この原稿は、11月6日後に書いています。

岐阜県で、信長を主役とするお祭りがありました。

武士行列などがあり、本当に凄い人数の観客が集まりました。

多くの人の視線は、信長などに扮した男優の凛々しい姿に注がれていたと思います。

私はそれとは違い、大勢の観客の中を堂々と歩を進める馬の落ち着いた姿を、どうかそのまま落ち着いてパレードをこなしてほしいと思って見ていました。

若い頃、子どもを馬に乗せて引くことをよくしていたので、多少ですが馬というものが私たち人間と比べて、とても繊細であることを知っていました。あのような大観衆、また声援などの中では馬にとってはとても大変な作業だということで、それなりに調教、また引き手との信頼はできているのでしょうが、見事なものでした。

蛇足になりますが、馬と私たちが関わるとき、「ドウ・・・」と「ハイ」という二つの言葉でほとんどの動作をこなします。もちろん上級になれば、それはもっと細かく、また増えていくのですが、私がここで言いたいことは、この頃コミュニケーションに難を持つ子どもが増えてきていますが、できれば乗馬などを通じて、分りやすい交流から始めることが結構良い練習になると思うことです。

今回は、このパレードを見て考えさせられたことを書きます。

このようなお祭りは、ただ楽しめば良いのでしょうが、わずか一週前にお隣の韓国で大変痛ましい事故があったばかりでしたから。

もちろんこのお祭りに参加していた誰もが、頭の中にはその事故のことがあったと思います。

そのことを頭に残しながら、お祭りを楽しむという人間の思考機能の素晴らしさに驚きました。

基底感性という言葉をよく書いています。

今回の基底感性は、韓国での痛ましい事故に対して、誰もが哀悼の意を持ちながら、二度とはそのようなことを起こさない、という気持ち、そしてそれらをふまえた上で、皆で楽しむための様々な行動が出来るということだと思います。

今回は『信長祭り』ということだけですが、私たちが今まで作り上げてきた基底感性という人間社会のより良い構築に欠かせない思考機能について考えさせられました。