私の息子が自閉症という障害を持って誕生してから、もう37年もの歳月が流れました。産まれてから本当に普通の子どもたちとは全くといっていいほど違っていて、いわゆる子育てということについて本当に訳が分からないまま、ただ年月を過ごしていました。

それでも一般の子どもと同じように、3才の時には保育園、そして6歳の時には養護という言葉が付いていましたが、小学校に入学しました。

その頃は言葉など全くといっていいほど出ておらず、ただ「アー、ウー・・・」と言っているだけでした。行動も突然走り回ることもありましたが、それ以外はほとんどの時間を、ただ何もすることもなくボーっとしているか、うろうろと動き回っているだけでした。

不思議なことでしたが、食事などはいつの間にか箸使いを覚えて、それこそ豆料理なども一粒ずつ取って食べることができました。

トイレの方は入園した保育施設の方がそこの方針ということで、トレーニングパンツで漏らしても構わないようにして3か月ほど熱心にトイレを教えてくれたおかげで、小さい方は間違いなく出来る様になりました。

通園施設の方では、一日に何回か、突然飛び出すかのように教室から逃げ出していたとのことでした。原因は何も分かりませんでしたが、飛び出していく先は何時も物置、用具置き場の片隅でジッと座っていたそうです。

外出時には両親のどちらかが必ず手を握っていました。

大便の方は大体時間が決まっているようだったので、その時にオマルに座らせてみたところ、上手く排便が出来てそれ以降は問題としてはほとんど考えなくてよくなりました。幼児期は殆ど病気など、風邪やお腹をこわすということもありませんでした。

とにかく言葉が出てこないので、何かを教えるにも、どのようにしていいかも全く分からず、絵などを描かせようとしても、ただ紙にグシャグシャとして放り出してしまうのでした。目を離すと勝手に外へ出ていってしまうので、母親は日中気が休まることがなかった、と嘆いていました。言葉がどこまで通じているのかもさっぱり分かりませんでした。

律儀というのか行動に対しては、一度覚えたことは確実というような感じで、外に行くときはクツを履くことを覚えれば必ず履いていきましたし、ただ外に出ると、いつも同じコースを、それもいつも同じもの、例えば居酒屋の看板などをタッチしていました。

この頃のことです。車で15分ほど行ったところに美味しいラーメン屋さんがあり、月に1、2度出かけていたのですが、お店の前の交差点に車が差し掛かるとそれが分るのか、車の中で嬉しそうに飛び跳ねていました。それとたまたまケガをしたとき、お医者さんに行ったのですが、それまであまり使わなかった道でしたが、何故か次に通院したとき、まるで道が分っているかのように歩いて5、6分の所でしたが、サッサと前を歩いていきました。

ほとんど勉強らしいこと、また遊びらしいことさえしなかった子どもですが、一度試しにジグゾーパズルをさせてみたところ、すごいスピードで覚えていきました。最初は2ピースから4ピースのものを親がやり方を教えたのですが、理解できたのでしょうか、20,50ピース・・・と増やしてみましたが、アッサリというほど簡単にできたのです。ただ100ピースを越えるものができた頃のことです。私たちはジグゾーパズルをするとき、角や周囲の形からはめ込んでいくと思うのですが、息子の場合、手に取ったピースがだいたいどの辺りにあるのかを全て記憶しているかのように躊躇なく置いていくのです。

あまりの上達ぶりを見て、当初はとても嬉しく思ったのですが、それが何となく‘こだわり’という言葉と重なって、ジグゾーはそれ以上行なうことは止めました。ただ小学5年の時に学校で先生方に見ていただこうと思い、久しぶりに行ったところ、全く滞ることなく同じようにアッサリとできました。ただジグゾーについては不思議なことに、自分からは繰り返し行おうとすることはありませんでした。

 

そんな日々がいつまで続くのか何も分からないまま、小学5年生になった時のことです。

何故かその年の担任とは色々とやり取りができるようになったのです。言葉は出ていませんでしたが、それなりには理解しているようにも見えましたが、いわゆる遊びなどと言うような事は一切しませんでした。

それが、その担任とはコップを使った糸電話やいろいろな工作物を教えてもらいながら作れるようになったのです。何よりそれまで口を開けて笑うことなどもなかった、普段ほとんど無表情という子供に笑顔を始めとして色々な表情、それもこちらにその感情が明らかに分かるというものが出てきたのです。

それまでとは言葉の理解も全く変わってきて、それまではお菓子など食べている時に「ちょっとちょうだい。」と言っても、何故か一つずつしかくれません。「もっと」とか言っても、やはり一つずつでした。それがコップにお茶などを配る時、相手の顔色をうかがうようになり、相手が言う言葉に合わせるようになりました。実は担任の方との相性のようものがとても良かったので、ある試みをしてみました。

ちょうど運動会の練習が毎日ある時でしたので、その終了時に水筒からお茶を飲む、ということがあり、その時に担任に「お茶を下さい。」と声掛けをしてもらったのです。最初はいつもと同じく、形だけお茶を入れてくれたそうです。

