秋は感傷の季節。なんて言うが、私は1年で1番、7月にその季節がやってくる。7月に突入して早数日、気に留める暇もないくらい仕事が忙しいが、ふとした時に思い出して気分が滅入ってしまう。まだ私は自分自身の呪縛から解放されていないのかもしれない。


  もう10年以上も前のことになる。私には大好きな人がいた。私は物心がついたときには既に「同性の人を好き」な人種だった。そしてそれが「普通ではない」ことを悟るにも時間は掛からなかった。


  「わたしね、○○くんが好きなんだ!」「○○くん格好良いよね!」同級生たちのそんな言葉を私は理解出来たことがない。ずっと適当に合わせて逃げてきた。そもそも小学生以下の年齢の世代にとって、世界は学校が全てと言っても過言では無いと思う。顔が良い、格好良い、なんてものは知れている。世の中もっと格好良い異性はいたと今なら思うが、当時は地元という狭い世界の中で、窮屈に生きていた。だから私は公立中学へは進学しなかった。遠い所へ行くことを選んだ。


  そんな中で私はとある同級生に思いを寄せていた。当然本人にそんなことを伝える訳もなかったが、とある事件をきっかけに私たちは恋仲になった。私は拒絶されると思っていた分、受け入れられたことが意外だった。同性で恋人関係というものがこんなに簡単に成立してしまうことが、少し怖かったのかもしれない。


  本当に大好きだった。故に「恋仲であることを知られたくない」を理由に人前で避けられること、そんな私を差し置いて仲良しだからと特定の1人の友達とべったりいること、そしてそれをまじまじと見せつけられることが、当時の私は本当に辛かった。恋仲になったと同時に、これまで一緒に過ごしてきた時間は明らかに減った。親に愛されていないと感じていた分、目に見える形で愛して欲しいと思っていたんだと思う。


  他のことはずっと一緒にいるのに、なんで私とは一緒にいてくれないの?普段クラスが違うんだから、放課後しか会える時間がないのに、どうしてそこにいるのは私じゃないの?どうしてその子なの?私のことは好きじゃないの?じゃあその子と一緒になればいいんじゃないの?


  今思えばだたのメンヘラだった。当時はそんな言葉はなかったから、私のこういった言葉は癇癪持ちか、狂気の沙汰と思われていたんじゃないかと思う。それでも、目に見える形で愛情表現をしてくれなかったことが、私には死ぬほど辛かった。私は彼女を深く傷つけた。故に私は嫌われた。別れたのが7月。それ以降は部活で会っても口も聞いてくれなくなった。地獄のような日々だった。他の友人たちにも気を遣わせてしまったと思う。だからこそ、卒業と同時に部活友達とは一切の関係を絶った。私が絶つまでもなく、向こうも最早私とは連絡など取りたくないと思うが。


  一連の出来事で私は後悔もしたし反省もした。本当は同性が好きだけれど、異性を好きになる努力をした。愛が重いと思われかねない発言、行動を辞めた。束縛だったかなと思うことも全部辞めた。優しい人になろうと努力した。私が変わらねばならぬと自分に言い聞かせてきた。おかげで今、私がずっと望んでいた人並み程度の幸せな生活を手に入れた。それでも過去に彼女を傷付けた事実は変わらない。


  彼女以上に好きになれる同性はいないと今でも思っている。それくらい、彼女のことが好きだった。だから二度と彼女は作らない。彼女以上に愛した女性を作らない。それが私なりの懺悔だと思っている。そして7月がやってくる度に当時のことを思い出す。



  今、彼女がどこで何をしているのか、どんな生活をしているのか、健康なのか、幸せに過ごしているのか、何一つ分からない。私は何一つ知らない。私には知る権利もないし、知ることすら許されないと思う。


  それでも、こんなだめな私でも、今、彼女が私以外の誰かと幸せになっていて欲しいと、心から願っている。