前回の続きです。

歩き始めるとすぐ、といっていいくらい、近所を飛び回り出します。そして毎日同じコースを歩きだします。強い緊張が取れていないことから思考機能の発達がままならず、体験的思考機能によるテリトリーの確認行為だと考えてください。

ですからいつも同じコース、そしてそのコースの途中にある様々に目立つもの、居酒屋の赤い提灯、電信柱の黄色い防護カバー、などを確認のため触っていきます。

街中では普段いろいろと変化があるのですが、それらに目を向けることはありません。子供が好きな建設機械などにも、それが日常的に置かれていなければ触れることもありません。

このようなあまり理解が出来ない行動をとるのですが、何故か車や近くの水路などに対して危険な行動をすることもないのです。

そして30分ほどの歩行行動は、ほとんど同じリズムで、息などを切らすこともありません。

本能的思考と書きました。それは危険という行為などには関わらないのでしょう。

ただここで誤解のないようにしてほしいのは、大雨などの時、普通の子でしたら外へなど出たがらないのですが、日常の確認、ということで逆に外へ出たがります。大雨や強風などに対する認識が違い過ぎることが理解しにくいのです。

私たちはその天候に対して不安を覚えますが、自閉症児はその変化による普段の光景が変化することに対して不安を覚える為、確認という行為をしたがるのです。

つまり、大雨などの天候が普段にはない情報だという認識です。

またドアのカギなどを、外へ飛び出さないよう工夫してみても、いつの間にか外し方を覚えてしまいます。

自閉症児は、特に教えたこともないのにいつの間にか箸を上手に使いこなして、豆などを一粒ずつ取り分けて口に入れている、ということもあります。

自閉症児の思考機能は体験的思考からなかなか発達が難しく、日常の様々な光景などをとても細かく写真のように記憶します。

そしてその記憶の再現ということを身体に伝えるのです。

私たちは身体を動かすときに頭の中で言葉を用います。ところが自閉症児は原知覚の働きが未熟なところから、言葉の発達に滞りがあります。

そこで見た光景などをそのまま模写する、という思考機能の働きになるのです。一見この箸を使うことなどを見ると、とても器用に見えると思います。ところが殆ど教えることに対して何も出来ない、ということは、このような機能の違いから来ているのです。

今まではこのような自閉症児の発達が理解されていませんでした。そこであまりにアンバランスな発達に、関わる人は困惑することになります。

ピアノなどをとても上手に弾きこなしたりすることがあります。これも箸と同じような理由からなのですが、私たちは練習によって指使いなどを上達させます。ところが前述したように、自閉症児はこの指使いも同じように突然出来てしまうのです。

サバンという言葉があります。日常とは、ある行為、行動などにあまりに隔たりがあることを指すのですが、それもこのような理由からです。

自閉症児の視覚機能に対する私たちの理解は、まだ分かっていないことがあまりにも多いのです。

一般に、障害児の療育について、余暇活動の推進などがありますが、私たちが余暇という言葉から受け止めるイメージ、例えば、楽しさなどにつながる、ということがまず基本的に少ないのです。

先ほど書きましたが、自閉症児は日常にある光景の何時も変わらない状態のものは認識します。というより強く記憶します。そしてそれらのことが安定につながります。安定は一見、表象が楽しんでいるようなものと誤解されがちですが、その違いは理解できると思います。 例えば、動物や季節ごとに姿を変える植物などは認識、あまり見えていないと考えてください。

普通の子どもとは違い、動物園などに行けば、その視覚機能、思考機能の違いが明らかになります。

私たちがよく見たい動物、ゾウやキリン、ライオンなどを見ても殆ど興味を持ちません。もし見入るというような動物がいるとすれば、それは数匹のアライグマのような小動物が常に同じ動きを繰り返しているようなものに対して、それこそ見入る、という感じでそこから動こうとしなくなります。

日本では季節ごとに草花が咲き、私たちはそこに美しいなどの気持ちも含めて見ますが、自閉症児には、例えば、桜のように枯れていたり満開の花をつけたり、葉桜といったように変化することが単一的な記憶に安定を求めることから記憶しにくいのです。つまり認識、見えていないのです。

自閉症児に「お花が咲いているよ。きれいだね。」と、花を見るよう促しても、その方向を指さすことはあっても、実際には私たちと同じような感覚、感性は働いていないのです。

先ほどアライグマが動いている光景については見える、と書きましたが、自閉症児の視覚機能は原知覚の働きが少ないため、どうしても光景を写真のように動かない形で捉えてしまいます。これは思考機能下で記憶としてどうしても細密になることから、負担がかかります。

そこで自閉症児は電車に乗ったり車などで動く景色を見ることを好む、というよりその時に思考機能の常識的な使い方ができることを本能的に欲しているのです。

自閉症児のものの見方については、例えば本屋さんなどで回転する入れ物の中に子供向けの絵本などを並べているものがあります。その絵本の背表紙だけを見て、すぐに家にある絵本と同じものを選びます。

私たちは背表紙に書かれている文字で区別します。ですからこの行為に対して字の分別、理解があるように思えてしまいます。これを脳における写真のような記憶だと理解すれば、それがどのような認識から分別の行為になるのか分かりやすいと思います。

例えばジグゾーパズルなどに、自閉症児は特別な才能と言っても過言ではないような行為を見せることがあります。

次回はこれらのことについて、また詳しく書きたいと思います。