そこで担任が「もっと下さい。」とそくしてみると、また少しお茶を入れてくれます。このやり取りを繰り返して、ある程度お茶が入ったところで一気にお茶を飲み干して、大げさに「とても美味しい。」と少し芝居をしてもらいました。

それを息子は何故かジッっと観察をするかのように見ていたそうです。

次の日、同じようにお茶を頼むと、今度は特に何もう言わずとも、お茶をかなりたくさんコップに注いでくれたそうです。それをまた「美味しいと」言いながらも飲み干すのを、またジッっと見ていたそうです。ただその時、何か満足そうといった表情でコップを受け取っていたとのことでした。それからは何も言わなくとも、お茶をコップにたくさん入れてくれました。

数日が過ぎて、たまたま少し涼しい日があり「今日はお茶はいらないわ」と断ると、何事もなかったかのように自分だけお茶を飲んだそうです。それまではいわゆる‘こだわり’というのか、何事でも一度覚えたことは全く同じように必ず繰り返していたことを考えると、それは少し不思議というような出来事でした。

そしてそれは間違いなく、息子の人生にとっての変わり目となったのです。

自閉症児の改善、療育について一つの例を上げます。

この時の息子の担任の方が、これから必要になるだろう、と紐の結び方、蝶結びを熱心に教えてくれました。しばらくすると形だけはできるようになりました。ただ蝶結びの本来の目的、しっかりと結び止める、ということはできず、ダラ~とした蝶結びの格好だけができていました。このダラ~とした蝶結びが、私たちが作る目的を持った蝶結びにどのように変化したかを書きます

ダラ~した蝶結びはそれ以上どうすればしっかりしたものに教えられるか分からないまま半年以上が経ちました。

ところが水筒のことである程度やり取りが出来た後のことです。それまで蝶結びの紐を「ギュと結んで」と言っても力が入らなかったのですが、それが突然力が入るようになり、きちんとした蝶結びができました。

オマケの話ですが、この蝶結びを利用して、紐の運動靴を履かせることにしました。支援学校の小学部ではほとんどの子が紐のない靴を履いていました。紐靴を履けるというので、帰宅時に多くの教師が玄関に来て、その作業を見守ることになりました。息子はそんな中でアッサリと紐のついた靴を履き、上手に蝶結びを作りました。

見ていた先生たちが皆驚き、歓声とともに拍手をしてくれました。

息子にとってはとても良い体験になったと思います。

それでは具体的に療育法を提案します。

紐靴、蝶結びは無理だとあきらめずに、まず紐にある程度しっかりと引っ張る目安として、丁度良い所に何色かで印を付けます。そしてその印を靴の紐穴が合わさるところまで引っぱるように指示をします。ここまでなら結構できる子が多いと思います。そこで子どもが合わせようとして力を入れ引っ張ったとき、傍にいる人が「ギュ―」とか「ギュ~っと」とかを言葉にします。何度か繰り返すと、子どもにも「ギュ―」との意味が伝わります。あとは普通の子と同じように何度か練習すれば上手にできるようになります。

自閉症児の思考機能、それが少し理解できると思います。そして大げさでなく、人の思考機能の発達に、この「ギュ~」というような言葉と同じようなものが大きく関わるものだということにもつながるのです。このことについてはまた改めて詳細に書きます。

また次のようなこともありました。

ある日、帰りの時間のことです。息子は自動車通学をしていたので、学校のバスで通学をしている子たちを見送るのですが、何故かその日、バスの乗降口を陣取ったかのようにステップに捕まり、離れようとしなくなりました。

他の子どもたちの乗降の妨げにもなるので、男の先生がステップから抱き上げて離そうとしても、凄い力でなかなか離れてくれず困ったそうです。2、3日様子を見ていた担任があることに気づいてある言葉掛けをしたところ、息子はあっさりとステップから離れ、バスを見送ったそうです。

男の先生が力を込めても離れなかった子供が、まるで魔法を掛けられたかのようにステップから離れたので、周りの先生はとても驚いていたとのことです。

実はバスの運転手が子どもの乗降を手伝うつもりで、運転席から降りたりしていたのですが、それではバスが走れないと勘違いをしたのか、息子はステップに陣取り運転手を席から離れないようにしていたように担任には見えたそうで、そこで息子に、「大丈夫、先生が運転手さんに席を離れないように言うから」と息子に言ったそうです。

それが魔法の正体でした。それまでどこまで言葉が分っているのか分からなかった息子が、これほど言葉が通じるとは誰もが思っていませんでした。

それ以降、担任は息子との関りには、ほとんど言葉掛けだけで済むようになった、と言っていました。言葉掛けで関われるということは、それまでとは全く世界が変わったかのように息子は成長をしていきました。その成長は多岐に渡り、生活面などまで含めて色々とありました。

散髪などでも、ただ大人しく出来る、というそれでもありがたかったのですが、終了時に鏡を見ながら髪に手を当て満足そうな表情を浮かべている、という普通の話に変化しました。

言葉の方は突然でしたが、明日の用意をするようにと言われて自分で用意をしながら、確かに「プール」と言いながらみ水着をカバンに入れたり、夜遅くなり「眠い」と言って寝室のベッドに入るというような事がありました。

