お元気様です。はづき虹映です。
いつもありがとうございます。
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その昔、「手かざし」をウリにしている、
某宗教団体から「幹部として迎え入れたい…」
というお話しをいただいたことがあります。
なぜ、私に白羽の矢が立ったのか…。 (^^ゞ
そのときはもちろん、丁寧に
お断りさせていただきましたが…。
宗教について、否定するつもりはありません。
信仰によって、救われることもあるし、
人生の拠り所になることもあるでしょう。
ただ、「これじゃないとダメ」という制約が多いと
不自由です。
誰かを、何かを崇拝することは、
自らの自由を明け渡しているのと同じです。
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人の手からは、エネルギーが出ています。
相手に向かって、手をかざせば、
当然、何らかのエネルギーが流れるでしょう。
特に「手かざし」のチカラを信じて、
日々、励行しているのなら、なおさらです。
それは何も特別なことではありません。
ただ……。
「手をかざす」という行為には、
純粋なエネルギー以外に、
何か別のエネルギーが混じるような気がします。
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正直、手をかざしても、手を当てても、
流れるエネルギーは、さほど変わりません。
私たちを取り巻くオーラと呼ばれる、エネルギーフィールドの
中に入っていれば、手をかざしていても、当てていても、
相手に届くエネルギーの質量や、
エネルギー的な効果・効能は、あまり変わらないと思います。
「手かざし」と「手当て」のいちばんの違いは、
第三者からの見え方と、それに伴う当事者の意識です。
「手かざし」は、明らかに第三者の目を意識しています。
手をかざすほうも、かざされるほうも、
そして、それを見ている第三者も、
「特別なことをしている」と意識することになります。
その特別感、特別意識が、問題なのです。
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それに対して、「手当て」のほうは、
手を当てるほうも、当てられるほうも、
それを見ている第三者も、「特別なこと」という
意識はあまりありません。
誰でもお腹がいたければ、お腹に手を当てます。
歯が痛ければ、歯に手を当てる。
子どもがアタマが痛いと訴えれば、
母親は、自然と子どものアタマに手を当てるもの…。
まさにそれが、「手当て」=「治療・ケア」の
原点なのですから…。
この「当たり前のこと」と、「特別なこと」の違いが、
圧倒的な違いを生むことになるのです。
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この世で生きる私たち人間は、肉体をもつ存在です。
肉体をもっている、いちばんのメリットは、
「触れる」という感覚を味わえること。
この肉体がなくなれば、「触れる」という感覚を
味わうことはできなくなります。
だからこそ、私たちが肉体をもって生きている限りは、
「手かざし」ではなく、「手当て」だと思うのです。
「手かざし」でも、エネルギーは届きます。
しかし、「手当て」で届くのは
エネルギーだけではありません。
相手に直接、手を当てれば、
「あたたかい」という触覚が伝わるのです。
これが「手かざし」と「手当て」の決定的な違いです。
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「たたかい(戦い)」に「あ」をつけると、
「あたたかい(温かい)」。
人は温かくなると、戦う心が溶けていくものです。
「たたかい(戦い)」と「あたたかい(温かい)」を
分けるのは、「あ」の一文字。
相手にそっと手を当てる…。
そのとき相手はきっと、「あっ!」と思うハズ。
その「あ」の一文字が、「たたかい(戦い)」の心を
「あたたかい(温かい)」ものに変えてくれるのだと、
私は思います。
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