東海豪雨の記憶 | おじさま(^ω^)のブログ

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2000年9月11日~12日。愛知県にいっぱいの雨が降りました。


※15年という事と関東の浸水を見て、記憶を残そうかなと思った次第で、長くなりそうなので、スルーしてください。


(当時のお家)


道路面からは50cmくらい宅地地盤が上げてあり、その上に基礎があります。


11日の16時過ぎくらいに雨が多くなってきたので、17時の就業終了時間に、職場の1/3の人数が職場待機に!

自分は、「歯医者さん」の予約がしてあってので、帰宅組にしてもらった(^^;)


歯医者さんの治療が終わり、帰宅時間が一緒になった嫁ちゃんをクルマに乗せて、18時30分頃に帰宅🏠

家の西方向から川に向かって少しずつ下っている様で、自宅西隣との境界辺りから道路冠水がしていましたが、そのまま玄関前まで水の中を進んだ🚙


玄関前で嫁ちゃんを降ろした際に、ドアを開けた瞬間に車内に水が(@_@)


この段階で、駐車場に停めるのは危険と判断して、200mくらい離れた場所に路駐Ⓟ


もう1台の車庫に入っているクルマは、川側の道路に面しているので、もう出せない(*_*)


(平常時の玄関前 : 9月12日ですが)


(11日18時53分)


(11日21時50分 向こうのガードレールが沈んでいる!)


(11日19時05分 車庫に水が! クルマをギリギリまで前につけました。)


(11日21時27分)


(11日20時55分 玄関内に水が浸入🌊)


(11日21時25分 ついに玄関の縁に水がつきました。)


※この前に気が付きましたが、玄関からの水の流入を防ごうと、土嚢代わりの物を置いて、水中ポンプで排水をしていましたが、全体の水位が上がっているので、基礎の換気口から流入しており、無用な対策でした(◎_◎;)



(11日20時07分)



(11日21時49分 床上浸水を心配して、畳を上げています。)


上記の板の隙間から下を覗くとすぐ下に水が見えました!!


24時ごろまで水位は推移してしましたが、何とか床下浸水で収まりました。




(12日7時頃)











朝になり、一気に水がひいていました。

その理由は、… … 新川の堤防が名古屋市内で決壊して、大きな排水池が出来たからと思います。 決壊により、死者も出た大災害になったのですが(・_・;)


職場では、帰宅できずに災害対応をされていたようですが、地震と違い被災した人も限られるので、12日は、片付けのためにお休みをいただいた。


家廻りの道路等も水を撒いて片付けをして、ひと段落をしたお昼頃にテレビを点けたら、嫁ちゃんの実家がある「西枇杷島町(現、清須市)」が水没をしている映像が飛び込んできた(@_@;)


実家では、11日の夜に一旦避難所に行ったものの、1度自宅に帰り、未明の堤防の決壊を受けて、まだ水は来てはいないものの早朝に避難所に行くと連絡があった切、連絡が取れていない。


様子を見に行こうと、12時過ぎに出発🚙

国道22号で名古屋方面に向かいますが、西春町(現、北名古屋市)に入った所からまったく動かない!

ほぼ同じ場所で1時間。 嫁ちゃんが諦めて、帰ろっと。

チョイ、イラつきながら帰宅。


帰宅後にテレビを見たらわかりました。

そりゃ国道22号が動かないはず。

西枇杷島町で冠水を免れた、国道22号の道路上が、災害対策本部になっているので、完全通行止め。


テレビを見ていると、名古屋市から庄内川を渡った、西枇杷島町の本町通は冠水をしていない。

ここから嫁ちゃん実家までは、直線距離なら100m位。


名古屋市側からなら近くに行けそうなので、嫁ちゃんに提案したが、行かないとのこと。  … その間、自宅にも、役場にも電話がつながらないので、安否不明。


行こうと言っているのに、行かない嫁ちゃんと険悪な雰囲気になりながら、自分はひとりでお出かけ🚙💨


どこから、名古屋市内に入ろうかと思い、国道41号へ💨💨

豊山町辺りから、41号を走行しているクルマがほとんどいない。

てか、今の名2環近くでは車線上にとまったままになっているクルマが多数!

この辺りも水没したことが判る。


庄内川に架かる枇杷島橋を渡って西枇杷島町の本町通までクルマで入れちゃった。

実家方面の道路に曲がったら、その先は水没!

近くにいた人に、実家地区の避難所を聞いて、そちらの方に向かい本町通に駐車🚙


歩いて、避難所に向かうと、避難所が水没。

周りの人に聞いたら、避難している人が多数いるとのこと。


水の中を避難所に向かい100m位歩きます。

水深は、自分(身長173cm)の腰上位。


避難所内に入ると1階は水没。

2階の部屋はいっぱいらしく、2階に上がる階段にも避難者がいる状況。

しかも、誰が避難しているのか把握をしていないという(??)


避難者がいる階段を、土足のまま上がって行き(そのまま行っていいと言われたので。)、名前を呼んで発見。


この様な劣悪な避難所には置いておけないので、連れて帰ることに。

ボートがあるようなので、使用を求めたが却下。

やむを得ないので、義父母を自分に掴まらせて、義母の胸までつからせて救助。


嫁ちゃんに助けた旨を携帯から連絡して、無事に19時頃に帰宅。


大変な2日間でした。

さすがに13日は自分は仕事。

西枇杷島町の水が引いた14日も自分は仕事だったので、実家の片付けは親族たちにお任せをしましたが、嫁ちゃんの会社からも応援が来てくれて、とても助かり、自分が行った15日には、ゴミになった物は片付いていました。



今回の関東での浸水を見て、当時の事を思い出しましたので、記事にしました。