言葉についてはそれから色々とあり、今ではほとんど出ていません。

夏休み、暑中見舞いということで、ハガキに切り紙細工の簡単なものを、ヒマワリ、金魚、朝顔など幾つか作り、それを満足そうに眺めたりするようになりました。家ではシイタケ栽培をしていたのですが、手伝いということで、シイタケがコンテナに入ったものを台車に乗せて運ぶのですが、いつのまにか大人のすることを見ていて、コンテナを交互に重ねることを覚えて、それも面白いのか自分の背丈より高く積み、台車を少し勾配がある所では、後ろに足を掛けて前輪を活かして通る等、それまでとはほんとうに全てといった感じで変わりました。

想定、という言葉があります。それまで息子のズボンはほとんどが吊りベルトを使ったものでした。できれば普通のベルトが使えれば、と考えましたが、ベルトを通すところ、それも背中の部分を通すことをどのように教えればよいかと悩んでいました。それも息子の変化とともに必要のない心配になりました。私たちがするようなことと同じように言葉で教えると、少しも滞ることなくアッサリとできたのです。

ベルトが、見ることのできない背中の部分をどのように通っているか、という想定ができた、ということでしょう。

音楽ではカスタネットとかタンバリンとかを与えられていたのが、ピアノを習うことを始めました。ピアノでは何故か指使いがとても柔らか、簡単な曲をあっというまに数曲弾けるようになりました。学校で音楽の時間に皆の前で演奏すことも出来ました。

自転車も覚えて、それも少し急な坂道を使い、何度も何度も往復を繰り返したりを自ら行っていました。まだブレーキをうまく使えなく、靴底を数日で穴をあけてしまう位熱心に行っていました。

半日ぐらいのサイクリングにも行けるようになり、驚いたことに田舎道でしたが、ある程度信号や交通ルールを理解していました。普段の行動の中で経験としていつの間にか身に付けていたのでしょう。後ほど改めますがそれまではいわゆる考え、思考機能がほとんど全て経験からのもので、こちらからは分からないことでしたが、考えている以上に色々と覚えていました。

自転車の次には一輪車にも挑戦しました。乗りこなせるようになりましたが、私たちとは違い上半身を殆どまっすぐにしてバランスを取るのです。特性でした。学校の好意で文化祭の劇の中で舞台の端から端を一輪車で移動をして、拍手をもらいました。支援学校で一輪車に乗れる子供はまだ少なかったのです。一輪車の直立姿勢でのバランスを取ることと、いわゆる数学での置換、つまり事象を数に置き換えて物事を考える、ということはなかなか難しいのか、計算は出来ても、その応用、理解は伸びが難しかったようです。

この様な事例はまだたくさんありますが、それらは記録がありますので随時整理していきます。

本題に入ります。

息子が何故、小学5年生の時に変わり始めたのか、それを考えている中で、私たち人間の思考の発達、誕生以前から母体の中での優れた仕組みなどについて、私なりに、ある考えが出て来ました。それを私なりの治験として書きます。

 

 

   原知覚

 人は誰でもが夢を見ます。希望の方ではなく、夜寝ている間に見ている夢のことです。

さてこの夢を見るということの仕組みはどのようなものでしょう。

私たちにとって見るという作業、いわゆる視覚能力についてです

目で物を認識するということは、目に入る光の波長、それを網膜などで受け止め、脳内にある画像とすり合わせをする作業だ、と簡単には言えると思います。ただ脳内ですり合わせする画像がどのような仕組みで構築されているのかがまだ理解されていませんし、またどの程度詳細な解像能力があるかはまだ解明されていないのです。

さてそれでは夢を見る仕組みはどうでしょう。

私の考えですけど、3Dビジョンのように、ある波長を重ね合わせるのではと考えています。視覚機能が光の波長を利用するように、夢では脳内を駆け巡る血量から派生するエネルギー、そこから派生する波長を利用するのではないかと考えています。

ほとんどの人が睡眠中、一晩に5、6回夢を見ているといわれています。

夢の内容は様々で、根拠、覚醒時とは特に何の脈絡もないものも多いと思います。

またよく経験からと言われていますが、今まで全く見たことのない光景、風景、人物なども出てくることもあります。ただ単に記憶下、記憶力の問題かも知れませんが。

睡眠時、私たちの感覚系機能、視、聴覚などは覚醒時に比べて、かなりその働きを鈍化させていることは理解できます。つまり入手する情報が極端に少ない、ということになります。それが血量から派生する本当に微量なエネルギー、波長も受け止めることができるのだと考えられます。

吊り橋効果という言葉を御存知の方は多いでしょう。吊り橋を一組の男女で渡っている時、そこに何らかの事由で吊り橋が揺らいだ時、お互いにとても危険、怖い想いをすることになり、それまで何の関係もなかった二人に、その後とても濃密な感情、関係が構築され、中には結婚、人生の伴侶としてまで関りが進むことになる、という話です。これも吊り橋を渡る、という時の強い緊張から、限られた情報を取り入れようとする機能が思考機能下で働き、そこで怖い想いをした時に派生される人の感情、その感情に伴う起源語、波長が自らの起源語、波長と全くといっていいほど同類なものであることから生まれる一体感、それが前述したその後の関りに反映される、ということだと考えています。

