有名な「忠臣蔵」「赤穂浪士」の一説
元禄15年3月14日、勅答の儀の当日。
浅野内匠頭は色々な迷いが生じた。
天皇の使いである勅使に対する、勅答の儀の日の礼服は
烏帽子大紋(宮中での武家としての最高礼装)なのか?
長裃(遠山の金さんみたいな、武家の略礼装)でいいのか?
指南役の吉良上野介に尋ねると
「長裃で良かろう」
との返事。
ところが指南通り長裃で登城すると…、みな烏帽子大紋ではないか。
やはり吉良がまた嘘を教えた。
しかし、それを予感していた浅野の家臣はもしやの場合と
烏帽子大紋を用意しておき
「ささ、殿、これにお着替え召され」
で事なきを得た。
「殿が長裃で良いというのだから…」と何の危機管理もしない家来は無能!
「万が一聴き間違い・伝え間違いがあったら一大事。万難を排せ」と
考える家来は有能!
まあ、後者はなにも事が起こらないわけで、何事もなかったように
事は終わります。
現代の会社でも、こんなことは日常茶飯事。
有能な人材は、日常を問題無きよう粛々と進める奴なんですよ。
決して目立たないけどネ…。