こんばんは
福島県郡山市のリウマチ膠原病医間桃子です。
本日は東京の用事に付き合ってくれた長男を念願だった国立科学博物館に連れて行きました彼の見たかったのは大好きな「Dr.STONEとめぐる科学の世界」。でも私は地球の誕生が1年とすると人類の誕生が12月31日に値することに驚きました。人類が12月31日なら自分の人生は瞬きにもならないぐらい一瞬だと思うと複雑な気持ちでしたが、悔いなく生きなきゃいけないなとも思いました
今回は
リウマチ膠原病医を目指した理由
を綴りますね。
医学部時代に勉強する内容は膨大ですが、膠原病は教科書の種類も厚さも少なく学生にとっては取り組みやすい科でした。
研修医になり各々ローテートするカリキュラムが決まるのですが、私は右も左も分からない4月にリウマチ膠原病科スタートでした。内心「膠原病なら…」と始まったのですが大間違いでした。何も手が出ないというぐらい本当に難しいのです…。
自己免疫疾患の膠原病はありとあらゆる臓器に病変がでます。脳に肺にも腎臓にも皮膚にも眼にも。初期研修医の私には訳が分かりませんでした。全てを考えている指導医は雲の上の存在に感じたのを今でも覚えてます。
その後様々な科をまわりその都度感じることはありましたが、最終的に迷っていた私に当時の膠原病指導医は「膠原病を診ていれば全ての内科を診れるようになるよ。それにその方の一生の主治医になれるのは膠原病医だよ。やってみない?」と誘って頂きました。その言葉で私の心は決まりました。
人生の節目節目での出会いや恩師からの導きは大きいです。途中で挫けそうになった時にも違う市から月一勉強に来ていた女医さんに「桃子先生、現場から離れちゃだめよ。ママとして辛い時もあるだろうけど絶対自分に還元されるから。子供も分かってるから。」の言葉で今まできました。ありがたいです。
今は患者さんが少しでも快適に生活できるようにお手伝いしている感覚ですが、指導医が教えてくれた「一生の主治医」の重みとやりがいを感じています。
これからも患者さんと毎日を歩んでいければと思います。よろしくお願い致します