母体と胎児の関係、母体内の環境も、これと似たようなものだと考えてみてください。

そこで次のようなことを考えてみてください。

母体の中の胎児も夢を見ていると言われています。当たり前に経験など全くないはずの胎児はどうして、どのような夢を見ているというのでしょう。またどうして夢を見る必要があるというのでしょう。

そこで先ほど書きました夢は、波長から来るすり合わせだ、と書いたのですが、すり合わせには元となる画像が必要になります。誕生後の現実世界で視覚機能を働かせるためのものだとは考えられないでしょうか。

そしてそれは波長から構成されるとすれば、胎内という最も情報の少ない限られた空間で母親が見ている夢がすり込まれているとは考えられないでしょうか。

夢を見ることで誕生後、それまでとは比較にならない程の大量の情報にさらされても、不安にならないどころか、逆にすり合わせをすることでの安心感、という方向へと乳児が進めるのではと考えられるのです。

私たち人間は、他の生物と比較してかなり異なる思考機能を保有しています。そしてその思考機能の働きが誕生後から発達すると想定します。すると誕生後すぐにさらされることになる情報量を考えれば、そのとてつもなく大きな情報量に戸惑う、それどころか恐怖心まで覚えて受け入れることを拒否してしまう、ということも考えられるでしょう。どうしても事前に予備学習のようなものが必要だと考えられるのです。脳内に予めすり込まれた視覚機能の基盤とも言えるこの夢による仕組みを、私は便宜上‘原知覚’と名付けました。視覚機能は人の持つ感覚系の中でも取り入れる情報が最も多く、また思考機能下でその情報の解析が最優先されるのですから、その仕組みづくりもまた優れたものなのでしょう。

さて夢には視覚機能と共に五感のうちの聴覚機能に関わる機能も含まれています。夢の中では日常と変わらない光景、普段と変わらない暮らしなどをよく見ると思います。そこでは出てくる人たちは当然言葉を話します。夢が原知覚という予備学習として古代から人に伝わる遺伝的機能だと考えれば、本当に驚くべき優れた仕組みだと思います。

胎児期のどれぐらいの期間、この夢による予備学習が胎児に与えられているかは明らかではありません。

母体という胎児にとって最も安定した環境下で与えられる情報は限られていて、その情報は学習効果を考えればまさに最適な事前学習です。

さて聴覚機能として入る情報には、人の言葉は誕生後にさらされる、また自らが特に意識をすることもなく入ってきます。視覚機能が取り入れることを拒否することが、目をつむる、という比較的容易な方法があるのに比べれば、聴覚機能にそのような仕組みがないのにはどのような理由があるのでしょうか。考えられるのは聴覚情報が思考機能下で取り入れられる情報として視覚機能より次位にあると考えられるからです。

思考機能もまた人にとって一種の運動機能だとすれば、そこには疲労があり、それに関わり休養という働きをより友好的に使う仕組みもまた備えられているのでしょう。特に視覚機能から入る情報が大量である事と比べれば、聴覚機能は解析などに関わる量的な部分でも限りがある事で、その疲労も限られているのでしょうか。それでも人の言葉を考えた場合、その言葉にはたとえ単語一つをとってみても、とても色々な、また大きな情報を含んでいます。ましてや人の話す言葉、会話などになれば、その数十倍以上の大きな情報も含まれることになるのです。そのような大きな情報を誕生後、乳児期というわずかな期間で学習をして、しかも使用することになる、などということは、私たちが学校教育下での学習を考えれば不可能に近い、ということが当たり前でしょう。そして思考機能の仕組みを考えれば、当然視覚から入る情報に対しても言葉が付随します。そしてその言葉はマンガなどでなければ、ほとんど聴覚からの情報によるものなのです。ただし夢の中でもマンガを見るということがある、ということを書いておきます。

夢の中では言葉、人の会話などの情報に比べれば、他の物音、また音楽などの情報は驚くほど少ないと考えています。車や飛行機に乗る夢などは見ても、そこに付随するはずの音などはあまり含まれません。

音楽も情報として単純に情報量を比べれば、予備学習としての段階では、それほど必要性がないのでしょうか。

音楽がリズムという側面を持つことで、それが今後詳細に述べますが、感情の構築と深い関りを持つことも、この胎児期の原知覚下であまり必要としない情報として区分されているのでしょう。

音楽については、また別の側面からも原知覚機能として考えると、とてつもなく優れた仕組みの中での位置づけがある事を後述します。幻覚、幻聴という言葉を考えた時、正に夢の中の出来事とよく似ています。視覚機能については、それが脳内で幻覚と同じようなものが起ることを説明しました。

それでは聴覚機能についてはどうでしょう。幻聴と似たような原知覚での機能はどのよう理解できるのでしょう。これからの課題です。ともあれ夢については誰でもが分りやすいものでしょう。胎児が母体の中でこのように誕生を控えて準備をしているからこそ、無防備であの小さな体でも、現実の様々なとても大量の情報にさらされながら、それを受け止めてたくましく生きていけるのです。

