押し込んでしまう人がいる。

〝つま先荷重〟は良いのだが、思い余って床を押してしまうと、乗せるべき重心は後退する。結果的にこれは〝後ろ荷重〟。

〝前荷重〟は、足の前側に重心を揃えるだけでいい。重力の鉛直線上である。それ以外にやる事は何もない。ただし、重心を任意の場所に揃えておくこと自体は、意外と難儀な事である。

 

 

これは実際のあるある話で、指導者にあっても勘違いのまま『前荷重はフォームが悪くなるからNG』との持論を展開する人もいる。『外人とは骨格が違うから』とか『重心移動と体重移動は違うよ』とか、解らないからって無茶苦茶言う人。

 

 

トレーニングだけじゃない、あらゆるスポーツジャンルで、「乗り込む」を「押し込む」の動作に誤解する傾向があり(内荷重・外荷重、地面の反発をもらう)、理論は根深くいつまでもいつまでも炎上している。

 

どれもこれもどうやら日本では「重心」とか「重力」とかそういうものが、いつも我々に作用する身近なものだという認識に欠落している事に、原因があるように思う。(日米アニメ比較)。

 

 

 

③重心と支点の関係

先ほどのドラマーの話。

座った姿勢という事で、まずは日本と欧米の、テーブルでの食事姿勢を観察してみたい。

 

『ヒジをつくのは行儀が悪い』なんて日本文化はもう絶滅したのか知れないが、でも箸を使うならやはりヒジをついては食べにくい。

ヒジ云々よりも〝食器を自分に引き寄せて食べるのか、それとも自分が食器に寄って行って食べるのか〟という比較でみて欲しい。

 

 

日欧の比較は、大まかにこの様になる。

もしもこの体勢から、そのまま体を伸ばして立ち上がったら、それぞれどうなるだろうか。

 

日本人では後ろにひっくり返ってゆく。重心が後ろに外れるから。

対する欧米人では、先ほどの〝前荷重〟の状態に入って、いわゆる機能的な姿勢に移行する。

 

『欧米人は前にひっくり返るんじゃないの?』と思うかもしれないが、人の体は前方向にだけ「足部」というアームを備えており、このアームを活用して、人は動作を調整している。

人にとって〝前〟はデッドゾーンではない、機能的な空間である(前に倒れる映像、後ろ方向にはできない)。

 

 

欧米人の座り方は重心を外していない。

対する日本人のイス座りは、重心が外れている。(死に体。あるいは次の動作にワンステップ多く必要)

 

 

 

ドラムを打って、ペダルを蹴って身体が後ろに跳ねる反力は、自分の重心とそれを支える支点の位置関係において、あるいは動作中の自分の重心への対処(自分の支え方)において、日本と欧米のイス座りの食事比較に似た、あるいは「荷重」を「押し込み」に誤解してしまうパターンに、おんなじ原理があると見受けられた。

 

欧米人のドラミングを一通り見渡した限りでは、どんなにパワフルであろうともアタックに伴ってイスからお尻が浮く人間はいなかった。

ドラムのことを何も分からないで言っていて恐縮だが、一般的なマニュアルではこのフォームに対してどうなのだろう。

 

 

 

そもそもこの動画は、ドラマーの姿勢でなく、バックビートが主題なのであった。

 

「人の重心」について、もし良ければ僕の過去動画での解説を観て欲しい。

 

 

 

 

④バックビートであるかないか

〝リズムの重心〟からの、簡単に言えば『その人のグルーヴはその人の歩き方のクセが出たもの』という話。

 

『歩くなんて手足を逆に出して行くだけの事』でもいいのだが、『たまには人生のムダも良し』という感じで僕の話を聴いてみて欲しい。

 

 

ここに、日欧の歩き方を再現した。

前者を「和製バックビート」、後者を「リアルバックビート」として話を進めてゆく。

 

両者の違いは、まず先行させる身体部位が、足なのか上体部なのかというところにある。

 

円運動における前者は「振り子」、後者は「倒立振り子」であり、自分を残してまず土台をセットするのか、それとも自分を落下させて足を追従させるのか、そういう対照的な構図。

