もう一度、発達障害の問題に戻ります。
学童期、保護者はどうしても成績、学習評価を最も気にすると思います。ですからどうしても、フライング気味に、幼い頃から学校教育に合わせて指導をすることになることが常識的です。
ハッキリ書きます。
知識などは、幼児期いくらでも詰め込む気になれば入ると考えてもおかしくないのですが、それはその知識がスマホなどと同じようなものだと考えてください。
スマホなどで、検索が出来る情報は本当に凄いと思うしかないぐらいあるでしょう。
でも考えてみてください。直接恋愛相談などをスマホにする人はいるでしょうか。スマホを通して何かしらの相談をする人はいるでしょうけど。
幼児期には、本来、知識より知恵を発達することの方が、その後の成長を考えれば圧倒的に有効だと考えます。
知識と知恵の違いに大きく関わるのが感情なのです。
発達障害は、この知識と知恵の違いが、その後、年齢を重ねるごとに大きく差異となって表れてきます。
改めます。知識は本やスマホから取り入れることが出来ます。でもそれらを知恵として有効活用する為には、どうしても経験などが必要となります。
想定上で疑似体験などができる、と考える人がいると思います。ですがその想定にもいくばくかの経験が必至となります。
そしてそれらの経験に、対象として人が関わることも、時間が必要なことも、当たり前に良いのです。
人が関わる時、当然何らかの感情も加わるのです。
この様に感情の構築には、どうしても人の関りが必至なのです。然も乳幼児期により多くの感情が関り、一つ一つの具象を整理することが難しくなってきていることが、情報が過剰に増えている現代では問題となることを考えてみてください。それだからこそ本来、母親との関りがより重要になってきているのです。
文明、文化の発達に伴う情報量の増大は、制限することは難しい問題でしょう。でも乳幼児期にそれを無制限に与えてしまう環境は、できるだけなくしたいのです。
発達障害はそれぞれといっていいほど、程度の差があります。表象にも差があるでしょうし、そこから派生する問題にも色々と違いはあります。
知識と書きました。簡単に、学校教育の場で考えれば、それは応用力に関わる問題があるということです。
応用力、と書きましたが、それは知識の広がり、有効活用などと考えてみてください。今の学校教育下での評価は、それら広がりなどまでには及ばず、それ以前の知識、単純な記憶力に対する評価がほとんどです。
友人関係やクラブ活動など、教科以外の時間より、大げさでなく、紙切れ、テストなどでどれだけ記憶しているかが評価になっています。
ですから教科という区分で言えば、数学や英語などは良く出来ても、国語、社会系などの評価は乏しいのです。教科で考えれば、国語についてはどうでしょう。小学生一年当時の漢字読解能力の基準はどのぐらいでしょうか。
以前は基礎漢字と当用漢字とに分かれていて、両方で二千字ぐらいが義務教育下での常識的に覚える指標でした。幼い頃からマンガを読ませると、結構この程度の漢字は一応読めるようになります。
マンガには漢字が一般的な物が使用されていて、しかもそれぞれに必ずルビがふられています。
幼い頃は特に漢字を覚えるため、などと考えてマンガを見るわけではありません。ではここでなぜマンガを取り上げたのかを説明します。
単に漢字の習得ということではなくて、今までは当たり前にマンガは子どもたちにも面白いもので、しかも絵で構成されているので分りやすい、ということが常識で考えられていました。そして分かりやすい、ということから、夢中になったりすることに注意を必要としていたのです。
それと、マンガに描かれている内容は、それがでたらめであっても、誰でもそのことを理解して読んでいることも当たり前だったのです。
ところが発達障害という障害の思考機能では、このマンガに関わる面白さやでたらめ、ばかばかしさなどを笑いに変える、ということが難しいのです。
分かりづらいと思います。一般の思考機能下では、現実とマンガに描かれている世界は全く違う、という区分が当たり前で、それであまり考えず笑いなどにつなげるのです。
この頃のマンガにはそれこそ教育的なもの、人生などを考えさせたりするものもありますが、幼い頃には、そのようなものはあまり好まれないでしょう。
それでも幼い子供でも、先ほど書いた世界の区分は当たり前に出来て読んでいます。ややこしいのですが、発達障害の子にはこの区分が難しいのです。具体的には、マンガに出てくるものが現実の世界にも存在していると考えてしまうのです。
発達障害という私たちとは異なる思考機能は、情報、知識などをそのまま取り込むことを優先的に作業する機能なのです。これは今までに何度も書いていますが、現代、あまりにも多く増えてきている情報、その環境に関わる対応としての脳機能の進化的ともいえる変移が原因なのです。もちろんマンガに描かれている全てを信じる、ということではなく、それらは機能的にただ情報として取り込んでいるのです。
今まで私たちが自然にマンガを読んでいるということが、実は思考機能下で大変多くの作業を必要とするので、マンガを見ることが、発達障害の方にはとても大変な作業となり、好まれないのです。
もちろん発達障害の方にはいろいろと程度の差があり、マンガぐらいなら普通に読んで笑える方もいます。
次回に続きます。