それだけではなく、母体の中という限られた世界から現実下という正に大海原へ出たときに事前学習していたことと類似の経験などをすることで、現実世界で生きることに対して安定、安心感を持てること、同時に人の思考機能の最も大きな部分でもある欲、その一部である好奇心なども養われていくのです。

少し寄り道をします。江戸時代に生きていた人たちの原知覚の内容はどのようなものだったでしょう。当然空に飛び交うのは飛行機ではなくて、多くの鳥たちや浮かぶ雲くらいだったでしょう。スカイツリーなどもちろん出て来ません。その代わり立派なお城が出てきたのかも知れませんね。

夢に出てくる光景、具象は本当に様々です。これらが母親と同じ夢を見ていると考えれば、その後の誕生後に関わる現実を考えると、本当に良く出来ている仕組みだと改めて驚かされます。

私たちは海外旅行に出かけることもしばしあります。ほとんどの方が出かける前に色々なパンフレットや案内を見て、その旅行に対する目的、行動の模索をするでしょう。そして現実にその光景を見たり行動をしたとき、そこに少なからず達成感を感じることになるでしょう。もし仮に誘拐などという事態で、突然、それまで経験したことのない海外など、知らない場所に置き去りにされたと考えてみてください。どれだけの不安と恐怖に襲われるでしょうか。しばらくは立ちすくむ、動くことすらできないかも知れません。乳児、幼児にとっては、まさに日々の生活がこのようなことの連続になるのだと考えられます。

夢とは別に、胎児期、思考機能の誕生以前の準備的な発達は他にもあります。

ただこの視覚機能と聴覚機能に渡る、誕生後の現実下で関わる情報などの事前学習、それらをまとめて‘原知覚’とあくまで便宜上呼称します。

 

 

 

  起源語

原知覚が脳内で現実下の知識などの予習だとすれば、それとは別に人の思考機能に欠かすことの出来ない重要な要素もこの胎児期に、やはり事前学習として育ちます。それはいわゆる感情というものの基盤的な機能です。感情といっても喜怒哀楽など様々です。まだ現実下の経験も何も分からず、知らない胎児にどのように感情の基盤作りが行われるのかを推測します。

胎児が原知覚を通して、誕生後の様々なことを事前学習すると書きました。そこには人の言葉、そして人の顔、それらも頻繁といっていいほど出てくるでしょう。そして出てくる人の顔には当然表情も含まれていると考えられます。表情は様々でしょうし、そこには当然それに伴う音声、言葉もあるでしょう。感情は言葉はもちろん、表情や行動など様々に結びついています。

ではまずこの感情という機能が、思考機能下でどのような働きを持つのかについて考えてみたいと思います。

まず感情というものの仕組みですが、簡単に言えば思考機能下で思考に伴う血量の変化、増減ではないかと言えると思います。つまり簡単な役割を言えば、その思考に対しての成否などの行動をするときと同じように、その体に対しての影響を計ることが出来るのです。

同じように感情の働きによって、思考機能下でその後という将来に関わる方向性などの示唆、指標ともなるのです。具体的に、人とのやり取り、関りにおいて考えてみれば、その時に起こる感情、それが良好なものであれば血量の増大を伴なうことで、体験的思考、その働きの基盤的に将来性、方向性の目標、目的として働くのです。

逆に悪い感情が働けば、そこには血量の減退、血の気が引く、また青ざめる等、体験的思考から、その時点での考えに対して後ろ向きとなるでしょう。喜怒哀楽それぞれの事態における血量の増減、代謝を考えていただければ分りやすいと思います。

さて、それではこの仕組みがどのように構築されるのかについて考えてみます。

血量の増減は、まず胎児として母体の中で母親から受けることになります。母親が生体活動、日常に様々に血量の増減を行っているのですが、これが常に胎児に影響しているとは考え難いのです。それはその母体の日常的に起きる血量の増減が、決して感情の起伏からだけでなく、運動、行動など様々な要因で起こるのだと考えれば、そこにある原因、理由などが何も分からず、ただ与えられる血量が増減をすれば、胎児にとってそれは混乱となり、致命的とも言える問題となります。

まだ確認できていませんが、母体と胎児を結ぶ機能には、母親の思考的覚醒時には胎児に働く血量の時間、量は穏やかなものに調整されているのではないのかと考えます。

ここから一章で述べた原知覚の機能について改めて考えてください。

原知覚の働きは、母親の睡眠時、夢を見ている時、その夢が原知覚として誕生後の知識のもとになると書きました。その夢を見ている時、母体には代謝、夢に関わる血量の増減なども夢に合わせた形で起きていると考えられます。そしてその代謝は、睡眠時ということで、覚醒時に比べれば本当に穏やかなものだと考えられます。誰でも経験したことがあると思いますが、高い所から落ちるような夢を見た時、ハッとして飛び起きた経験、このようなときはさすがにかなり血圧など、胎児に関わる母体の代謝も動いていると考えられますが、夢ではこのような激しい変化は少ないのです。

