家庭教師が始まって、
スムーズに滞っていた未学習分を取り戻していったかと言うと、そうではありませんでした。
学習をして、とても疲れるという現象が
アオに起こります。

疲れ方が半端ではありません。
週に一度、2時間ばかりの学習で寝込んでしまうということもあります。
一般人に考えると、「なんで?」
と思えること。
学校へ行っている子達は、月〜金まで。私学の子は土曜日も。
毎日、学校へ行き、部活や塾もある生活をしています。
たった、週に2時間の学習で、へばってしまうのかと思うところもありますが、心身が疲れてしまったということはそういうことなのです。
この頃には
私も、子どものことについて学習し現場も踏んでいたので、頭でも気持ちでも理解して見守ることが出来ました。

難しかったのは
夫で、頭では理解してるのだけれども、「疲れた」と言って寝に行ったり、家庭教師の時間以外は、出された宿題も含めて、何もしない
に、イライラしたり、小言を言ったりします。


夫の気持ちは、分からなくもない。
皆、
のことを思ってやっています。家庭教師の
T君も、アオのことを思い、一所懸命にカリキュラムを立て、宿題を出して、何曜日にどれをするのか等、学習計画も一緒に立ててくれて、寄り添いながら頑張ろうと声かけをしてくれています。


私達夫婦も、仕事や家事を互いにやり繰りして、アオの通院付き添いや気持ちへの配慮をしたり、ほぼ行っていない所属している中高一貫校への学費を支払い、家庭教師代も支払い、アオの好きなモノも購入したりしています。
「皆がアオに配慮し寄り添おうとしているのだから、アオも少しは返すべきじゃないかと思ってしまう」と夫は言います。
確かに、そう思うのは分かる。
けれども、等価交換は交換する者が対等な時に成り立つもので、「親と子」、「修羅場を乗り越えてきた大人と今悩んで凹んでいる子ども」では、等価交換は成り立たないと思うのです。
元々、自分と他人の境が強い私と与えるのが苦でない夫では、子どもへの接し方も違うのですが
この時は、夫が自分のことを削りすぎて、頑張って寄り添ってしまったから腹が立ってしまったのではないかと思いました。
人生の支援は短期間ではありません。風邪などの病気の治療と異なり、その時だけでなく、支援は長期に渡って行うものだと思っています。
だから、支援される方も支援する方も、持続可能な疲れないやり方が望ましい。
理想通りには行きませんが、与えすぎて不満が溜まる夫と、寄り添いが足りなかったんじゃないかとふと不安になる私と。
互いに、「そうだね」、「でも見守ってあげようよ」と励まし、ストレスを貯めないように夫婦で話し合いながら過ごしました。
しかし、まぁ、やりません

体調が悪くなったと言って、度々、スケジュールを変更することもありました。
頑張っているところもあるのですが、親からすると、甘えてるんじゃないかと見えるところもあります。
絶対的、相対的に考えて、もっと大変な環境の子がいるのだからと夫が言うこともありました。
でも、比較はよくありません。
不幸や羨ましさは、際限がありません。
誰かや、他者や、社会と比較して、自分や人を貶めるのは、ロクなことにならないと私は知っているし、思っています。
とにかく辛抱の時期でした。
家庭教師T君は頑張ってくれました。
自分の話もよくしてくれたようです。
詳細をアオも語らないし、私達も聞かないので詳しくは分かりませんが。
受験に真正面から取り組み、たくさん努力した結果つかんだことを、熱心に教えて話してくれるT君に、アオが向き合いはじめます。
出された課題を、本人なりに一所懸命取り組むことも少しずつ見られるようになりました。
同級生と同じタイミングで、大学受験がしたいというアオの希望もずっと念頭に置いてくれていたのか、ざっくりと教科書の授業レベルで進めてくれて、
数学は数Ⅰ〜数Ⅱまでくらい。
英語は中三〜高二まで。
物理や化学のいくつかの単元。
を終えることが出来ました。
学習が進み始めると、本来の自信を取り戻しはじめたのか、アオの目がキラキラしてきました。
学校には、相変わらず単発でしか行けませんが、興味のあることや、やりたいことなどを語るようになりました。
体調は季節の変わり目や周期的に悪くなることもありますが、家から出ることが出来なかったり、ベッドから起きることが出来なかったりすることは徐々になくなりました。
以前のように、親とも活発に話したがるようになり、自分のことを話してくれ、これからの話をするようになりました。
自分がどうしたいのか、いま一番何を望むのかを考え、
今の学校にいる大切な友達。友達と同じタイミングで大学に行きたい。できれば、自分が希望する大学に行きたい。
ということが、いまの一番の望みであると、自分自身で考えたようです。
そして、そのために
学校を転学することを決意します。
自分が頑張った結果、合格した学校だから。友達がいるからと、不登校になってからも、こだわり続けた学校でしたが、夢のために転学することにします。
確かに、小学生の時に頑張った結果、つかんだ学校でしたが、書くことが苦手だったり、学校の学習システムとは相性が悪かったですし、我慢することはありません。
とても素敵な伝統校なので残念ではありますが、病気とは言え、一旦、止まってしまうと、元のサヤに戻るのは難しかった。
学校を変えるというのは、子どもにとって大きな変化だと思うので、内省して自分でよく決められたなと感心しました。
本人が学校の先生と、親を踏まえて直接話をした結果、転学することとなりました。
親からの申し出では、何度行っても転学させてもらえませんでしたが、本人からの申し出だと、あっさり出してくれた先生方。
後々、とても有り難いと思いました。
アオが自分から言うくらい気持ちが固まるまで待ったおかげで、転学にしこりが残りませんでした。
転学前の学校の思い出も大事に思えて、転学先で頑張ろうと思う気持ちを持つことが出来たようです。
しかしすでに高二の秋。
大学受験へのカウントダウンは
すでにはじまっていました。
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