世界史の授業で勉強した程度の知識しかなかったので、
遠い昔の話のように感じていたけど、
私が5歳の頃の話しなのだと考えると改めて驚く。
年末年始のベルリン旅行でDDR博物館に展示されていた
旧東ドイツの国産車 Trabant (トラバント) に一目惚れ


本当はそんな話を書きたかったけど、やっぱりその前に
なぜベルリンの壁ができたのか、簡単に説明だけ…

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ドイツは日本と同じく第二次世界大戦に敗戦。
敗戦後、ドイツはアメリカ、フランス、イギリス、ソ連占領地域に
4分割される。
1949年に東西ドイツが成立し、資本主義のアメリカ、フランス、
イギリスなどの占領地域が西ドイツ(ドイツ連邦共和国/首都ボン)、
共産主義のソ連の占領地域が東ドイツ(ドイツ民主共和国/首都ベルリン)
となる。
東西ドイツの国境には鉄条網が敷かれた。
さらにソ連の占領下にあった旧ドイツの首都ベルリンは、4ヶ国の
共同管理都市として、アメリカ、フランス、イギリスが管理する
西ベルリンと、ソ連が管理する東ベルリンとなる。

ベルリンが東西に分裂された為、家族や友人と離ればなれになって
しまう人たちもいたが、壁が作られるまではベルリン市内は自由
に人の往来ができていた。
しかし、西ドイツと東ドイツの経済格差が大きくなり、
さらに1953年に東ドイツが生産性向上を狙い労働者のノルマ引き上げを
発表すると、東ドイツ(東ベルリンを含む)各地で暴動が発生。
ソ連軍の出動で暴動は鎮圧されたが、自由を求めて西ドイツへ亡命する
人々が後をたたなくなった。
東ドイツは住民流出を防ぐため、1961年8月、住民に予告もなく、
西ベルリンの周りに壁の建設を開始した。

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事前に色々な社会背景を知っていた方が旅行は何倍も楽しめると思う

Trabantについてはまた次回に