また、このように母体に激しい代謝の変化が起きるような夢は、胎児にとっての体験的思考、誕生後、本能などと類似した機能として備わることになるのではないかと考えられます。

つまり夢を母体が見ながらその日常的な光景、またそこに関わる人々の表情などに合わせる形で血量の増減が穏やかに行われること、それが胎児にとって体験的思考として、感情の基盤として脳機能下に機能付けされると考えられるのです。

誕生後、乳児は行動がままならず、日常の殆どを情報量が限られた時間を過ごしています。そこで母体から得られた原知覚情報を、視、聴覚の感覚系機関から取り入れ、脳内ですり合わせを行うことになります。

また母親などに抱かれた時、感情の基本的構築が行われるのです。

少し詳しく書きます。母親が乳児を抱くとき、そして乳児の顔などを覗き見るとき、額が乳児に向かうことになります。そして母親の心臓付近に乳児の頭部が当たることになります。

すると乳児にとって入る情報は、胎児として母体の中にいたときに極めて近い状態になるのです。そこでほとんどの場合、母親からとても好ましい感情を受け取ることになります。

この体験が強ければ強いほど、多ければ多いほど、乳児には体験的思考として、母親とのつながりに関わり、代謝としてとても好ましい状態下で母親から感情を受けることになるのです。この体験が乳児の思考機能下で基盤的な人との繋がり、そこに派生する感情を受け止め、そして原知覚情報とのすり合わせを同時に行うのです。人間としての発達に繋がるのです。

この時受け止める感情が、その後の思考機能の発達に関わる起源語となります。

起源語について簡単に説明しておきます。思考機能下で感情が派生するとき、それは血量の増減という代謝が元になっていると書きました。脳内に無数に広がる血管、そしてそこを血量として血の流れが起れば、そこには当然、微弱ながらもエネルギー、波長という形が発生します。この波長、エネルギー、これを人は脳内で受け止めることができます。そしてこれらの波長は感情として語られることが多いのですが、私はこれを別な呼称として『起源語』と便宜上使います。

付け加えますが、私たちには多くの過去から伝わる言葉がありますが、その中で感情とある程度一体化している言葉があります。

例えば靴紐の欄で書いた「ギュっ」という言葉などです。「ガンバレ」なども分かりやすいと思います。これらの言葉には「頑張り」が「ファイト」などに変化してきたものもありますが、その中でもとても必要、大切な言葉を紹介します。

それは「大丈夫」と言う言葉です。

「大丈夫」という言葉は色々な使い方があります。

例えば人が何らかの理由で苦しそうにしている時にかける言葉としても「大丈夫」という言葉掛けをするときがあります。「大丈夫」にはそれとは別の意味を持った使い方もあります。

一つ目はいわゆる様子をうかがうというような言葉、もう一つはその様子などを理解した上で、問題はありませんよ、というような意味で使う時の言葉でしょう。前者の場合、人はその言葉に対して受け止める情報は、自分の体調などを考えてもらっている、そしてそのことに答える、というようなやり取りになると思います。では後者の場合を考えてみてください。何かしら不安のような自分に対して、その言葉は安定、安心感ももたらしてくれるのです。しかもそれは自分の体、頭の中などで血量の流れ、いわゆる代謝に対して影響するのです。もちろんこの影響は、その時その時、場面、関わる人などで様々に異なることですが。

これが人間の思考機能下にある、感情の働きにある、人間としての生物としてと言える大きな特性でしょう。

つまりこの発展が人間の持つ社会性に繋がるのです。

改めて起源語と感情の違いについて理解してください。

これらの起源語は私たち人間の、大げさでなく人類的な話に繋がります。

乳児期、行動など、また受け止める情報が限られている中で乳児の脳、思考機能は成長、発達の基盤的構築をしているのです。

乳児期は主に母親、そして家族など、出来ればなるべく情報の種類としての限られたものの方が分かりやすい事、そしてそれが体験的思考としても構築が容易なのです。

この社会性起源語について分かりやすい例を書きます。私たちがある程度の集団性を持つのは、幼、保育園などだと思います

そこで行なわれる運動会で、一般にある、綱引きという競技を思い出してください。ただ綱を多くの人間が二手に分かれて綱を引きあうのですが、その時の勝敗に関わり、ほとんど同じという感情、想いが多くの子どもたちの思考機能下で働きます。

この時派生する起源語は、家族などで感じていた時より何倍も大きく思考機能下に影響するのです。

このようなことの繰り返しが私たち人間の社会性につながる、ということは分かりやすいと思います。乳児期の母親との関りにおける思考機能の発達について書いています。

この時期の思考機能は殆どが体験的思考です。

ここで改めて人の思考機能の発達について書いておきます。私たち人間の発達、思考機能に限れば、体験的思考、経験的思考、理性的思考に区分できると思います。

体験的思考は先に書きましたが、胎児期から乳児期などに本当に限られている情報下で、代謝などを伴なう原知覚などと同じように脳内で起こるものだと考えてください。高い所から落ちる夢は、体験的思考の分かりやすい例だと考えられます。この夢による体験、これが誕生後の乳児、幼児、そしてそれ以降の人生に渡る思考機能として働くことは分かりやすいと思います。