 

結局は、イスに座っての食事のパターンと全く同じ位置関係になるし、「前荷重」の言葉に対して意識を足元に向けるのか、それとも上体に向けるのかという傾向にも同じ。

 

 

実際に楽曲にその歩き方を重ねてみよう。

まずはリアルバックビートから。

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リアルバックビートに和製バックビートで乗り込もうとすると、2・4の足を着く瞬間の地面が変な感じ、ないだろうか。着こうとする足のウラが地面にフィットできない感じ。たぶん体重が乗ってないから跳ね返ってしまうんだと思う。

 

和製バックビートの曲ではどうか。

ここは邦楽でなく、洋楽曲でご紹介したい。

僕も大好き。超名曲。ボンジョビのリビンオンプレイヤーである。

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和製バックビートにリアルバックビートで乗り込もうとすると、倒して行こうとする胸が壁に当たる感じで阻まれて倒れてゆけない。仕方ないから足から出していくと、それが曲にピッタリマッチする。

 

 

曲をまともに掲載する事ができなく残念だが、皆様はどう思われただろうか。

どうか色々当て嵌めて検証してみて欲しい。

 

 

 

バックビートの「バック」は、「後ろ」でなくて「背中」が語源らしい。確かに身体用語には背骨や腰に『back』の文字が入る。

ならば、『リアルバックビートの上半身から倒れていく様は、まさに〝背中〟を押される事そのまんまじゃないか⁉』とでも言って、確証を得た感じにしたいところだが、〝押されてしまう〟というのが受け身的でなんか気に入らない。

重心を外す寸前の自分で頑張る「タメ」が、様々あってそれぞれのバックビートの色になると思うのだ。着地が遅れたり乗り込みが早かったりするズレも実動作としてはアリ。熱くなって気持ちよくなってテンポが上がって行くのも自然の流れ。

 

 

よく指を振って表すブランコのUの字の軌道は、バックビートでなく和製バックビートの振り子運動である。

リアルバックビートにしたかったら、ブランコじゃなくてトランポリンのY字(あるいはγ?)。トランポリンの軌道こそがバックビートのエネルギーグラフ(速さと時間の相関、明確な打点)であり、倒立振り子の運動である。

 

次章で解説する。

 

 

 

 

⑤和製バックビートはヒザで跳ねる

それぞれの歩き方とその重心移動は、一小節4拍にどのように再現できるのか。

 

一小節4拍で二歩(運動学的には一歩)進み、その2と4の裏拍で着地する事を前提として考えてみる。

 

 

以前の動画にも説明した通り、和製バックビートの一拍目が重長く感じるのは、足を振り出しながらも後ろ足の上に重心を留めてバランスを保ち、つまりその安定と安泰感が原因だと述べた。

で、バイオメカニクス的には足を出すだけでは前に進めない。振り上げた足は元の位置に戻ってしまう。

 

どうすればよいか。後ろ足の膝を曲げるのである。

 

 

和製バックビートの〝軽やかに平坦に跳ねる感じ〟は、後ろ足膝の、まさに曲げる動作そのものである。

振り足の接地タイミングは、この膝曲げにコントロールされるだけなのでパルスに忠実となれるが、着地は〝2つの支点に支えられる自分〟となり、スピード感には無縁。モモ前の筋肉を使うので疲労も早い。

 

着地してもまだ両足の間にある重心を、進めるのは後ろ足の押し出しである。後述するリアルバックビートには、これらの〝地面を押す(反発する)動き〟は無い。

 

後ろ足は重心を押し進めて前足に乗せたのち、トゥオフして振り出す足に切り替わる。

どっちかって言うと、2・4の後の方に動作の種類が多くて忙しい感じ。

 

 

対するリアルバックビートのエネルギーは、1・3の姿勢、その状況に集約されると言って過言ではない。

この姿勢。ファッションモデルが写真に納まるポーズで一番多いヤツ。

 

