は、予定日を過ぎても出てくる気配はなく、大きめで生まれてきてガッチリした体型の子でした。
私の方は初孫、夫の方では跡取りだったため、両家の祖父母(時には曽祖父母やオジやオバ)から大層可愛がられ、両家で火花が散り、日々の育児と両家に振り回され、私のなかで乳児期の記憶がほとんどありません
初節句では曽祖父母も参加するという、ナンデヤネン気疲れイベントでした
おぼろげに思い出すのは、が抱っこをされたがるので日中は抱っこひもも使ってずっと抱いていた事。私が、応答があろうがなかろうが、ずっとに喋りかけていた事。
絵本の読み聞かせを何冊か毎日していた事。
日中はクラシックかハードロックをBGMにしていた事。
寝る時には、童謡や唱歌などを歌って寝かしつけていた事。
目の前にあるものを隠して「ある・ない」、「いないいないばぁ」などの単調な遊びを100回も200回もしていた事。
親がベビーカーを押しての散歩はよくしていた。
夜泣きをよくする子だったので、夫が帰宅すると、ベビーカーで夜の散歩もしていた。
とりあえず、が欲するものは与えていたという印象があります。
ベビーサークルにも複数参加していて、一番大きいところでは100人を超えるサークルにも参加していました。
後に、ベビーサークルは子どものためになるものでなく、ママ達のピラミッド世界だと思うようになり、面倒くさくて辞めました。
このピラミッド的思考は、ママ世界のどこに行っても必ずあり、同じことをしていても、子育てがママのためのものであるのか、子どものためなのか動機は違うという事にいくつも出会いました。
よく覚えているのは、1歳の誕生日。
すでにヨチヨチ歩いていた事と、単語や二語文を喋っていた事。
ブロックや人形などは好まず、人とのコミュニケーションを好んでいた事。
キャラクターは、
『きかんしゃトーマス』
が好き。
当時、ビデオテープでしたが
トーマスはエンドレスで見ていて
日本語版のみならず
イギリスからも取り寄せ
英語でもずっと見ていました。
発達を勉強するようになり、トーマスのような分かり易いものを幼児は好みやすいというのを知りました。
英語を見せていたのは英語や外国語の早期教育を意識しての事でした。
とりあえず、多言語が理解できるようになれば良いなと思っていました。
テレビだけでなく、欧米から幼児番組のビデオテープを取り寄せて見せていましたが、1歳を過ぎて自己主張が出来るようになると、外国語は好まず、日本語のものを好むようになりました
語学の反射的な脳回路をつくる教育効果を期待して、少し遠方のキッズ英語教室にも0歳台から通っていましたが、1歳半頃に、フラッシュカードで「星はスター」「りんごはアップル」と日本語を言ってから英語を言う姿を見て、すでに日本語の回路が太くなっていると思い、英語の早期教育は辞めました。
それから英語は、中学になってから勉強を始めましたが、高校では英検準1級まで取得出来て、もう一つの言語も学習していたし、東大にも合格できたので、個人的には英語の早期教育は必要ないと思っています。
はとても本が読める子でした。
小学生の時には学校の図書館の本をほぼ読んでしまい、近隣の図書館へもよく行きました。中学からは、自宅にある親の本も読みました。
なので、小学生までは本の管理を厳重にしました。
親の書籍類2部屋分を幼児の頃に整理して、好ましくないものは手に取れない所へ移動させました。
極度のバイオレンスや性描写があるものは見せないようにしました。これは漫画も気をつけました。
活字の本が読めるという事は素晴らしい事で、知識をどんどん吸収していきます。
漢字や熟語、言い回しなども分からないと読めないので覚えていきます。
が、批判的思考(クリティカルシンキング)の能力が高く発達したのは読書の影響も大きいと思う。
親や教師といった、自分の力では変えられない周りの環境に頼らず、視野を広げ知識を吸収していけるのが読書だと私は思っています。
小さい頃は、蛙の子は蛙で、将来親と同じ分野に来るのではないかと夫婦揃って思っていましたが、高校生になると明確に親の志向とは異なって、大学は全く別の分野を専攻しました。
自分の志向や親の志向を問わず、ありとあらゆる本を読んでいたからか、物事を柔軟に考え、活発で自発的に育ちました。
本を読む事については、子育てにおいて良かったと思う経験が多いため、今、関わっている子ども達への取り組み活動としても、読書を推薦し、本を読むように促しています。