また火傷など、とても強い身体に危険などを伴なう経験もまた体験的思考として、思考機能下に組み込まれます。

経験的思考はその時点で行動などと結び付ける際に、思考機能下で言葉を伴なう思考機能です。

例えば野球のバットの素振りなどを考えてみてください。小さい子供の頃は単にバットを打者の模倣という感じで振り回しています。それが成長するに従いバットを振るコース、強弱などを考えての練習になると思います。

この時、バットを振る際、どのように振るかを言葉で考えて、言葉で体を動かします。それが積み重ねていくうちに、ボールがくるといろいろと言葉で考えることを省いて、バットでボールを捉えることが出来るようになります。この時思考機能下では、言葉を用いない分、時間的な差異が現れます。体験と経験の一番の違いはこの時間的なことです。行動に結びつくことに対して少しでも時間を掛けないということは、それだけ火急に対応できるということは、危険などにより早い対応、つまり回避につながります。

少し話を変えます。自閉症児等に野球を教えようとしてバットの素振りを教えたとします。当初はバットを振る腕に力が入らず、バットをヘロヘロという感じで振ります。しばらく「早く、力を入れて」などと続けるうちに、どうやら様になっていきます。そして、ボールを紐などで吊るして打つ、という練習をしていきます。

この練習では、どうにかボールを思い切り叩いて打つことが出来るようになると思います。この時点でボールを思い切り打てた時、スカッとする、などの気持ちを教えられるといいと思います。

ところが問題はこの後です。実際に野球を経験させようとします。素振り練習ではとても上手に球を打っていたのに、実際に打席の中では、飛んでくるボールにバットをただ当てようとしてバットを思い切り振りぬくことが出来ないのです。このようなことが思考機能下での発達の妨げとなるのが、自閉症児の発達、教育、療育の難しさでしょう。

ここにおける思考機能下での問題が、感情、ということになることを御理解ください。

理性的思考は、体験、経験的思考と比べて最も大きな違いは、必ずとも行動とは結び付かなくてもよい、というところでしょう。思考機能下で言葉、そのつながりの連続、またイメージという絵的なもの、これらの想像などの思考機能です。時間的な問題、訂正が出来たり発展性というところが特徴となります。一般にはこのような理性的思考に繋がっていく、成長、発達をするのですが、自閉症を初めとする発達障害児には、この思考機能の成長、発達がみられない、また乏しいということが問題となるのです。このことについて今まで書いてきた起源語、感情などの発達が影響をしているのです。

 

  自閉症、発達障害について

自閉症、発達障害については、今までその原因、機能の問題について理解が進んできませんでした。それゆえ、改善など教育、療育が難しく、肉体の成長に比べて精神面の発達が伴わず、困難な人生を送ることを余儀なくされていました。

ここでは自閉症、発達障害について分かりやすくまとめます。

まず自閉症については、原知覚の働きが乏しいことが原因だ、と考えられます。原知覚が誕生後に働かないということは、視聴覚などの感覚系機能が働いていたとしても、思考機能下でのすり合わせが行われず、見えているもの、聞こえている音などが、それが脳内では画像にならず、また音は言葉などにならない、ということです。つまり、何であるかという意味が分からないということです。

ヘレンケラー女史の話はあまりにも有名ですが、彼女の場合、視、聴覚系の機能に難があり、サリバン先生と出会うまで、強い緊張からくる不安の中で、まるで獣のような生活をしていたと記録されています。原知覚が働かない自閉症児の場合、視、聴覚という機能は働いていても、思考機能下では、ヘレンケラー女史と全く同じような状態だと考えられるのです。目に見えるもの、聞こえる音、それらが全て初めてのものだ、というような事です。すると、とても強い緊張が働く、ということは想像できると思います。私たちが何の準備もなく、全く知らない外国などに行ったことを考えてみてください。それでも何となくわかることはあるのですが、原知覚が働いていいない場合、その緊張、恐怖心、不安は計り知れないと思います。

そこで自閉症児には、特有なこだわりという性質があるのです。何も分からない世界で何らかの理由で一度覚えたこと、経験したことにしがみつくのです。原知覚が働かない理由については色々あるでしょう。出産時に何かしら身に迫る危険というような状況に母子、またどちらかが遭遇した時など、そこから派生する強い緊張などが原因となる事は考えられます。出産時は母子共々強い緊張に襲われるのですが、そこで乳児を抱いたり、授乳することで、それらの緊張がほぐれることは分かりやすいと思います。

原知覚が働かないことから、自閉症児には、感覚系から入る情報、それらの殆どが訳の分からない不安なものとなるのです。大げさでなく、太平洋にいかだだけで独りぼっち、というような極限の状態なのです。しかも自閉症児には原知覚の働きが鈍いことから起こる、情報(視聴覚など)の取り入れに対し、視覚野では高原などでの深いモヤが掛かったような状態で働いている、という報告が、まだ確認されていませんが、あります。自閉症児の日常的な行動、不適応行為など、その思考機能を考えれば分かりやすいと思います。