特徴は上げ足の膝下。運動学的には一歩の25%あるいは75%の位置で、歩行周期においては重心が、背丈が一番高くなるタイミングの姿勢。

この姿勢のまま、足の距離二十数センチを重心が前に滑走し、そして前に外す。

倒れ始めた体は、物理に従って角度を増すごとにスピードを速める。

 

リアルバックビートの狙い目は、この2・4に向かって落ちるがごとに加速する強烈なスピード感、吸い込まれ感だ。

2・4の前は、息をするなんて到底できない。集中の緊迫が強すぎて、そこに楽器の音すら出せないかも知れない。

 

 

それからの着地。

 

着地の後は、手を加える事は何も無い。落下のスピードは、カカトの丸みを利用して体を前に移動させ、重心の上昇という消費に相殺されてゆく。トランポリンで跳ねた直後からのように、上昇する空間を気持ちよく楽しむだけ。

 

 

全ては物理に従うまま。おそらくこの手法で歩くように人体は進化を遂げてきており、骨の丸みや関節の向きなどそのように仕組みができている。

日本人に生まれた事を悔やめと言っているような、ケチョンケチョンなここまでの流れだが、そこは次の最終章まで動画を観て頂きたい。

 

 

ちなみに、下り坂では自然と倒立振り子の歩き方になる。足のアームを使って重心をコントロールする歩き方。足首の柔らかさと足指の握力、そして上半身をビッと立てて重心位置を適正に保つ腹筋が大事。(下り階段は違います。)

逆に滑る所を歩く時は、国籍人種に関係なくなるべく重心を外したくない訳で、後ろ足の上に重心を留めて足を出す所謂〝へっぴり腰〟の、振り子の円運動になる。

 

 

⑥日本人の本来の動き

日本人のテーブルでの食事姿勢は、重心を外している〝死に体〟だと解説した。

 

だが、元来は畳に正座でのお椀と箸である。

この状態から、脚を伸ばすと人は前に転がる。

後ろから刺客に抜かれた時、前に翻ってかわしながら返り討ちにすることができる。重心が外れているどころか、スキが無い。

 

 

つまり、欧米文化との融合が、やはり日本人の動作をスポイルしている。

 

日本人の動作の根幹は、農耕ではなく武術だと思っている。

 

欧米人の動き、我々の形に対してある意味正当なその動き方は、位置エネルギーを運動エネルギーに転化する重心外しの瞬間がスキになる。重心を外したら、次の着地まで空間におけるその軌道を変えたり戻ったりできない。何もできない無力の時間。ここが武術では刺されて斬られる場所になる。

サッカーやバスケなら抜かれる場所。フェイントにかかってお手上げの、あのどうしようもない瞬間の話である。

 

武術において、これはヤバい。だから重心を外さない歩き方をするのであり、両膝を抜けば姿を消すこともできる。西洋人のように体は立てない。関節は緩みの状態にしておかなければいけないから。

 

全て戦略的に、動物的な動きをさらに一歩進めて、千年以上の時をかけて磨き抜いた知略的な動きが、現代では垣間見る事も難しい日本古来の動作だ。

 

 

日本の伝統的なリズムも、当然その要素で成り立っている。

重心は外さず、関節の締りも作らない。

 

だから恐らくどのタイミングでもリズムに入って行けるはずである。和製バックビートとはまた違う話。

 

 

対するバックビートでは、僕のグラフによると少なくとも3拍目過ぎからの助走が必要。

『①イチ、②ニイ、③サンの④おい!』かな。

 

 

僕はバックビート至上主義じゃない。

邦楽で好きな曲やミュージシャン沢山あるし、初期のチェッカーズはビートルズに匹敵する世界文化遺産だと思ってるし、桑田佳祐はポールマッカートニーに匹敵する天才だと思ってるし、アルフィーが青春だった。

 

 

しかし、ブルースとかソウルとかヒップホップだとかの看板を掲げるなら、ピッキングのアタックとかフレーズとかよりも、黒人ぽい歌唱力とかライムとかフロウとかよりも、バックビートであるかないかが一番大事だと思う。