こんにちは
福島県郡山市のリウマチ膠原病医間桃子です。
先日長女の12歳の誕生日でした
郡山で幻のケーキ屋と言われているKINUさん。お友達なので娘の希望の形・色・味で作ってもらいました
とても素敵でした
今日の内容は医学的なことではありません
娘が誕生日を迎える度に思う事を綴りますね。
12年前の東日本大震災のあの日は育児休暇中で4月から復帰する直前の3月11日でした。
3月14日の福島第一原発4号機が水素爆発した時、不安と混乱で0歳8ヶ月の娘を抱っこし、持てるだけの荷物を持って県外に避難しました。
4月1日に復帰が決まっていたので避難先で毎日葛藤していました。娘への放射能の影響はどうなるのか?戻るべきなのか?復帰できるのか?保育園はどうなるのか?と。
爆発から2週間後、心は決まらぬまま当時勤めていた病院の医局に電話をすると…「沢山の患者さんが桃子先生の復帰を待ってます。」と医局の母と言われていた医局事務さんに言われ、はっとし目が覚めた思いでした。
私は何を迷っていたのか
私はなぜ医師になったのか
今帰らなかったらずっと帰れない
とすぐ荷造りを始め、その3日後には白衣を着ていました。
今でも医局の母には頭が上がらぬ思いです。それから12年郡山で医者をやれているのは医局の母のおかげです。
先日患者さんが外来で
「ここに来るのは薬もらいに来るわけじゃないのよ。先生に元気もらいに来るの。」
と言って下さった方がいらっしゃいました。
医師として「よくなりました。痛みが消えました。」も大変嬉しいですが、その患者さんの言葉は私の心に沁みました。
この3年新型コロナウイルスで医療の現場も大きく変わりました。原発にコロナに本当に何が起こるか分からない世の中ですが、常に前を向いていこうと思います。
娘の誕生日が来る度に震災を思い出し、医局の母の言葉を思い出し、医師である自分を見つめ直し、また明日を迎える…そんな日です。