発達障害については、原知覚の働きはある程度問題はないと考えられます。ただ、その後、発達の次の段階、起源語の習得時に何らかの難があると考えられます。

起源語の習得、それは思考機能下で感情という機能の構築に関わることから、感情の機能の発達に、程度差こそあれ、難を生じることになります。感情は思考機能下で言葉などと結びついて、そこに広がり、言葉などが持つ目的に対して、強弱などに関わるのですが、その感情の働きに難がある場合、言葉が非常に狭い範囲、平坦というようなものになります。人の行動はそれらほとんどが思考機能下での言葉に繋がります。つまり言葉一つ一つに広がりがないと、そこから行動にも広がりは難しいということです。

また起源語の機能発達に難を持つということは、他の人に対して、それらの人が考えること、感情などをくみ取る、理解することもまた難を生じるということになります。発達障害と呼ばれている人たちには、その人、それぞれの年齢、育ってきた環境などが当然思考機能下に反映することから、人の持つ個性のように表象される言葉、行動にも差があるのです。

 

  自閉症、発達障害に対する改善、療育

自閉症の改善については、前述した原知覚の働きについての評価付けを慎重に行います。それはその対象者それぞれの年齢、それまで与えられてきた環境下での経験的思考から、ある程度の狭い領域下ではそれほど難が無いような表象を見せることがあるからです。分かりやすいのはその場面に適応する表情の有無があるかどうかを計ることですが、それもある程度の年齢を過ぎてしまうと分り難いと思います。また私たちは精神的なこと、つまり学習面などに改善の目的とすることが多いのですが、それ以前に全人格的な療育、改善を計ることが賢明なのです。

具体的にはスポーツなどが分かりやすいと思います。まず個人的なことから、ガンバリのようなものがみられるようになるか、そこから達成感などを伴ない笑顔が見られるか、そしてその後はいわゆるチームプレイ、団体競技への参加を目指します。

これらには幾つかの実例があります。当たり前に、改善の対象とする年齢は速ければ早いほど療育には適していますが、30代になってからの例もあります。

自閉症の改善、療育に関わり、起源語が重要な役割を果たすのですが、自閉症児が幼い頃、人が近づくだけで逃げ出してしまう、ということがよくあります。どのような感覚で人を認識するのか、というところで、それは人の気配、起源語を認識するからだと考えてみてください。自閉症児にとって起源語は本当に理解のできない情報で、そこから不安を感じ、強い緊張へとつながるのです。母子などでの問題で、自閉症児の不適応行為、それがワザと行っているかのように捉えられることがあります。これはその不適応行為などをすることで、保護者から強い気持ち、起源語を受け止めることをこだわり、つまりある程度経験的思考として、いつも同じような情報として捉えることで、逆に安定化をする、ということなのです。起源語には遺伝的に強い緊張をほぐすものがあるので、それを活用することが自閉症児の改善、療育に当たっての始まりになると考えてください。

発達障害については、その滞りについての評価が難しいのですが、やはり場面などでの適用する表情、言葉、行動などで計ることとなるでしょう。改善、療育、教育については基本的に自閉症児と同じようなこととなるのですが、自閉症児の場合、まずその強い緊張をほぐすことが第一義となるのです。そのためには関わる人が「大丈夫」などの起源語を伴なう言葉の理解、想いなどを改めて持つことが、より療育、教育の成果を得られると思います。発達障害者に対しては、当初、分りやすいという意味からも、出来るだけ狭い範囲からの関り、そこからの広がりを重視することが望まれます。

これは関わる対象、つまり人もその範囲で考えてください。どうしても集団性という教育の中では、発達障害、その基本的な滞りである人間関係、いわゆるコミュニケーションなどが取りづらいということですが、それが改善しないまま集団性に関わるということで、より障害の固定化、簡単に言えば、仲間外れのような状況の中で孤立を深めてしまうのです。

自閉症、発達障害などについては、どうしても現在の文明、文化の著しい発展の中で、過剰とも言えるほどの情報量の増大、それに対応する思考機能の仕組みが、進化的な変移をしているように考えられます。発達障害者の多くが、記憶力などで優れた部分を持つ方が多いのも、このようなことが理由だと考えられます。感情の持つ機能が、どうしても広がり、行動に対する強弱などの働きであるとすれば、やはり情報を取り入れることに対しては難が増えることは当然でしょう。

 

付け加えますが、統合失調症なども、思考機能の一時的な疲労から思考機能内で起源語と言葉の関りなどが調整できなくなり、起源語情報が何か訳の分からない不安と恐怖心を駆り立てることから、不適応な表象、行為、行動に繋がるのではないかと考えられます。

パニック障害、適応障害や都会の集団の中で生きづらい、なども同じようなことだと思います。

 

 

息子が小学部4年に、それまでとは打って変わった表象を見せたことから、自閉症について考えていました。私なりにまとめてみました。当たり前ですが、自閉症、発達障害、その他の障害の方についても、それがとても困難で苦しい人生を過ごしていることが分かります。少しでもそれらの助けになれば、と考えています。